2009年 01月 25日
「足利尊氏」補足~南北朝の動乱とメイドさん~ |
漫画「仮面のメイドガイ」にはメイドさんが世界や歴史に及ぼす力の大きさを称える台詞が良く出てきます。最近のものを挙げれば、
なんてのがあります。思わず「おい、気は確かか?」と言いたくなる発言ですが、これまでの記事を省みると少なくともメイドさんが歴史に少なからぬ影響、というのは嘘でもないように思ってしまうから不思議です。
日本史でもメイドさん絡みの記事が幾つかあります。僕の得意分野である南北朝にも関係した話題があると面白いかな、とは思うのですが。
さて話は変わりますが、かなり昔に足利政権の創立者である足利尊氏の伝記をレジュメにした事がありました。
その際には「恵まれた環境で育った」と末尾で書いたように名門の後継者として生まれ育てられたと考えていました。しかし近年の研究からは少し違った説が出ているようです。
尊氏は弟直義と同じく、足利貞氏を父とし上杉清子を母として生まれています。尊氏・直義の上に歳の離れた兄である高義もいたのですが早世しており、尊氏は次男ながらも後継者として育てられたとされてきました。従来は清子が貞氏の正室であり高義も清子が産んだ子と考えられていたのです。
しかし、どうやら高義の母は「釈迦堂殿」と呼ばれる女性であり北条一族である金沢顕時の娘であったようです。足利氏は鎌倉政権下有数の名門として代々の当主は北条氏と姻戚関係を結んでいましたから、それを考えるとこの「釈迦堂殿」が貞氏の正室だった可能性が現在では指摘されています。「尊卑分脈」で清子のところに「家女房」と注記されている事も、この推測を裏書しています。
さてこの長兄である高義ですが、北条一門出身の正室を母としており彼が本来の後継者だった可能性が高いようです。というより、一旦は貞氏から家督を相続した形跡があり、正和四年(1315)に鶴岡八幡宮の僧に供僧職を安堵(保証)する書状を発行しています。少なくともこの時期には存命であり足利氏の惣領として活動していた事が分かります。ところが文保二年(1318)になると貞氏の名で能登国の所領を家人に安堵する書状が発給されており、隠居したはずの貞氏が再び足利氏の家政を取り仕切っています。また高義の名がこれ以降は見られない事から、この期間に彼が亡くなったと推測されるのです。
貞氏は死去する前年である元徳二年(1330)まで書状を残しており、尊氏が発給した書状は元徳四年のものが最初です。ここから、高義死後になってもすぐに尊氏が後継者とされたわけではなく、貞氏死去の直前になってようやく指名されたものと思われます。「足利系図」によれば高義は生前に男子を二人儲けていたらしいので、彼等が成長するまで貞氏が当主に復帰し中継ぎをしたというところだったのでしょう。なお、尊氏は元徳二年に北条一門である赤橋登子との間に子息・千寿王(後の義詮)を儲けており、元徳元年(1329)前後に婚姻したものと考えられます。という事は、北条氏と姻戚関係になったこの時期に尊氏が後嗣として定められたものと見てよいでしょう。恐らくは貞氏が病気か何かで高義の子が成人するまでもたないと判断されたのではないでしょうか。
以上から分かるように、尊氏は決して足利氏当主の地位を約束されていた存在ではなく当初は寧ろ日陰の身だった可能性が強いようです。とすると、彼が家督を相続したのは、本来の後嗣であった高義が早世し、それを受けて復帰した貞氏も高義の子が成人する前に死去するというイレギュラーが相次いだためだったという事になります。
とはいえ、尊氏は元服当初から最高権力者北条高時の「高」に足利氏の通字(代々名乗る文字)「氏」を付けた「高氏」と名乗っており(北条氏当主の一文字+「氏」という歴代当主と同じ名の付けられ方をしている)、日陰者と断ずるには解せない点もあるようです。
ところで、清子がそうだったという「家女房」について。宮中や貴族に仕える女性を指して「女房」と称した事は御存知の方も多いと思いますが、そのうち女御や大臣・大納言といった上級貴族に仕えるものを「家女房」と区別して呼んでいたそうです。彼女たちは貴人の身の回りの世話や子女の教育に当たりました。要は、尊氏の母は肩書上は正式な妻ではなく侍女扱いだったわけですね。現在で言えばメイドさんと言えなくもありません。とはいっても上杉氏は足利氏の家人であるものの、藤原氏から出ておりそれなりに高貴な家柄ではあるのですが。
