「あっちが神ならこっちは女神だ」~日本の王権について民俗学的に考える~
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さて、「女神」といえば80年代ジャンプの人気を支えた一つである「聖闘士星矢」でも聖闘士たちはヒロイン城戸沙織を「アテナ」(ギリシアの女神)として立てていました。また、同時期の人気漫画「北斗の拳」にも似たような逸話があります。「北斗」世界でラオウ死後に勢力を誇った中央帝都は、天帝の名の下に暴虐な政治を行っていました。実は卑劣漢・ジャコウ総督が天帝を幽閉し、その権威を傘に来て好き放題していた訳ですが、その天帝の正体は妙齢の美少女・ルイ。そして更に幼少時よりケンシロウを慕って付き従い、この時は帝都に反旗を翻した「北斗の軍」の指導者だった少女リンもその双子の妹だったのです。つまり中央帝都も北斗の軍も「天帝」すなわち「女神」を奉じて戦っていた事になるわけですね。
以上のように、バトルものの少年漫画において主人公達が「女神」のため戦っているというのは珍しくないようです。してみると幽助の台詞は彼自身の恋愛のみならず少年漫画的にも象徴的なものと言えるかもしれません。
ところで、一説によれば「北斗」作中では「天帝」は「帝都」に住む「天皇」をもじっており、同様に帝都を守護する拳法「元斗皇拳」の「皇拳」は「皇軍」のもじりだとか。因みに元斗皇拳最強の戦士であるファルコは、旧日本陸軍一式戦闘機「隼(はやぶさ)」(=ファルコン)に由来するそうで。つまり中央帝都は、天皇の権威を借りて圧制をしいた(とされる)戦中の軍部を暗喩したということになるわけですね。
「ホビネの折り込み広告」(http://www.hobbynet.co.jp/orikomitirasi/)より
「海洋堂製”北斗の拳 世紀末激闘録 金色のファルコ”」
(http://www.hobbynet.co.jp/orikomitirasi/archives//20070721143216.html)
この説が事実だとすると、「北斗」作者は天皇に女性的なイメージを持っていたことになります。こうしたイメージはどのくらい一般的なものなのでしょうか?そういえば日蓮は書状で日本は女性の人口が多いとされている事に言及し原因を「天照大神と申せし女神のつきいだし給る島」である事に求めています。日蓮にとっては日本は「女神の国」だったのでしょう。だとするとその国の統治者には確かに女性的イメージがふさわしいかもしれませんね。という訳で今回は天皇のイメージとその由来について少し考えていきたいと思います。
さて我が国の天皇には、古来より女になって恋の歌をうたうという不思議な伝統がありました。例えば宮中の歌合では、天皇は「女房」の名で披露されるのが通例だったとか。女房に身をやつして恋の歌を詠んでいたわけですね。民俗学者・折口信夫がこれらの歌は「呪言」であると解釈している通り、天皇が「女房」として仕え恋の歌を呼びかける相手は天皇より上の存在である神と考えるのが妥当でしょう。そういえば、天皇の最も重要な仕事といえば古来より五穀豊穣や四季の正常な運行を祈る祭祀であり、これは巫女の仕事であったはずです。つまり、天皇は「姿形をかえた巫女」として神を祀る役割を果たし、神に恋の歌を呼びかけることで訴えかけているのです。やはり天皇には古来より女性的なイメージがあったのですね。一方で中国や朝鮮半島における王権にはそうした側面はなく、天壇で北極星を祭り強力な支配をする男性的なイメージが主のようです(西洋の王権もまた、軍最高指揮官であり男性的なイメージと言ってよいでしょう)。日本の天皇にも無論男性的な性格はありますし、律令を取り入れる際に男性的な王権を目指したのです(「天皇」という称号自体、北極星信仰に端を発するといわれています)が、どうして日本の王権はこのような特徴を色濃く持ったのでしょう。
