敗戦を人々はどのように受け止めたか~「敵はアンフェア、味方は英雄」~
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敗戦時には、敵が物量で圧迫したに過ぎず、味方は正々堂々と戦って敵を苦しめたのであり弱くて負けたのではないという受け止め方がされる事が少なくないようです。
例えば、アメリカ南北戦争で北軍従軍記者は南軍兵士の言葉として
「フェアな戦いだったら、我軍はお前たちを立派に打ち負かしていただろう。」(ヴォルフガング・シヴェルブシュ『敗北の文化 敗戦トラウマ・回復・再生』福本義憲・高木教之・白木和美訳 法政大学出版会 18頁)
というものを紹介しています。
類例で知られているのが第一次大戦後のドイツであり、「一〇回は多勢に無勢、二七回は騙された」や「戦場では不敗」(いずれも同書 18頁)という言い回しがなされたとか。
この手の表現で最も著しいのはフランスで、1346年に行われたクレシーの戦い(フランス軍がイングランド軍の長弓兵により大敗した合戦)について、1976年に出版された歴史教科書で
「一人ひとりが英雄的な戦闘を続けながらも、仏軍は英軍の粗暴な集団的行動の前に敗れた(…)。敵軍は無名で、機械的で、精神も魂も欠如した、流れ作業の工員集団だった。数的な優位に頼んでようやく彼らは勝利を得た。」(同書 17頁)
と記しています。二十世紀後半になって、イギリスと友好関係が樹立された後にも六百年以上前の戦いについてこうした見解が広くなされているのは注目に値する話です。
こうした、「敵はアンフェア」で「味方は英雄的」という捉え方が敗戦時に一般的にされるものだというのは理解できる話ですし、それを前提に考えれば、その戦いで悲劇的に死にさえすれば英雄になれるのも納得がいきますね。
そういえば、第一次大戦末のドイツでは敗戦を前に「王の死」計画が立てられていたそうです。具体的には「適切な地点を選んで、小規模の特別攻撃を遂行する。これによって皇帝は前線で英雄的な死を遂げ、重臣たちが殉死する」(同書 231頁)というもので、帝国の崩壊を英雄的滅亡として演出するのが目的であったとか。これについてルードヴィヒ・ライナースは
「もし本当に皇帝、元帥、将軍が何百名かの将校を引き連れて敵軍に対して攻撃を敢行し、華々しい最期を遂げていたならば、悲劇(第一次大戦)の名誉ある終結は可能だったであろう」(同書 231頁)
と評価していますし、戦前のドイツの治世に批判的だった歴史家ヨハン・ツィークルシュも
「ドイツ国民は戦いに斃れた皇帝を、赤髯帝(バルバロッサ)のようにキフホイザー山に埋葬したであろう。そうすれば、屈辱の年月の末に、山が口を開いて、帝国にかつての偉大さを取り戻すために、皇帝が還って来られるであろう」(同書 231-232頁)
と述べています。異民族相手に悲劇的に死ねば英雄となれるのを前提に作戦が立てられ、その効果については肯定的な評価がされているのが興味深い話です。まあ、その後の事後処理を考えると現実問題としておいそれと実行とは行かないと判断されたようで、流石に計画段階で中止になっていますが。ちなみに「赤髯帝」というのは十二世紀の神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世の事で、対外的にはイタリアに進出し国内でも王権を強めて名君として知られた人物です。彼は第三次十字軍に参加した途中で溺死しましたが、不死説が語り継がれ「いずれ帰還する」という伝説が残されました。
敗北時には、「卑劣な敵」に対し「英雄的な味方」が善戦するも「多勢に無勢」で敗北した、と考えて自らを慰める事が一般的といってよく、そうした文脈の中で「悲劇的に死ねば英雄」という現象が生じるのでしょうね。
【参考文献】
敗北の文化 敗戦トラウマ・回復・再生 ヴォルフガング・シヴェルブシュ著 福本義憲・高木教之・白木和美訳 法政大学出版会
ヴェルサイユ条約 牧野雅彦 中公新書
日本大百科全書 小学館
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(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/minzoku.html)
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