HENTAIとヘタレが咲き乱れる日本の文学的至宝・物語文学案内 「2/2 鎌倉編」下 注目はオトコの娘
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鎌倉時代には、平安時代の物語を倣うべき古典として物語が製作されたが、これを擬古物語と呼ぶ。鎌倉時代物語とも。
『源氏物語』や『狭衣物語』といった当時傑作とされた作品の模倣、再現に熱心で、武士の時代となって無力化した貴族の過去を回想し盛時に憧れる精神が色濃く、独創性に乏しいなどと評価される。
また、鎌倉物語全般の傾向としては、筋書きを描き出すのに終始して、描写に厚みの足りないきらいがあることも指摘される。
とはいえ、様々に趣向を凝らして多彩な物語を展開した点は注目されている。
14世紀頃から台頭した平易で単純素朴な大衆向け文芸『御伽草子』に、しだいに取って代わられてしまう。
この「2/2 鎌倉編」では三回に分けて作品の内容を紹介するが、「下」における個人的な注目作は
■『恋路ゆかしき大将』■『風に紅葉』
■『小夜衣』
鎌倉中期以降成立の擬古物語。1271年以降の成立と見られており、南北朝期まで成立時期が引き下がる可能性も。文永(1264~1275)以後の間もない時期との推測もある。
山里に住む姫君が兵部卿の宮と恋に落ちるが、宮の両親は宮が夜歩きするのを心配して夜歩きを禁止するとともに、宮の縁談をまとめてしまう。それでも宮は姫君を迎え取ろうとしていたが、姫君は父の大納言に引き取られて行方をくらまし、二人の交渉は途絶える。姫君は、帝に嫁ぐ妹の世話をするため宮中に出仕、そこで帝に目を付けられるが、妹を差し置いて帝の寵愛を受けかねないと危惧した妹の母の策略で、拉致監禁されることになる。だが姫君の監禁を実行する夫妻のうち妻のほうが彼女に同情的で、姫君の父の大納言と連絡を取る便宜を図り、姫君は助かることになった。
姫君は、宮と結ばれ、宮はやがて皇太子、さらには帝となり、姫君の生涯は大変めでたいものであった。
■『鳴門中将物語』
『なよ竹物語』『奈与竹物語』『弱竹物語』とも。成立は1272年以後で、それほど後にずれ込むことはない。後嵯峨天皇(在位1242~46)時代の実話をもとにしたとも言われるが、確証はなく、実録風物語とされる。短い物語で、『古今著聞集』のなかに一説話として収録されたり、絵巻になったりしている。なお古今著聞集は1254年成立であり、この物語は成立後に収録されたと考えられる。
後嵯峨帝は蹴鞠見物の折、美しい女を見かけ、一度は拒まれつつも執着を続ける。女は実はとある少将の妻であった。それを知った帝はそれにも拘わらず思いを懸け、女は夫と相談の上、泣く泣く帝のお召しに応じた。女は帝の元には止まらず、時々お召しに応じる形で帝に仕え、少将は妻の縁で中将に出世した。中将は、良きめ(妻)を持っていることから良きめ(ワカメ)の取れる地名にかけて、鳴門中将と呼ばれた。
穴兄弟で仲良しな君臣最高、水魚の交わり。
個人的にはこういう君臣の関係を褒めるのはどうかと思います。褒めてるんじゃなくて皮肉なのかもしれませんが。
■『恋路ゆかしき大将』
1271年以降1320年代までの成立と推測され、おそらくは14世紀初頭。
三人の貴公子仲間、端山の繁り、花染、恋路ゆかしき大将と梅津尼君の姫君姉妹の恋物語。まず貴公子三人が、穴兄弟になったりと色々色恋していたが、やがて、それぞれに良き妻・良き恋人を得て一度は落ち着く。恋路も、文中で若さ幼さを強調されるロリっ娘皇女に萌え狂い(出会った当時、恋路お兄さん26歳、皇女11~12歳)、「相手があんなに幼いのに必死になってやがるよ(あれほどまだきより身を砕き給ふよ)」などと周囲にあきれられながらせっせと子守してなつかせて、見事に嫁にして大満足。ところが梅津尼君の姫君姉妹の登場によって波乱が生じ、彼ら彼女らは、男どもの好色と、姉姫の魔性のせいで、錯綜する愛欲の渦へと陥っていく。