そういえば、同時代に「日陰の身として幼少時を過ごし、兄の早世によって後継者のお鉢が回ってきた」人物がもう一人いましたね。そう、天皇による専制政権を目論み六十年にわたる動乱の幕を開けた異色の帝王・後醍醐天皇です。彼は中流貴族の娘を母として生まれ本来は皇位を望めない存在でした。しかし、異母兄である後二条天皇が早世し、その皇子も幼少であったため「一代限り」ながらも急遽天皇の座が回ってきたのです。後醍醐の母も女房として後宇多天皇の宮廷に入ったという話もありますから、彼女もまた少なくとも形式上は正式な妻でなく女官または侍女扱いだったのかもしれません。すると、こちらもメイドさんに近い存在を母として生まれたと強弁できるのかも。
それにしても、足利尊氏と後醍醐天皇。十四世紀の日本を彩った南北朝の動乱における二大巨頭が、いずれも日陰者として育っていたらしいとは。そして、うち少なくとも片方、ひょっとすると両方ともがメイドさんもしくはそれに準ずる女性を母として生まれていたのです。彼等の少年期における不安定な立場がその性格形成に関与していた可能性もあり、二人の強烈な個性を思うとこの事実が歴史に何らかの影響を与えているかもと思わされます。少なくとも彼らの兄である正統な継承者たちが長生きしていれば、北条氏と敵対せず現状維持路線を取っていた可能性が十分にありますから。何しろ足利高義は北条氏の女性を母としていますし、後二条天皇も北条氏により自身や子孫の地位が保証されているわけで。とりあえず、南北朝動乱の影にもメイドあり、メイドが歴史を動かした?…今回は流石に少し無理がある気もしますけど。
【参考文献】
足利尊氏のすべて 櫻井彦・樋口州男・錦昭江編 新人物往来社
後醍醐天皇のすべて 佐藤和彦・樋口州男編 新人物往来社
足利尊氏 高柳光寿 春秋社
後醍醐天皇 森茂暁 中公新書
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
全訳読解古語辞典 三省堂
仮面のメイドガイ 赤衣丸歩郎 角川書店
関連記事:
「【分野別記事一覧】メイドさん」
「南北朝における歴史人物の筆跡」
「南北朝・室町を中心に性的年齢の範囲について考える」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
以外には
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「政治家の発言―足利尊氏問題考―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/nakajima.html)
メイドさん関連で
「偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529065/)
更に同時代人として
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
足利尊氏については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「Reichsarchiv~世界帝王事典~」(http://nekhet.ddo.jp/)より
「足利氏」(http://nekhet.ddo.jp/people/japan/asikaga01.html)
「天皇家」(http://nekhet.ddo.jp/people/japan/jpn-emp.html)
「史劇的な物見櫓」
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/REKISIMENU.HTML)
今回の話題はこちらの掲示板でヒントをいただきましたので御礼を込めて。…メイドさん云々は勿論僕のオリジナルですが。
<追記>関連発表を追加(1/29)
リンクを変更(2010年12月8日)
政治家・宗教家 資産家・革命家 大統領
世界を動かす それらはすべて 組織の長
それらはすべて 人を動かす ご主人様という 人種たち!
世界はそれら組織を統べる ご主人様たちの手に よって動いているのだ!!
そしてこの世の ご主人様たちは須く メイドを傍らに 置くことを嗜みとし
資産家はメイドを 雇うために経済を操り 革命家や宗教家は その微笑みから力を得
政治家はその些細な仕草に 未来を占うものだと言う!
すなわち 世界はメイドによって 動いている
すなわち メイドを制する者は 全てを握る世界の 覇者となれるのだ!!