琉球では、古来より男が船で漁に出る際にはその姉妹(オナリ)が浜に出て海を見守る習慣があったそうです。そして嵐が競うになると浜で布を振ったり火を焚いて危険を知らせるのが常でした。一方で、男達はそうした姉妹の身につけた布や髪の毛を守りとして身に付け、それが危難から守ってくれると信じていたのです。ここから、女性には旅立つ男達を守る霊力があると信じられていた事が分かります。他国へ渡る恋人を袖を振りながら見送り続けた松浦佐用姫の伝説が九州に残っていますが、これもその変型であるといわれます。柳田国男・伊波普猷らはこの伝承を「オナリ神」と呼んでいます。海に出る男達を女性の霊力が守るという信仰は中国南部や東南アジア地域に広く分布しており、極東全域に波及しました。例えば中国の媽姐・朝鮮半島のヨンドン・日本の宗像三神への信仰もその影響といわれています。女性の霊力という点から考えて、女性シャーマンがこれらの地域で重んじられているのも偶然ではないでしょう。
日本でも女性の霊力が重んじられた一例として、女性が祭祀・男性が政治を分担する体制が太古において採られていた事が挙げられるでしょう。高群逸枝はこれを「ヒメ・ヒコ制」と呼んでいます。折口信夫も似たような考え方をしており、「万葉集研究」で我が国の政は神と天皇の仲立ちである「なかつすめらみこと」が神意を受け「すめらみこと」が実施に移すのが伝統的な形であるとしました。更に折口はこの説を一歩進めて女帝とは「なかつすめらみこと」が前面に出たものであって天皇家の伝統に背くものではないと「女帝論」で述べています。
こうした体制の例としては邪馬台国の卑弥呼とその弟が最も知られていますが、「日本書紀」によれば神武即位直前にもウサの国でウサツヒコとウサツヒメの祭政分担がなされていたとされていますし大和政権成立後も巫女と大王の役割分担がなされた例がみられます。また、「隋書倭国伝」には「夜明け前に天である兄(え)がマツリゴトをおこない、夜が明けると太陽である弟(おと)が政治をみる」と記されていますが、「兄」「弟」は男女を問いませんからここでは推古女帝が祭祀を行い摂政聖徳太子が政務を司った事を記した可能性があります。これが常態であったとは限りませんが、七世紀初頭までこうした伝統の名残があった可能性は指摘してよいのではないでしょうか。
上記の男女の分担が行われた背景として、当初は女性の祭祀のみが存在したが集落の規模が大きくなるに従い、集落の争いや霊力ある巫女の奪い合いが行われたため男性が巫女を守護し軍事や世俗事項を担うようになっていったのではないかと考えられています。それが、巨大な国家が成立し政治的に整備される事で男性の力が強くなっていき男性が祭祀の役割も担うようになったものでしょう。
ところで、中国南部・東南アジアにおける女性霊力信仰として、他に稲神としての女神信仰が挙げられます。チワン族・リー族・トウチャ族とも稲をもたらした女神を崇める風習が見られますし、湖南省周辺のトン族は祖先神「薩神」を崇めその再来といわれた女性の子孫を神の子として尊重しています。また、女神・稲・太陽を一体のものとして崇めるジィ・ササセという儀式が行われている点も特筆すべきでしょう。太陽の女神である天照大神の子孫とされる皇室を尊重し、稲を捧げ天照大神と天皇が一体化する大嘗祭が行われる我が国と実に似ています。大嘗祭では天照大神が縫ったとされる「真床覆衾」を天皇が纏う事によって天照大神と一体化するといわれており、折口は「大嘗祭の本義」で「昔は天子様の御身体は、魂の容れ物である、と考へられて居た。天子様の御身体の事を、すめみまのみことと申し上げて居た。」「此すめみまの命に、天皇霊が這入つて、そこで、天子様はえらい御方となられるのである。」と天皇霊と一体化する必要性に言及した上で「肉体は、生死があるが、此肉体を充す処の魂は、絶対一貫して不変である。」「肉体は変つても、此魂が這入ると、全く同一な天子様となるのである。」と信仰上は天皇は全て等しくアマテラスと同一であるとしています。とすると、天皇は大嘗祭をする事でまさしく「女神」となるという事になります。