妹姫は恋路の養女となって帝に嫁ぎ、一方、姉姫は、まず端山の繁りを虜とする。ところが、端山はこの関係を問題視されて恋人との仲を恋人の母に引き離され、悲嘆の中で、姉姫との仲も切れてしまう。そして姉姫は悲嘆の中で按察の大納言の邸に身を寄せる。なお、端山と恋人の仲は、やがて恋路の尽力で修復、端山は結婚することになる。
その恋路はというと、妹姫の学識に惹かれて想いを寄せるようになるが、溺愛する嫁が怒って逃げていきそうになったので反省、想いを諦める。
そして花染は、内大臣(先述の按察の大納言)の妻となった姉姫と深い仲となる。
その上、姉姫は帝とも通じて、妹を悩ませ、妹の憎しみを受ける。
その上その上、花染の姉姫への執着に興味をかき立てられた恋路までもが、花染の協力を得て姉姫と通じることになる。ただし姉姫に惹かれつつも、恋路には溺愛する嫁の機嫌を損じるつもりは毛頭なく、結局、恋路は、隠れ家を用意して帝も花染も内大臣も振り捨て、慕い迫ってくる姉姫に対して、冷淡な態度をとる。
その後、姉姫の元には、恋路が訪れることはなく、花染だけが通い続け、帝や夫の内大臣は、姉姫の行方すら知ることが出来ない。
で、この物語は、以上のように、ストーリーが性的に乱れているわけですが、キャラクター設定は更に一層、乱れたところがあります。
というのも、恋路ゆかしき大将は、非常に帝(上述のあらすじで登場した帝とロリっ娘皇女の父親で物語途中に譲位)のお気に入りで、「帝が、この大将を寵愛し側に付き従えている様子は、怪しいほどの状態で、世人も風変わりな(←たぶん胸部や股間の突起の有無が)楊貴妃と喩えて呼んでいた(上は、……この大殿を思しまとはすさま、けしからぬまでにて、世人もやう変はりたる楊貴妃にたとへぞ申しける)」という人物です。
物語文学の常として、男性美の理想型を女性的容姿に求め、それを表す慣用的な表現として多くの作品で女にして見たいとかいう感じの言い回しが使われているわけですが、このような男楊貴妃などというキャラクターが登場したのは、そのような意識の自然な成れの果てといえるのではないかと思います。
なお、帝は、自ら手引きして、この恋路ゆかしき大将を、自分の妃である承香殿の女御と通じさせ、さらに他の皇妃の側近くにも立ち入らせるとされています。例えば、帝は皇妃の一人である藤壺の女御に夜の相手をさせた翌朝、女御の寝乱れた姿を「わざわざ人に見せびらかしたい(ことさらに人に見せまほしき)」とか考えて、ちょうど早めに参上して来た恋路ゆかしき大将が部屋の中の様子を察知して引き下がろうとするのに対し、「こんなに慣れ親しんだ俺とお前の仲なのに愛してやってる甲斐の無いヤツだね。遠慮して逃げるとはどういうことだい?(さしも慣らはしきこゆるかひなく。などや。)」などと言って、大将を無理矢理部屋の中に引き込んでいます。
この帝のやり口について、恋路ゆかしき大将は「不道徳なほうが面白いとか考えているに違いない帝のご意向(過ちておもしろくなど思されぬべき上の御心ざし)」と評していますが、ここから帝の素敵にふざけた性格は明らかであって、大将への寵愛をも考え合わせれば、この帝は、きっと、物語に直接書かれていないところで、男女の寵姫の穴に穴に穴に棒を使って、色々複雑なプレイを、見たり見られたり煽り煽られしつつ、楽しんだことがあるに違いないですよ?
