「上皇様」は漫画好き in 足利期~後崇光院と『十二類合戦絵巻』~
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それだけでなく、足利期にも漫画を好み自ら制作にまで携わった「上皇」(退位した天皇)がいたといいますから驚きです。厳密には、この人物は帝位についたわけではなく息子が後花園天皇として即位した関係で上皇の称号を送られたのです。彼の名は、伏見宮貞成親王。上述の理由で後崇光院とも呼ばれます。伏見宮家は崇光天皇の系統で北朝系ですが、南北朝動乱の中で北朝皇位が後光厳天皇の系統に移ってからは傍流として不遇な立場を余儀なくされていました。貞成はそうした中で、旺盛な好奇心で様々なゴシップを日記『看聞御記』に残しており後世に重要な史料として扱われています。
さて、貞成こと後崇光院が制作に関わった漫画というか絵巻物の名は『十二類合戦絵巻』。土佐行広の絵に、後崇光院自ら詞書(絵と絵の間につけられた説明)を付けたと伝えられています。これはただの伝承ではなさそうで、伏見宮家に伝わっていたという『粉河寺縁起』の紙背に詞書の一部の下書きと思われる書き込みがあり、貞成の筆跡であると証明されている事から後崇光院が関与したのはほぼ間違いないと考えられています。
『十二類合戦絵巻』は、十二支の動物達とそれから外された動物達との間の戦いを題材にしたものです。名月の夜に十二支が鹿を判者として連歌会を催し、終了後に宴を設けて鹿をもてなした事が話の発端。これを聞いた狸は羨んで、自分も判者になりたいと十二支のもとに押しかけますが、かえって十二支の怒りをかい打ち据えられて叩き出されてしまいます。それを恨みに思った狸は狼・熊・狐・鼬・猫・鳶・梟・鷺などと語らって十二支に夜襲を掛けようと目論見ますが、察知されて惨敗。しかし老鳶の献策を容れ、勝利に酔って油断する十二支に奇襲して雪辱を果します。しかし結局は追い詰められ、狸は鬼に化けて打開しようとするも犬に見破られ出家して世を逃れる事で戦いに終止符を打つのです。
被支配階級が特権階級に挑戦して戦いを挑むという構図は、戦記ものとしては常道ではありますが、新興勢力が旧来の権威を脅かしつつあった下剋上の時代にはぴったりな題材であったともいえます。ついでながら、善戦するも最終的には及ばないという哀愁が漂っている辺りも日本人好みな筋書きとみる事も可能な気がします。
閑話休題、後崇光院の子である後花園天皇は学問を好み民衆生活を憂えた賢君として知られていますが、若い頃は父同様に無類の絵巻好きであったようで、後崇光院はこの絵巻を彼の求めに応じて書いた可能性もあるのではないかという話もあるようです。
朝廷の権威が失墜した時代においても、皇室はある時は学問に励みある時は新しい文化に興味を示し強かに生き延びていました。その中で、後崇光院・後花園天皇という漫画好きな天皇・上皇が生まれたのですね。我が国の漫画は高貴な方々に愛されながらの長い歴史を誇っているのです。
【参考文献】
中世の光景 朝日新聞社学芸部編 朝日選書
日本史小百科 天皇 児玉幸多編 近藤出版社
日本大百科全書 小学館
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「物語の消費形態について―いわゆるオタクを時間的・空間的に相対化する試み―その2」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/genji.html)
「日本民衆文化史」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021206.html)
「政治家・足利義政」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021025c.html)
我が国の漫画好きな偉い人たちに関しましては、社会評論社『ダメ人間の日本史』より「後白河法皇 エロマンガ大王 ~天皇家の権威よりエロマンガ趣味を優先する背徳異形の天皇家首領~」「加藤友三郎 寡黙な知謀の名参謀、静かに平和に尽くした男、首相の地位まで登った偉才が、実はムッツリ漫画オタク」を御参照くださいましたら幸いです。また、漫画ではないですが痛い内容のラノベを書いた名門貴族もいたりしますので、よろしければ「藤原定家 天才文人は中二病ラノベオタ ~いい大人になって中学生の妄想レベルの小説を書き散らす恥ずかしい男の話~」もどうぞ。
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