太古における「恋愛」について少し振り返る~「お兄ちゃん!」「妹よ!」~
|
考えてみれば、我が国最初の夫婦であるイザナギ・イザナミは『日本書紀』に兄妹であったという説も伝えられる間柄でした。また、本居宣長は同母兄妹はタブーだったものの異母兄妹間の婚姻は決して禁忌ではなかったと『直毘霊』で強く主張しており、太古に「恋人」と「兄妹」の関係がかなり近いものであったのは十分ありうる話です。
そして、これは日本だけではありません。以前の記事で触れましたが、中国でも太古の神である伏羲・女媧が兄妹であると同時に夫婦でもあったとされ、中国湖南地方の神話では大洪水の後に生き残った兄妹が夫婦になり再び子孫を増やしたということになっています。更にエジプトでも、イシスとオシリスが生まれる前から母神ヌトの胎内で結ばれ夫婦となったとされます。ギリシア神話における最高神ゼウスとその妻ヘラもクロノスとレイアの間に生まれた兄妹であり、更にクロノスとレイアもウラノスとガイアを親とする兄妹なんだとか。少なくとも神話レベルでは、世界的に「人類の始祖は、基本的に兄と妹」(辰巳正明『歌垣 恋愛の奇祭をたずねて』新典社新書 149-150頁)なわけですね。
してみると、恋歌で恋人同士が「背」だの「妹」だの呼び合っているのはそうした見方の名残であるのでしょうか。これも日本だけの話ではなく、中国西南地域の少数民族にも恋人が「兄」「妹」と呼び合う歌がしばしば見られるようです。例えば広東省に住むチン(京)族の恋歌には「哥哥(兄)」「妹妹」と男女が呼び合い、離別の辛さを歌いあうものがあります。現代中国語に訳したものを見てみましょう。まず男が
送妹到橋頭(妹を送り橋のたもとにきた)
分外憂(別れは辛い)
橋底水悠々(橋の下の水はゆったりと流れ)
湾々曲々往外流(くねくねと曲がりながら流れていく)
妹今回去(妹は今私のところを去る)
莫象江水不回頭(江水ではないので元のところには帰らない)
哥是這想(兄はこう思う)
望象江辺回湾水(江水のように湾に戻る事を)
流去不幾久(流れ去ってもいつまでも待たせずに)
又転頭(再び戻ってきてほしい)
と呼びかけ、女が
送妹下橋頭(妹である私を送る橋のたもと)
哥莫憂(兄さん心配しないでください)
流水響蘇々(流れる水はさらさらとして)
回湾水流也何留(流れはどうして留まりましょう)
今天離別(今はお別れです)
妹心也是何舎去(妹の心はどうして兄さんを離れましょう)
(※「去」の字は実際は「王」の下に「ム」)
願変鯉魚(願わくは鯉に生まれ変わり)
雖然順水往下遊(水にしたがって川下に行くとしても)
来年春水発(来年の春の水が増えたときに)
又回頭(また戻ってきます)
と応えるのです。
また、ある民族には結婚式に「逃婚」という習俗があり、新郎が新婦から、新婦が新郎から逃げるというものだったそうですが、その際に新郎を兄とし、新婦を妹として式に参加した人々が駆け落ちの歌を歌うのだそうです。
これらからは、「ほんとうに愛すべき相手とは、ほかのだれよりも兄であり妹であったという事を意味する」(辰巳正明『歌垣 恋愛の奇祭をたずねて』新典社新書 143頁)と太古において広く信じられていたのが読み取れます。近代にもそうした感覚は残存していたようで、森鴎外『二人の友』では主人公の友人に対し芸者が
自分は向側の座敷に、大勢来て泊っている芸者の中(うち)の一人である。この土地の生れで、兄が一人あった。それが家出をして行方が知れずにいる。然(しか)るに先刻向側からあなたを見て、すぐにその兄だと思った。分れてからだいぶ年が立ったが、毎日逢いたい逢いたいと思うので、こっちでは忘れずにいる。あなたを見た時、すぐに馳けて来ようかと思ったが、人目があるのでこらえていた。若し人違(ひとちがえ)であったら、許して貰いたい。恋しい兄だという思う人を見たのに、逢って物を言わずに別れては、後々まで残惜しい。一体あなたはどちらのお方か
(「青空文庫」より「森鴎外 二人の友」)
と言って口説いているのです。「兄」と「恋人」との近い心理的距離を個々に見る事は不可能ではないでしょう。以前の記事におけるコメントによれば『ToHeart2 AnotherDays』には
「あのイザナギとイザナミも兄妹じゃん。しかも実の!」
「つまり、日本の文化的見地からしても、兄と妹は結ばれる宿命にあるんだよ!!」
「ほら、逃げるイザナギをイザナミたんが追いかけて雷とか、どっかで聞いた設定じゃないか!」
なんて台詞が出てくるようですが、これまで見てきた様子からはエロゲーの戯言として流すわけにはいかなそうですね。
これは男女関係だけでなく男色でも同様だったようで、徳川期の男色は「義兄弟」としばしば呼称されましたし民俗学者赤松啓介は「ムラでは男色のからむハナシも多い」とした上で「大正初頭に私たち子供が、あのオッチャンと、ここのオッチャンは兄弟やなどと噂したのがある」(赤松啓介『夜這いの民俗学』明石書店 95頁)と回想しています。
とはいえ、決して兄妹間の婚姻が許されていたわけではありません。寧ろ逆で、兄妹婚は早くから厳しいタブーとされたところが大半であったようです。日本でも軽太子と軽大郎女の例から分かるように同母兄妹の婚姻は早くからタブーであり、異母兄妹の婚姻が嘗て行われたのは母系社会の影響が強く、母親が異なると同族意識が弱まったためと考えられます。同様に、結婚もまた現実には親や一族によって決められ自由恋愛は反社会的性格が強かったのです。歌垣を始めとする祭礼における性の開放は、性への寛容さを表すというより寧ろ非日常における抑圧へのガス抜きというべき存在だったと考えられています。