(原文引用は中世王朝物語全集より)
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■『風に紅葉』
『かぜに紅葉』とも書く。『恋路ゆかしき大将』の影響を受けていると思しき表現があり、『恋路』との近親性が濃厚であるから、『恋路』と同時期同環境で成立したと推測され、遅くても14世紀半ばまでに成立していたと考えられている。
男君は、皇女の一品の宮と結婚して夫婦円満だが、その一方で色んな女に想いを寄せられ、本気ではないが、あちこちで犯りまくり、太政大臣の奥方と不倫する、帝の妃達とも不倫する。一番想いを寄せているのは帝の正妻である彼の叔母に対してだが、幼い頃の彼が、熱心に彼女に見入っていたのに帝が気づいていて、さすがにこれには近づかせてもらえない。
そんなある日、彼は、兄の隠し子である女装の少年に出会い、当然、犯り、深い仲となって連れて帰る。嫁との寝室にも連れ込んで、嫁と少年の真ん中に寝るほどの溺愛だ。しかも顔は少年の方に向けて寝る。
その後、男君は、徳の高い坊主のお告げで禍を避けるため勤行に励むことになるが、その間独り寝する嫁を気の毒に思って少年に一緒に寝て貰う。曰く、だって二人は一心同体(わが身をわくる)の仲だから、嫁もこの不倫は気にしちゃ行けないよ(恨みざらなん)。とはいえ男君が一人御機嫌な蔭で、嫁は酷く思い悩み、少年も少し思い悩む。
嫁は少年の子を出産後、憂いも晴れぬまま死亡。
男君も少年も深く悲しみ、男君は引き籠もる。
とはいえそんな悲しみの仲でも、まとわりつき(まつはれゐ)、一緒に寝て(もろともに臥し)、二人の仲は熱々だ。
「引きこもり一人寂しく寝る俺もお前だけには訪ねて欲しいよ(袖かはす契りもいまは絶えはてぬかたしき衣君だにも訪へ)」。
内容は以上のように性的に逝っちゃってます。
嫁が男君の意向とはいえ少年と通じることになったのを非常に気に病んでいることから言って、少年に嫁を犯させることは、男君の勤行までは無かったようですが、それでも、描写されてないところで、色々複雑なプレイをしてたに違いないです。
なお、露骨に行為を描いたりはしませんが、ちょっとエロい描写があります。
(原文引用は『中世王朝物語全集』より)
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■『しら露』
弘安(1278~1288)以降、南北朝以前の成立と考えられる物語。ただ南北朝以後の成立と見なければならないような特徴もあり、成立年代が南北朝以後まで下がる可能性も残る。
美しい文章で平安時代の王朝物語の妖艶な趣の再現に成功した、完成度の高い佳作とされる。
男君が、姫君の元に忍び込み、物語ではともかくこんな事リアルにする人がいるなんてと驚く姫君を犯ってしまい、その後、二人はしだいに仲を深めていく。
ところが、男君が母の元へ参上した際、侍女達がうわさ話するのを耳にしたことには、男君は知らないようだが、姫君は幼い頃によその家に引き取られて育てられていた男君の妹で、姫君のもとに事情を知った侍女もいたろうに、なんたる醜聞、世に広まればご両親の名誉も傷つくだろうとのこと。
男君は、男神と女神が天の浮橋の下で兄妹でセックス(みとのまぐはひ)したのは神話のことで、とてもリアルに許されるとは思えない。在原業平なんか妹に「犯ると気持ちよさそうだ(ねよげに見ゆる)」とふざけて言葉かけただけで、非難されてるのに、俺も家族も超ピンチとか考え、思い悩んで、姫君の元を訪れなくなってしまう。そして姫君は、父が死に継母が冷遇するし、男君も頼りにならないので、侍女の
つてを頼って志賀の里へと失踪。
ところで、実は姫君が男君の妹というのは、姫君の継母が男君の妹の大君を引き取って養育していたのを、姫君であると勘違いして噂されていただけであり、やがて真相を知った男君は、後悔すれども姫君を見つけ出すあても無く、ただ苦悶して、縁談があっても気乗りせず出家を志すというヘタレた有様。
それが男君が、将来の出家計画を胸に秘めつつ比叡山を訪ねた帰り、志賀の先で姫君発見。
男君は姫君を引き取る。
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■『木幡の時雨』
