<読書案内>芥川龍之介「戯作三昧」~出版の取り締まりは、今も昔も~
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「戯作三昧」は大正六年(1917)に執筆された芥川の初期作品で、彼の勤務先であった「大阪毎日新聞」に掲載されました。徳川後期の大戯作者・滝沢馬琴(「南総里見八犬伝」の作者)を主人公に据えてその日常と心情を描いています。作中では、馬琴の視点から他の作家や出版元を含めた周囲の人々への皮肉混じりな見解や創作への情熱などが語られており、芥川が馬琴を自身とダブらせていたのではないかと思わされるものがあり興味深いです。中でも、末尾で馬琴が「根かぎり書きつづけろ。今己(おれ)が書いてゐる事は、今でなければ書けない事かも知れないぞ。」と疲れも知らず物に憑かれたように着想が湧き上がるままに筆を動かし続ける場面は強く心に残ります。
そして、それ以外に印象に残った場面としては馬琴が親交のあった画家・渡辺崋山との会話で自作品への検閲や取締りについて話題が及び憤懣をぶちまける場面を挙げておきましょうか。ここでは、馬琴が以前に改名主(検閲官)から作中に役人が賄賂を取る場面があったのを咎められ削除させられたことを思い出して
「改名主などいうものは、咎(とが)め立てをすればするほど、尻尾(しっぽ)の出るのがおもしろいじゃありませんか。自分たちが賄賂をとるものだから、賄賂のことを書かれると、嫌(いや)がって改作させる。また自分たちが猥雑(わいざつ)な心もちにとらわれやすいものだから、男女(なんにょ)の情さえ書いてあれば、どんな書物でも、すぐ誨淫(かいいん)の書にしてしまう。それで自分たちの道徳心が、作者より高い気でいるから、傍(かたはら)痛い次第です。言わばあれは、猿が鏡を見て、歯をむき出しているようなものでしょう。自分で自分の下等なのに腹を立てているのですからな。」
と怒り心頭。他にも、牢へ衣食を送る場面を削られたりと色々横暴な目にあっているようです。結局、二人は改名主による干渉に関して
「しかしこの後五十年か百年たったら、改名主の方はいなくなって、八犬伝だけが残ることになりましょう。」
「八犬伝が残るにしろ、残らないにしろ、改名主の方は、存外いつまでもいそうな気がしますよ。」
「そうですかな。私にはそうも思われませんが。」
「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも絶えたことはありません。焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)が昔だけあったと思うと、大きに違います。」
「御老人は、このごろ心細いことばかり言われますな。」
「私が心細いのではない。改名主どものはびこる世の中が、心細いのです。」
と感慨を述べ合った末に「では、ますます働かれたらいいでしょう。」「とにかく、それよりほかはないようですな。」(以上、括弧内は「青空文庫」の「芥川龍之介 戯作三昧」より引用)という結論に至っています。本作中の馬琴は作品の「卑俗さ」を咎める権力・検閲者や世俗の偽善に憤り、それでも書かずにはおれませんし、書き続ける事によってしか対抗する術がありません。上述した末尾の場面を合わせてみると、小市民的な現実世界の矛盾を芸術の力で昇華しようという芥川初期の芸術主義を象徴するかのようですね。
ところで「南総里見八犬伝」といえば勧善懲悪ものでお上から睨まれる要素の少なそうな名作古典というイメージですが、娯楽文化作品である事も考えると実際は幕府から低俗と見られていても確かに不思議ではありません。更に、馬琴には「八犬伝」を通じて当時の退廃した世相を婉曲に風刺する意図があったようですから、それを勘付かれ睨まれていた可能性だってあります。そして、芥川が「戯作三昧」を執筆した時期にも、彼はひょっとすると同様な雰囲気を感じ取っていたのかもしれませんね。大逆事件(明治末の天皇暗殺未遂事件を契機とする社会主義者への大弾圧)から余り間がない頃ですし。
それにしても、前近代である徳川期が舞台のはずなのに昔の話な気が全くしませんね。特に(理由はどうあれ)お役人が「低俗な」出版物に性的な話題が書いてあればすぐに猥褻とみなして取り締まり自分たちは高潔な気でいるという辺り、人間というのはそう進歩はしないものだと思わされます。名前や姿は変われども、残念ながら改名主のような人間は確かに絶える事はないようです。馬琴の(というか、芥川の)言葉通りですね。今も昔と変わらず、世の中が、心細いですな。
【参考文献】
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「芥川龍之介 戯作三昧」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/38_14487.html)
日本大百科全書 小学館
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「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―その2」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/genji.html)
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