以上のように、航海守護や稲神・太陽神としての女神信仰、女性シャーマン重視といった性質が中国南部の少数民族を中心に見られており、東南アジアや日本に波及したと推測されます。そして、日本で中央集権的な古代帝国が成立し、儒教・仏教の影響もあって中国を模した男性中心の祭祀・政治体制が確立し女性が「不浄」として祭祀から締め出された(従来の女神も山姥・産女といった妖怪として貶められていきました。一方で仏教の影響により仏母・愛染明妃・鬼子母神といった新たな女神信仰も生れていますが。)後もヒコ(男性)の末裔たる天皇がヒメ(女性)の役割を吸収し両者を兼ねる形でそうした伝統が残存したのでしょう。天皇は皇帝であると同時に、南方的な「女神」であり「巫女」でもあった。ここに中国や西洋の男性的な王権と比較した日本の特徴がありそうですね。とはいえ、近代になると明治天皇が明治十一年以降は「恋の歌」を詠まなくなったのに象徴されるように、天皇は西洋的な「大元帥」として専ら男性的なイメージになるわけですが。近代というのは、つくづく日本伝統の価値観という側面から見ると例外的な存在ですね。
「あっちが神ならこっちは女神だ」
この台詞は、王権や信仰の観点で日本(そして南方少数民族たち)を象徴的に表現したものとも言えるようです。更に言うと、国学や民俗学は天皇に女性的イメージだけでなく「弱さ」を内包した「凡夫」の代表であり人々の弱さを許容する存在としても捉える傾向がありました。柳田国男が戦後に「天皇の一般的なものの考え方や行動としては常民となる」と述べているのはその一例といえましょう。「女神」であり「弱さ」を内包した人間でもある。
やっぱり、「北斗の拳」が描いた天皇のイメージは大きな間違いではなさそうです。ま、日本の場合、政治的実権を失い権威だけの存在になった時代が長かった関係もあって国学者や民俗学者の目にそのように映ったのでしょうが、そう見えるだけの何かが天皇にあったのも確かだと思います。
【参考文献】
姫神の本 学研
天皇と女性霊力 諏訪春雄 新興社新書
一万年の天皇 上田篤 文春新書
日本史の中の天皇 村上重良 講談社学術文庫
天皇陛下の全仕事 山本雅人 講談社現代新書
大飢饉、室町社会を襲う! 清水克行 吉川弘文館
<弱さ>と<抵抗>の近代国学 石川公彌子 講談社選書メチエ
日本大百科全書 小学館
エンカルタ百科事典 マイクロソフト
幽☆遊☆白書 冨樫義博 1-19 ジャンプ・コミックス
北斗の拳 武論尊原作 原哲夫画 1-15 集英社文庫
聖闘士星矢 車田正美 1-15 集英社文庫
関連記事:
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「(後半)」
「お姉ちゃんと弟と―アマテラスとスサノオの『誓約』について―」
「神様に、ファインプレイを―神道における祭祀への一考察―」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021206.html)
「本居宣長」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011214.html)
関連サイト:
「幽☆遊☆白書」(http://pierrot.jp/title/yuyu/index.html)
「幽白 Search!」(http://www.yuyuweb.com/yu-yu/)
タイトルから幽白目当てで来られた方は、こちらからお好みのサイトへどうぞ。
「聖闘士星矢」(http://www.st-seiya.net/)
「北斗の拳 25th Anniversary Project」(http://www.hokuto-no-ken.jp/)
「北斗の庭園」(http://raoh.info/)より
「三十一篇全比較―18新伝説創造篇」(http://raoh.info/001-hokutology/001-idea/01-04-18.html)
中央帝都と戦前日本の暗喩について少し言及があります。