1271年から室町期の成立と考えられ、鎌倉末期と見るのが従来からの大勢。
女君が、物忌みに木幡の里に籠もった最中に出会い愛し合った男君を、秘かに奪われ妹三の君の婿にされるなど、実の母親にたいへん冷遇されていた。ところが結婚の真相に気づいた男君が女君に想いを向けるので、女君は母に追われて流浪することになる。母が女君をこうまで憎むのは、女君の乳母が夫に愛され子までなしたからであった。
流浪の女君は、後に皇太子となる宮様と一夜の契りで双子を身ごもるなど、数奇な運命をたどりゆき、やがて摂津の国で川に身投げを図るが、たまたま付近で船に乗り漁を見物していた男君に救われる。
こうして女君と男君は固く結ばれたが、その蔭で男君と三の君の仲が双子の娘まで生まれていたのに破綻、三の君は、双子の皇子を引き取ることとなった皇太子に女君の身代わりとして嫁ぐ。皇太子は真相に気づかない。
やがて男君は関白と、皇太子は天皇となり、彼らの皇子達と娘達は結ばれる。
■『海人の刈藻』
『あまのかるも』とも書く。平安末から鎌倉初期に成立した物語で、現行本は1271年以降の改作。改作時期については南北朝期に入った14世紀中頃との推定もある。
殿の権大納言、院の君達と並び称された三人の貴公子と、按察使の大納言の娘の美人三姉妹の恋物語。男君一号二号は女君一号二号の婿となってよろしくやるようになるが、残る三号が悲恋に陥る。女君三号は天皇の后の一人となったが、男君三号はこれに不義の想いを寄せ、女君三号が宮中を退出して父の病気を見舞った際に、侵入、犯ってしまう。女君三号は妊娠し、姉妹の助けを借りて、病気と称して秘かに出産、一方、恋に悩む男君三号は思い悩んで出家を考えるようになる。その後、男君三号は出家し、ついには亡骸も残さず即身成仏する。このような悲しみを越えつつ、按察使の大納言の一族は繁栄し、これを見届けた按察使の大納言の幸福は世の語り草となる。
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■『あさぎり』
鎌倉末期の成立とも考えられるが、鎌倉末から南北朝室町と広く幅をとって考える見解も。
姫君は、男君と契りを結び愛し合っていたが、男君を婿にしていた左大臣家の奥方は、男君の左大臣家への訪れが途絶えることに気に病み、祈祷を行った。すると男君は、記憶喪失となり、姫君から離れてしまう。
姫君は失意の内に、叔父の左大臣に引き取られ、皇太子妃となり、そして皇太子は天皇として即位することになる。
一方、いつしか記憶を取り戻した男君は、姫君との思いが成就しないことを苦悩を続け、病死、それを聞いた姫君も、男君の運命には涙した。
とはいえ姫君への帝の寵愛は深く、たいへん恵まれためでたい運命であった。
■『松陰中納言物語』
鎌倉末から南北朝にかけての成立か。室町以降とする説もある。
様々なキャラクターの紡ぐ物語をつなぎ合わせ、多様な場面転換を含む複雑な構成となりながら、破綻無く全体を一つの大きな物語にまとめ上げた良作と評価される。
山の井の君は、いい年こいて、帝の側に仕える女官の藤内侍に想いを寄せるが、使いっ走りにした子供に「まさか恋とかしてるの?もう50過ぎでしょ。性格も悪いし、顔は猿みたいだし。(心をかけ給へるにや。もはや五十路にも過ぎなん。心はまことにさがなくて、顔は猿のようになんあるものを)」などと内心あきれられる有様で、ほとんど相手にされない。一方、この内侍には松陰中納言も思いを寄せており、帝は、松陰の邸宅を訪れた際に、松陰に内侍を下賜する。
山の井は松陰を恨み、松陰に含むところのある連中と共に、松陰失脚の陰謀を巡らす。
山の井一党は関東で蝦夷の平定に当たっていた松陰の弟が蝦夷を従え都に攻め上るとの偽情報を帝に讒言した上で、松陰を偽手紙で宮中に呼び出し、捕縛、松陰の一族は失脚して、松陰自身は隠岐に流罪となる。
ところがその後、皇太子は山の井の邸宅を訪ねた折のふとした会話から山の井に不信を抱き、調査を開始して、山の井の陰謀を暴く。
濡れ衣は晴れ、松陰は復帰、山の井一党は左遷され皆没落する。
松陰の一族は栄え、松陰の配慮で、山の井一党へも寛大な処置が採られていくが、辛酸をなめた山の井一党はみな仏教へと心を寄せるようになっていった。