(「仮面のメイドガイ」9巻 P131-133)
なんてのがあります。思わず「おい、気は確かか?」と言いたくなる発言ですが、これまでの記事を省みると少なくともメイドさんが歴史に少なからぬ影響、というのは嘘でもないように思ってしまうから不思議です。
「【分野別記事一覧】メイドさん」
日本史でもメイドさん絡みの記事が幾つかあります。僕の得意分野である南北朝にも関係した話題があると面白いかな、とは思うのですが。
さて話は変わりますが、かなり昔に足利政権の創立者である足利尊氏の伝記をレジュメにした事がありました。
「足利尊氏」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
その際には「恵まれた環境で育った」と末尾で書いたように名門の後継者として生まれ育てられたと考えていました。しかし近年の研究からは少し違った説が出ているようです。
尊氏は弟直義と同じく、足利貞氏を父とし上杉清子を母として生まれています。尊氏・直義の上に歳の離れた兄である高義もいたのですが早世しており、尊氏は次男ながらも後継者として育てられたとされてきました。従来は清子が貞氏の正室であり高義も清子が産んだ子と考えられていたのです。
しかし、どうやら高義の母は「釈迦堂殿」と呼ばれる女性であり北条一族である金沢顕時の娘であったようです。足利氏は鎌倉政権下有数の名門として代々の当主は北条氏と姻戚関係を結んでいましたから、それを考えるとこの「釈迦堂殿」が貞氏の正室だった可能性が現在では指摘されています。「尊卑分脈」で清子のところに「家女房」と注記されている事も、この推測を裏書しています。
さてこの長兄である高義ですが、北条一門出身の正室を母としており彼が本来の後継者だった可能性が高いようです。というより、一旦は貞氏から家督を相続した形跡があり、正和四年(1315)に鶴岡八幡宮の僧に供僧職を安堵(保証)する書状を発行しています。少なくともこの時期には存命であり足利氏の惣領として活動していた事が分かります。ところが文保二年(1318)になると貞氏の名で能登国の所領を家人に安堵する書状が発給されており、隠居したはずの貞氏が再び足利氏の家政を取り仕切っています。また高義の名がこれ以降は見られない事から、この期間に彼が亡くなったと推測されるのです。
貞氏は死去する前年である元徳二年(1330)まで書状を残しており、尊氏が発給した書状は元徳四年のものが最初です。ここから、高義死後になってもすぐに尊氏が後継者とされたわけではなく、貞氏死去の直前になってようやく指名されたものと思われます。「足利系図」によれば高義は生前に男子を二人儲けていたらしいので、彼等が成長するまで貞氏が当主に復帰し中継ぎをしたというところだったのでしょう。なお、尊氏は元徳二年に北条一門である赤橋登子との間に子息・千寿王(後の義詮)を儲けており、元徳元年(1329)前後に婚姻したものと考えられます。という事は、北条氏と姻戚関係になったこの時期に尊氏が後嗣として定められたものと見てよいでしょう。恐らくは貞氏が病気か何かで高義の子が成人するまでもたないと判断されたのではないでしょうか。
以上から分かるように、尊氏は決して足利氏当主の地位を約束されていた存在ではなく当初は寧ろ日陰の身だった可能性が強いようです。とすると、彼が家督を相続したのは、本来の後嗣であった高義が早世し、それを受けて復帰した貞氏も高義の子が成人する前に死去するというイレギュラーが相次いだためだったという事になります。
とはいえ、尊氏は元服当初から最高権力者北条高時の「高」に足利氏の通字(代々名乗る文字)「氏」を付けた「高氏」と名乗っており(北条氏当主の一文字+「氏」という歴代当主と同じ名の付けられ方をしている)、日陰者と断ずるには解せない点もあるようです。
ところで、清子がそうだったという「家女房」について。宮中や貴族に仕える女性を指して「女房」と称した事は御存知の方も多いと思いますが、そのうち女御や大臣・大納言といった上級貴族に仕えるものを「家女房」と区別して呼んでいたそうです。彼女たちは貴人の身の回りの世話や子女の教育に当たりました。要は、尊氏の母は肩書上は正式な妻ではなく侍女扱いだったわけですね。現在で言えばメイドさんと言えなくもありません。とはいっても上杉氏は足利氏の家人であるものの、藤原氏から出ておりそれなりに高貴な家柄ではあるのですが。
そういえば、同時代に「日陰の身として幼少時を過ごし、兄の早世によって後継者のお鉢が回ってきた」人物がもう一人いましたね。そう、天皇による専制政権を目論み六十年にわたる動乱の幕を開けた異色の帝王・後醍醐天皇です。彼は中流貴族の娘を母として生まれ本来は皇位を望めない存在でした。しかし、異母兄である後二条天皇が早世し、その皇子も幼少であったため「一代限り」ながらも急遽天皇の座が回ってきたのです。後醍醐の母も女房として後宇多天皇の宮廷に入ったという話もありますから、彼女もまた少なくとも形式上は正式な妻でなく女官または侍女扱いだったのかもしれません。すると、こちらもメイドさんに近い存在を母として生まれたと強弁できるのかも。
