Otto Hintze 『国家組織と軍隊組織』 山田昌弘訳 新装版 訳者解説・目次
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はじめに
これは、軍事制度と戦争についての基本的に重要な文献とされる Otto Hintze の論文 "Staatsverfassung und Heeresverfassung" (Dresden, 1906)
の日本語訳です。
かなり意訳しており、逐語訳にはなっていません。私のドイツ語力と日本語力では、とうてい理解可能な逐語訳を作ることはできないからです。そして、誤訳が大量にあるでしょうし、訳し忘れた文さえあるかもしれません。また、私の西洋史の知識が不十分であるため、専門用語や、通常日本語訳しないような語句にも、無理矢理、普通の日本語を当ててあり、ひょっとすると西洋史に詳しい人から見れば違和感があるかもしれません。しかも、これだけのことをしておきながら、 本当に、普通の読みやすい日本語になったかどうか、不安が残ります。とはいえ、問題点のある翻訳にせよ、無いよりはあったほうがマシでしょう。
注は省略しました。(それほど内容のない注だったので、省略して問題ないと思います。)
なお、これは他で公開していた文章を、当ブログに移転してきたものです。
移転に際しブログの字数制限に合わせて四分しましたが、本来一続きの文章です。
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オットー・ヒンツェについて
ドイツの歴史家。1861年、プロイセン王国ポンメルンの小都市ピュリッツに、中級官吏の息子として生まれる。1878年からグライフス大学、1880年からベルリン大学において言語学、哲学、歴史学を専攻。1884年に学位、1895年に教授資格を獲得、ベルリン大学哲学部私講師となった。1899年ベルリン大学員外教授。1902年ベルリン大学における法制史・経済史・行政史・政治学の正教授職が新設されると、この教授職に就任。生涯を通じてベルリンに留まることになる。1914年にプロイセン王立アカデミーの会員に推挙される。眼疾の悪化により1920年以降ベルリン大学の講壇から身を引くが、その後も研究は続ける。1933年の第三帝国成立後は研究成果の公表をしていない。1938年、夫人がユダヤ人であるため、プロイセン王立アカデミーの会員資格を剥奪される。1940年78歳で死亡。
近代国家の形成について研究。個性的・具体的な行動の考察に重点を置く、伝統的な歴史学と、社会構造の抽象的・理論的な分析を行う社会学を、統合することに、戦間期の学者としては、唯一成功を収める。国内政治と国際政治の相互関係の中で、国家形成を両面的に考察するところに、その研究の特色がある。
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