南北朝期の宗良親王周辺に作者を探る見解がありますが、関東で勢力を養って京都進撃みたいな壮大な軍略が簡単に人々の頭に浮かび帝までそれを警戒して動くって設定は、
なるほど、
東北、北陸、関東、九州とはるか僻遠で急遽軍勢かきあつめて京都まで長駆進撃とかいう、やたらと壮大な戦略が、何度も何度も計画実行された南北朝動乱時代の人間のアイデアというにふさわしいかもしれません。
(原文引用は『中世王朝物語全集』より)
■『兵部卿物語』
『兵部卿宮物語』とも。鎌倉末期から室町の成立。おそらくは鎌倉時代ではなく南北朝以降。
兵部卿宮は従妹の姫君に想いを寄せるが、色々と思うところや事情があって結ばれることが出来ず、そうして悩む間に、素性を隠して姫君に似た女君を見出し手を出したりしていた。ところが宮が悩むあまりに引きこもっているうち、宮を心配する周囲の人々によって宮と右大臣の娘の縁談が進められてしまい、しかも女君は宮が頼りにならないと言うことでその右大臣の娘の元に侍女として仕えることが決まる。宮は、結婚も近づくと、気に入らない結婚よりは、せめて姫君に似た女君を姫君の代わりにしようとか考えて、女君を再訪するのだが、時既に遅し。宮は女君を失うことになる。
ところがこの結婚によって宮と離れたはずの女君は宮の近くに入り込むことになり、結婚後、宮は妻の元に女君を発見、ちょっかいをかけ始める。ところが女君は、これを拒否して、しまいには脱走してしまう。その後も宮は、女君に執着し続けるが、女君や出家し、逃げ隠れ、決して宮は、女君と再会することはできない。
■『八重葎』
『やへむぐら物語』『やゑむくら物語』『やへむくら物語』とも。少なくとも鎌倉時代以後、おそらくは南北朝時代頃と考えられる
中納言(23、4歳)は、母親を失って叔母に預けられ荒れ果てた屋敷に住んでいる姫君(12、3歳)を見出してそこへと通うようになるが、中納言の母が病気になったため、彼は気ままに歩き回ることが出来なくなった。そのため中納言は姫君と疎遠になり、母が持ち直して中納言が動けるようになった頃には、既に姫君の叔母が中納言を見限って、姫君を別の男に嫁がせようとしていた。姫君はその男に迫られて心労によって死んでしまう。その後、中納言は、姫君の墓に詣でる。
■『別本 八重葎』
鎌倉時代後期の成立かと考えられている。『八重葎』という題名の書が別にあるので、それと区別するため別本を付けて呼ばれている。
困窮の中で大将を待ち暮らす姫君の元に、大将に化けた狐が訪れるという怪異の物語。
『源氏物語』のヒロインの一人である末摘花が光源氏を待つという内容の『源氏物語』の別伝として読めるように、作られた作品であると解されている。
■『しのびね』
平安末期の散逸した物語の改作本。一般に南北朝期の改作と考えられているが、改作時期はさらに後の時代である可能性も。
優れた人物として名高い男君が、山里の姫君を見出し、世話をする尼君を説き伏せ結ばれ、若君も誕生した。しかし男君の父の内大臣は男君に左大将家との政略結婚を強制し、さらに二人の中を妨害する。やがて姫君は宮中に出仕、彼女の美貌に惚れ込んだ帝は、彼女の男君への想いを察知しつつ、彼女に熱心に迫る。これを見た男君は、父や我が子への、帝の憶えが悪くなることを考えれば、姫君とともに駆け落ちするわけにもいかないと、姫君には帝に仕える事を勧め、一緒にどこまでもつれて逃げて欲しいと迫る姫君を振りきって、出家してしまう。姫君はたいへん寵愛された。
後に彼女は、若君に出家した父を捜し出すように言い、若君は男君を見つけ出して、しばしば父を見舞って贈り物や訪問を行った。
参考資料
『新編 日本古典文学全集』小学館
『中世王朝物語全集』笠間書院
『体系 物語文学史 第四巻 物語文学の系譜II 鎌倉物語1』三谷栄一編 有精堂出版
『体系 物語文学史 第五巻 物語文学の系譜III 鎌倉物語2』三谷栄一編 有精堂出版
中村真一郎著『色好みの構造-王朝文化の深層-』岩波新書
『鎌倉時代物語集成』笠間書院
『中世王朝物語・御伽草子事典』勉誠出版
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
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