因みに自由恋愛はともかく兄妹婚を始めとする近親婚がなぜ禁忌なのか、専門家の意見を聞いてみましょう。文化人類学者リーチは『文化とコミュニケーション』で「範疇Aの周縁が正確にどこから範疇非Aの周縁に移行するかという点については、いつもある程度不確定で定まら」ず「いつも決まって問題になるのは、それらの境界」であり、「このような境界の様式は特別の価値があり、《聖なるもの》で《タブー》だと感じる」のだと論じています(括弧内は山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』 文春新書 105-106頁)。要は、近親は「自己」と「非自己」の境界にある存在なのでタブー視されるというわけですね。また実利的な観点から論じたのがレヴィ・ストロースであり、彼は『親族の基本構造』で「母、姉妹あるいは娘を娶ることを禁止する規制であるよりはむしろ、母、姉妹あるいは娘を他の人に与える事を強いる規制」と喝破しています。これを裏付ける話として、アメリカの人類学者ミードが述べた逸話が挙げられます。何でも、ニューギニアのアラペシュ族の男性に近親婚について尋ねた際に「もしほかの男の姉妹と結婚すれば、そしてさらに別の男が君の姉妹と結婚すれば、すくなくとも二人の義兄弟ができるのに。自分の姉妹と結婚したら独りの義兄弟もできないことが判らないのか。そしたら君は誰と狩をし、誰と植付け、誰を訪ねたらいいのだ」と答えが返ってきたのだとか(括弧内は山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』 文春新書 141頁)。要は、他者とつながりを持ち友好的関係を築いて生き残るための知恵であったという説ですね。共同体にとって必ずしも望ましい相手と結ばれると限らない自由恋愛の禁止も、この説の延長で理解できそうです。
以上のように、太古においては「兄妹」の恋愛が広く語り継がれ憧れられていました。「男女の結婚は、兄と妹との関係になるということであり、それは男女の恋愛にも受け継がれた」(辰巳正明『歌垣 恋愛の奇祭をたずねて』新典社新書 143頁)と考えられていたのです。それには、「兄妹婚」と「自由恋愛」は「親密な男女関係」であるだけでなく共同体の利益に反する「禁忌」だったという意味でも共通していたのが逆に関連していそうです。「お兄ちゃん」と「妹」としての「恋愛」は太古より潜在的な欲求として人々を惹きつけ、「遠い記憶」として語り継がれたものと思われます。
現代オタク文化で小さからざるジャンルをなしている「妹萌え」は、そうしたDNAレベルに刻み込まれた太古の記憶が呼び覚まされたものであるかもしれません。そこに伝統的な「やまとごころ」の一端が存在する事は否定できなさそうです。男女の情とは、実に業なものといえますね。
【参考文献】
歌垣 恋愛の奇祭をたずねて 辰巳正明 新典社新書
日本古典文学大系67日本書紀(上) 岩波書店
本居宣長全集第十四巻 筑摩書房
中国性愛文化 劉達臨著 鈴木博訳 青土社
エジプト神イシスとオシリスの伝説について プルタルコス 柳沼重剛訳 岩波文庫
神統記 ヘシオドス 廣川洋一訳 岩波文庫
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 二人の友」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/675_23192.html)
武士道とエロス 氏家幹人 講談社現代新書
夜這いの民俗学 赤松啓介 明石書店
ヒトはなぜペットを食べないか 山内昶 文春新書
全訳読解古語辞典 三省堂
関連記事:
「『偉大なるダメ人間シリーズその7 本居宣長』補足再び」
「昔、オタクありけり ~伊勢物語 HENTAI side~」
「平安前期シスコン伝記 小野篁、妹を愛す -『篁物語』 ~いもうと~」
「平安前期シス魂伝奇 小野篁、妹を哀す -『篁物語』アフター ~キモウト~」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「日本民衆文化史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021206.html)
「本居宣長」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/011214.html)
「エロゲーを中心とする恋愛ゲームの歴史に関するごく簡単なメモ」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/s2004/050311.html)
関連サイト:
「古代史ロマン紀行―日本書紀の物語―」(http://shoki.vivian.jp/index.htm)
「魁!!雄太駆塾」(http://www.h3.dion.ne.jp/~moeoka11/)より
「妹姫追悼特別講義『兄と妹の日本文学史』古典編」
(http://www.h3.dion.ne.jp/~moeoka11/bungakugairon.html)
「兄と妹の日本文学史~近現代編~」(http://www.h3.dion.ne.jp/~moeoka11/bungakushi_kindai.htm)
※11/08/07 関連発表のリンク先が、歴史研究会旧サイト(消滅)になっていたので現行サイトへと訂正しました。御迷惑をおかけしました。
妹萌えな日本史の偉人に興味のある方は、社会評論社『ダメ人間の日本史』より「小野篁 在原業平 妹よ ああ妹よ 妹よ それにつけても 妹可愛い ~平安時代のシスコン天才歌人たち~」を、また妹萌えに関して一言残した(?)本居宣長に関しては「本居宣長 国学大成した大学者は、骨の髄から重度のキモオタ」を御参照くださいましたら幸いです。
Amazon :『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
楽天ブックス:『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
当ブログ内紹介記事
楽天ブックス: ダメ人間の日本史 - ダメ人間の歴史vol 2 -