それにしても、足利尊氏と後醍醐天皇。十四世紀の日本を彩った南北朝の動乱における二大巨頭が、いずれも日陰者として育っていたらしいとは。そして、うち少なくとも片方、ひょっとすると両方ともがメイドさんもしくはそれに準ずる女性を母として生まれていたのです。彼等の少年期における不安定な立場がその性格形成に関与していた可能性もあり、二人の強烈な個性を思うとこの事実が歴史に何らかの影響を与えているかもと思わされます。少なくとも彼らの兄である正統な継承者たちが長生きしていれば、北条氏と敵対せず現状維持路線を取っていた可能性が十分にありますから。何しろ足利高義は北条氏の女性を母としていますし、後二条天皇も北条氏により自身や子孫の地位が保証されているわけで。とりあえず、南北朝動乱の影にもメイドあり、メイドが歴史を動かした?…今回は流石に少し無理がある気もしますけど。
【参考文献】
足利尊氏のすべて 櫻井彦・樋口州男・錦昭江編 新人物往来社
後醍醐天皇のすべて 佐藤和彦・樋口州男編 新人物往来社
足利尊氏 高柳光寿 春秋社
後醍醐天皇 森茂暁 中公新書
帝王後醍醐 村松剛 中公文庫
全訳読解古語辞典 三省堂
仮面のメイドガイ 赤衣丸歩郎 角川書店
関連記事:
「【分野別記事一覧】メイドさん」
「南北朝における歴史人物の筆跡」
「南北朝・室町を中心に性的年齢の範囲について考える」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「足利尊氏」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010511.html)
以外には
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
「引きこもりニート列伝その5・偉大なるダメ人間シリーズその6 足利尊氏」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529111/)
「政治家の発言―足利尊氏問題考―」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/nakajima.html)
メイドさん関連で
「偉大なるダメ人間シリーズその1 キルケゴール」(当ブログ内に移転しました)
(http://trushnote.exblog.jp/14529065/)
更に同時代人として
「宗良親王」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971003.html)
「楠木正成」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/001201.html)
「菊池氏の南北朝」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021004.html)
「北畠親房」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/030117.html)
「佐々木導誉」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/douyo.html)
「足利義満」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshimitsu.html)
「新田義貞」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/yoshisada.html)
「護良親王」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/moriyoshi.html)
足利尊氏については
よろしければ、社会評論社『ダメ人間の日本史』
(「足利尊氏 ヘタレなのになぜかモテモテ、リアルエロゲ主人公」収録)
もご参照ください。
(著作紹介2010年6月27日加筆)
関連サイト:
「Reichsarchiv~世界帝王事典~」(http://nekhet.ddo.jp/)より
「足利氏」(http://nekhet.ddo.jp/people/japan/asikaga01.html)
