バチカンの危機~「悪魔じゃ、悪魔のしわざじゃ!」~
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「goo辞書」(http://dictionary.goo.ne.jp/index.html)より
「キリスト教最大の祝祭と重なったカトリック教会の危機」
(http://dictionary.goo.ne.jp/study/newsword/monday/20100405-01.html)
何とも破廉恥な話ではありますが、まあカトリックの聖職者が性的にアレなのは今に始まったことではありませんから、それ自体は別に驚くほどの事ではありません。
参考記事:
「西洋史における聖職者の性欲処理について」
ついでに言うと、上記記事にも「宗教というのは違いよりも実は共通点の方が多かったりするものです」なんて書かれているように別にキリスト教に限った話ではありませんしね。
参考記事:
「ウホッ!いい日本史… 前近代日本男色略史」
「男色の対象年齢を日本史をもとに考える ~男の娘の華の命をどこまで延ばすか菊の露~」
ただ、今回問題視されているのは同様な問題が各地で見られながらバチカンがしかるべき対応を取らなかった事、そして何より、過去にも神父の問題行動を調査処罰する担当者が同様な問題を隠蔽したのではないかという疑惑がある事とその担当者が現教皇であるベネディクト16世であったという事です。単なる聖職者の性的不祥事に留まらず教皇本人を巻き込んだ大スキャンダルとなっているようで、教皇の辞任要求をするか云々なんて話も出ているとか。とか言っていると続報が。
「goo辞書」(http://dictionary.goo.ne.jp/index.html)より
「「法王を逮捕せよ」とイギリスの著名学者が バチカンの危機・続」
(http://dictionary.goo.ne.jp/study/newsword/monday/20100412-01.html)
何でも、教皇(当時、ラッツィンガー枢機卿)は報告を受けてから三年間対応した様子がなく1985年の書簡で「普遍的教会のためを考えてもみたまえ。私たち信者はこのような出来事を慎重に検討する必要がある。それにはもっと時間がかかるものだ」と問題を棚上げする方針を示し、問題の神父が解任されたのは更に二年後であったとか。あららら。教皇様も漫画「ムダヅモ無き改革」作中ではカッコ良かったのになあ。で、その書簡が現教皇のものである事をバチカンも認めており英国では動物行動学者リチャード・ドーキンスが教皇を「人道に対する罪」で逮捕せよと主張しだしたそうで。
因みに冒頭の記事によると世界的な厳しい追求に苦しむバチカン側は、「悪魔のなせる技だ」と苦しい言い訳をしたり「集団暴力にさらされた経験のあるユダヤ人なら理解できるだろう」「個人の責任を集団に負わせようとする(カトリック教会非難の)やり口は、ユダヤ差別の最も恥ずべき側面を思い出させる」と逆ギレしたりして更に反発を受けたりしているようです。
聖職者というのは、欲望を厳しく抑える事になっている分、かえって欲に歪みが出るのかもしれませんな。清く正しい建前掲げてる人々は、逆に胡散臭い事が多いようにも思いますし。で、組織となるとそれを建前上の理由から覆い隠したりして結局は余計に問題が大きくなる。欲望は、実害のない範囲で適当に小出しにしたり非現実世界で発散する分には寛大にして風通しが良い位がちょうど良いのではないかと思います。
参考記事:
「猥談と品行について」
まあ、少なくとも言えるのは、このような麗しい実績をお持ちの宗教に児童ポルノの悪影響が云々なんて言われたくないって事でしょうか。せめてこの手の犯罪発生率を日本より低くしてからものを言うべきでしょうに。禁欲的な規制が生み出しうる最悪の展開をバチカン自らが示してくれているのかも。東京都を始めとする地方自治体に創作物規制の動きがあるようですが、今回話題になったような(禁欲的なはずの)聖職者における実態はこの問題を考える上で頭にとめておくべき事例ではないかと思います。
参考記事:
「エロと品性と規制と失政の話」
この話題で終わるのも後味悪いでしょうし、ここは歴史ブログなので以降は歴史から関連する軽い話題を。日本でも昔は何かがあれば「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」なんて言っていたようですし一時期はネット上でもネタとしてこの台詞が散見されましたが、「悪魔のなせる技」なんて似たような発想はどこでもあるんですねえ。
参考記事:
「天狗じゃ、天狗の仕業じゃ!」
また古代ギリシアでも何かおかしな事をやらかしてしまった際には「ダイモン」の仕業なんて言っていたようです。で、その「ダイモン」からの御告げに従って動いていたと称していたのが哲学者ソクラテス。周囲から見れば奇人変人以外の何者でもなかったであろう事は想像に難くありません。
関連発表:
「引きこもりニート列伝その9 ソクラテス・プラトン」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet09.html)
バチカンが二十一世紀にもなって自らの不祥事やそれに対する糾弾を「悪魔の仕業」といってるのはどうかと思いますが、流石に悪魔の実在を信じているわけでなく聖職者を堕落に導いた誘惑の事を暗喩しているようです。冒頭の記事はこれに対しても「いやいや、誘惑に負けるというのはケーキ断ちしたはずなのに食べちゃったとかそういう時に使う言葉で、子供たちを強姦し性的にもてあそぶことを『誘惑に負けた』とは言わないと思う」と非難しています。そういえば、十二世紀末の我が国で朝廷の主・後白河法皇が源義経の要求で源頼朝追討令を出した事を頼朝から責められた際に「天魔の所為」と弁解して逆に「日本国第一の大天狗」呼ばわりされた事がありました(「大天狗」が法皇自身を指しているかについては異説あり)。この手の言い訳は飛んだしっぺ返しを食らいかねない諸刃の剣であるようです。それにしても、後白河も天狗だったりエロマンガ好きだったりと随分な御方です。
参考記事:
「エロマンガ大王 後白河法皇 ~日本エロマンガの歴史は天皇家より始まる~」
因みに、「ダイモン」に導かれていたソクラテス、エロマンガ大好きなスケベ天狗・後白河法皇、天狗を目指した武将・細川政元…。彼等の生き様に興味を引かれた方は、『ダメ人間の世界史』と『ダメ人間の日本史』を御覧いただければ有難いです(どさくさに紛れて宣伝)。
ニュース記事から派生して色々と語ってみましたが、要するに「変に清く正しく偽善者ぶるとかえって腐敗は強くなるかもしれない」という事や「やらかした時の言い草・言い訳は古今東西変わらないようだ」という事です。
【参考文献】
人物叢書後白河上皇 安田元久 吉川弘文館
ソクラテス 田中美知太郎 岩波新書