貴人への性教育について
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王朝貴族の間では、十世紀頃から年頃の貴族女性には春画を見せて通ってくる男が何をするか悟らせていたそうです。この風習は徳川期の大名家にも引き継がれたようで、嫁入り道具に春画を持たせる事が常であったとか。他に、島津家の姫君に乳母が性生活における心構えについて指南した文書が現存していたりするそうです。
さて、ここで肝心の皇室について話を移しましょう。皇統が断絶しないようにするためには、天皇・皇太子を始めとする男性皇族が直系子孫を残す必要があります。そこで、天皇への性教育が重要なわけですが、やはり春画が用いられたようで京都御所には数多くのそうした絵が残っているそうです。そして、一説によれば実践教育についても意が用いられており、十世紀ごろからは成人前に乳母が筆おろしをするのが通例になっていという話も。例えば、以前の記事でも少し触れましたが後深草天皇は、「わが新枕は故典侍大にしも習いたりし」(「とはずがたり」)と述懐しているように乳母の典侍大が初体験の相手だったそうです。そして後深草は彼女を忘れかねて、その娘を養育し成長するや手を出したのは以前に述べた通り。
こうした例は他にもあった可能性があり、真偽の程は不明ですが例えば花山天皇は中務に、仁明天皇は岑継女にというように、それぞれ乳母を妊娠させ子を産ませていると伝えられています。なるほど、ありえる話ではあります。皇子は中学生位で激しい性欲をもてあましている年代ですし、乳母もまた成熟した肉体を持ち普段から性的欲求不満を蓄積していたでしょうから双方とも燃え上がったであろう事は想像に難くありません。
そういえば、これも以前に触れた事ですが足利政権第八代将軍義政は乳母である今参局を側室として寵愛した事で知られています。おそらくは、皇室と同様な事情で筆おろしを勤め、そして義政にとって離れがたい存在となったのでしょうね。
皇室や貴族だけじゃなくて一般人でも、似たような話があります。播磨・摂津・丹波周辺の村落ではかつて十三歳から十五歳頃になると少年少女は他の村の親戚に挨拶に行き「フンドシ祝い」「コシマキ祝い」をするところがあったとか。その際にはまず、他の村の親戚の家に祝いの品(酒、餅、米など)を持参して昼間訪れ、神前に供え物をします。で、その家では年長な異性の親戚以外は所用と称して予め留守にしており、男の子は褌の締め方、女の子はお歯黒の塗り方・腰巻の巻き方を教わるとともにそれぞれ初床の作法を教わって初体験を済ませたそうです。で、その際の関係が長く続く事例もままあったようです。少年少女が一人前と認められるにはその儀式を済ませる必要があったらしいですが、実際には器量が良かったりするともっと早くに初体験を済ませていたり、逆に容姿に恵まれなければなかなか機会に恵まれずやむなく父母が相手をして男や女にしてやったケースも存在したと言われています。やはり思春期に入った時点で親しい年長者が実地性教育をしていたという点では上述の事例と共通しており、珍しい事ではなかったのですね。
これについて、日本以外ではどうなっているのでしょうか?中国の事例を少し見てみます。明末の天啓帝時代(十七世紀前半)において悪宦官・魏忠賢が専横の限りを尽くし王朝の屋台骨を傾かせた事は有名ですが、彼と手を結びその支えとなったのが皇帝の乳母・客氏でした。若年であった皇帝は十六歳で即位した後も彼女に強く執着し「奉聖夫人」なる称号を贈るほどでしたが、客氏も天啓帝の自分への寵愛が他の女性に移らないように皇后や側室たちが身篭ると軟禁・殺害によって除いていったといわれています。してみると、彼女と皇帝の結びつきにも性愛的なものがあり、やはりその契機が乳母による筆おろしであった可能性が否定できません。真相は今となっては闇の中ですけれど。
なお、余談ながら中国の宮廷では宦官・チベット仏教僧の手引きによって宮殿に安置された歓喜仏に礼拝させ、秘仏に接しながら性愛の実地教育がなされる事が多かったそうです。
さて、我が国のこうした性教育は近代に入ると見られなくなったようで、福田和彦氏によれば今上天皇陛下に関連しては以下のような逸話が伝わっているとか。
余談だが、いまの皇太子殿下(NF注:今上天皇陛下の事)は乳母からも、あるいは侍従からも春画(まくらえ)を見せてもらってはおらず、この方面についてはきわめてオクテであった。殿下の学友たちが心配して、もう、二〇歳(はたち)にもなるのに、殿下はサッパリらしいと、近親の学友たちが思いあまって、この方面の学識者、高橋鐵氏の門を叩き、氏の著作『りんが・よに』、『性愛五十年』の二著を借りうけて、殿下にそっとよませた。
殿下は熱心に読まれ、性知識も豊かになられ、無事、美智子妃殿下(NF注:現皇后陛下)とご成婚をすませお世継もめでたくもうけられた。
しかし、哀れをとどめたのは高橋鐵氏である。皇太子に著作を奉呈したことが露見し、警視庁の取調べを受け、きわめて不敬の限りであるとされ、約一ヵ月間、八王子医療刑務所にブチ込まれ、クサイ飯を食わされるハメになった。
(福田和彦『江戸の性愛学』 河出文庫 40頁)
これが事実だとすると、皇統断絶を防ぐため多大な貢献をなした「功臣」を罪に問うた事になり、尤もらしく御立派な「道徳」とやらがいかに胡散臭いか分かると言えます。だが、ちょっと待ってほしい。高橋氏の著作にある年譜から判断する限り、上記二著作が出版されたのは戦後の事。…戦後にこうした事で不敬だとかいわれて罪に問われる事があるのか、と考えるとこの逸話が事実かどうかは極めて疑問ですな。尤も、戦前だったらありえなくもない気はしますけどね。
まあともかく、皇室の跡継ぎ問題とか一般社会の少子化とかを考えると、道徳的な面だけでなく如何に次世代を確保するかという面から見ても性教育は重要であるといえます。猥褻だと目を背けるのでなく必要な知識を手に入れさせるという点において、こうした昔の知恵にも学ぶところがあるかもしれません。…いくらなんでも育ての乳母で筆おろし、なんてのを復活させるわけには行かないでしょうが。
【参考文献】
江戸の性愛学 福田和彦 河出文庫
江戸の性風俗 氏家幹人 講談社現代新書
性と日本人 樋口清之 講談社文庫
とはずがたり 冨倉徳次郎訳 筑摩書房
死の日本文学史 村松剛 中公文庫
乳母の力 田端泰子 吉川弘文館
夜這いの民俗学 赤松啓介 明石書店
酒池肉林 井波律子 講談社現代新書
中国の閨房術 土屋英明 学研
宦官 三田村泰助著 中公新書
日本の神話 高橋鐵 河出文庫
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「後醍醐天皇」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/010706.html)
歴代天皇の中でも好色・子沢山で知られています。
「明朝衰亡・上」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/000519.html)
「明朝衰亡・中」(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2000/000707.html)
関連サイト:
「浮世絵」(http://www1.ocn.ne.jp/~matikado/index.html)
様々な春画を閲覧する事ができます。無論、18歳未満の方は閲覧禁止です。
「泳ぐやる夫シアター」(http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/)より
「やる夫は鎌倉幕府を成立させるようです 巻第拾玖」(http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-entry-2037.html)
乳母関連の話題について冒頭で言及があります。