「天皇家」(http://nekhet.ddo.jp/people/japan/jpn-emp.html)
「史劇的な物見櫓」
(http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/REKISIMENU.HTML)
今回の話題はこちらの掲示板でヒントをいただきましたので御礼を込めて。…メイドさん云々は勿論僕のオリジナルですが。
<追記>関連発表を追加(1/29)
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もし、嫡男である足利高義が長生きしていたら、足利幕府を開いていたのは彼だったかも知れません。尊氏以上の器量があれば完全に日本を統一して南北朝の動乱は無かったでしょう。第2次鎌倉幕府が成立した可能性が高くそうなれば現実の室町幕府より安定した政権となり戦国時代の到来は遅れたかも知れません。
>ロキュータス様
コメントありがとうございます。お返事が遅れ申し訳ありません。お恥ずかしい話ですが、めったにコメントのつかないブログですので、コメント欄のチェックを怠ってしまったようです。ご無礼の程、御容赦願えましたら幸いです。
さて、高義が長生きしていれば、というifはおっしゃる通り想像をふくらませてくれる話ですね。彼が早世したが故に実際の器量がどの程度だったについては何も分かっていないに等しいのですけれど、逆にだからこそ空想の余地が多いとも言えます。
(続きます)
コメントありがとうございます。お返事が遅れ申し訳ありません。お恥ずかしい話ですが、めったにコメントのつかないブログですので、コメント欄のチェックを怠ってしまったようです。ご無礼の程、御容赦願えましたら幸いです。
さて、高義が長生きしていれば、というifはおっしゃる通り想像をふくらませてくれる話ですね。彼が早世したが故に実際の器量がどの程度だったについては何も分かっていないに等しいのですけれど、逆にだからこそ空想の余地が多いとも言えます。
(続きます)
(続きです)
正直なところ、時代の制約を考えると安定政権へのハードルは結構高いと思うのですよ。高義ならどこまでも北条氏を支えようとしたか、それともやはり独自の政権を作ろうとしたかはわかりません(足利氏自体に潜在的な北条氏への敵対心があったようですから後者の可能性も大ですね)。ただ、どういう形をとるにしても北条泰時・足利直義のような荘園制との共生路線(保守派)と高師直のような新興豪族を中心とする権利拡充派(革新派)との同床異夢は時代を考えると避けられないでしょうから、内部分裂の危険は誰が政権を担当しても必然的に孕むと言えます。あと、やっぱり後醍醐天皇があれこれとかき回すでしょうし、そうしたら「悪党」たちはやはり呼応するでしょうし…。
(更に続きます)
正直なところ、時代の制約を考えると安定政権へのハードルは結構高いと思うのですよ。高義ならどこまでも北条氏を支えようとしたか、それともやはり独自の政権を作ろうとしたかはわかりません(足利氏自体に潜在的な北条氏への敵対心があったようですから後者の可能性も大ですね)。ただ、どういう形をとるにしても北条泰時・足利直義のような荘園制との共生路線(保守派)と高師直のような新興豪族を中心とする権利拡充派(革新派)との同床異夢は時代を考えると避けられないでしょうから、内部分裂の危険は誰が政権を担当しても必然的に孕むと言えます。あと、やっぱり後醍醐天皇があれこれとかき回すでしょうし、そうしたら「悪党」たちはやはり呼応するでしょうし…。
(更に続きます)
(更に続きです)
尊氏も相当な傑物ではあったと思うのですよ。政治家としては微妙なのは否定できませんが、カリスマとして、そして戦争指揮官としては日本前近代史上屈指じゃないかと個人的には見ています。更に後醍醐天皇も、才覚や意志力、カリスマは歴代天皇でもトップクラスだと思いますし。それでもああなったのを考えると、大変な時代だったのだな、と思わずにはおれません。それを高義ならどう料理したか、というのは確かに妄想をそそられる話題ですよね。
…ずいぶんと長文になってしまいました。やはり「南北朝」となると、語りたくなってしまうと見えます。
尊氏も相当な傑物ではあったと思うのですよ。政治家としては微妙なのは否定できませんが、カリスマとして、そして戦争指揮官としては日本前近代史上屈指じゃないかと個人的には見ています。更に後醍醐天皇も、才覚や意志力、カリスマは歴代天皇でもトップクラスだと思いますし。それでもああなったのを考えると、大変な時代だったのだな、と思わずにはおれません。それを高義ならどう料理したか、というのは確かに妄想をそそられる話題ですよね。
…ずいぶんと長文になってしまいました。やはり「南北朝」となると、語りたくなってしまうと見えます。





