近代日本史学の父の恥ずかしい話~「抹殺博士」、血筋への劣等感を抹殺しようとする~
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しかしともかく、重野らは実証主義を重んじて近代歴史学の基礎を築いた偉大な歴史家と評価することができます。とはいえ、こうした仕事は尊王主義のイデオロギーを重んじる史家と衝突し明治二十四年(1891)に久米が『神道は祭天の古俗』という論文を出したところ不敬であると非難され彼等は職を辞しました。
このように時の権力とぶつかってでも実証主義を貫こうとした近代日本史学の父というべき重野ですが、彼にはそれと相反するような、歴史家として結構恥ずかしい逸話も残っています。当時、修史事業にあたっている重野の部下には、幕末期に水戸藩で史家として名高かった青山延寿という人物がいました。青山家は代々『大日本史』の編纂にあたっており、徳川期には日本史の権威というべき存在でした。そこで重野は青山家の権威に目をつけ、上司の権限を利用してある命令を出したようです。
延寿の孫は女性解放運動の魁であった山川菊栄という人物ですが、彼女は母親からの証言を記録し『おんな二代の記』などの著作にまとめています。その『おんな二代の記』には、以下のような記述があるとか。
いったい重野博士という人は個人的には親切でもあり、延寿も就職の件で世話になっており、その点は感謝していたのですが、虚栄心が強く、薩閥だけに、たいしたはぶりで、出入りには馬車を駆り、はでは生活ぶりはともかく、延寿が当惑したのは、注文どおりに重野家の歴史を書くことでした。今でこそ能役者も芸術家として尊敬されているものの、封建時代にはふつうの武士なみには扱われず、その能役者の家に生れた重野博士は、先祖はえらくて本来は名門なのだと書いてほしいというのですが、確実な資料もなく、そういうものに権威をつけるために自分の名を利用されるのも好もしくない。いつまで月給にしばられて自分のしたいことができなくてもつまらないというようなことで、延寿はあっさり辞表をだしました。(安藤優一郎『幕臣たちの明治維新』講談社現代新書 139頁)
『大日本史』の記述に疑問を持って、史料で事実かどうか確認できないものはいかに有名人であろうと美談であろうと否定し去った「抹殺博士」重野安繹。その重野が、『大日本史』編纂で権威があった歴史家の名声を借りて、資料もないなかで自分の先祖が偉かったとでっちあげようとしていたのですね。自分の劣等感を抹殺するために、重野は自身の仕事に関する本来の信条も抹殺して憚らなかったということでしょうか。まさに「抹殺博士」。
重野が史実性を否定した人物や逸話は、民衆の願望や夢を乗せた存在であり同時代のある階層を代表するものだったり民衆が持つイメージを反映していたりするので、その意味で十分に歴史研究に有意義だといえます。民衆の目は意外に馬鹿にできないようで、そうした逸話が真実の一面をついたりすることも珍しくありません。一方、「重野家の歴史」とやらは重野の虚栄心を満たす以外には何の役にも立たない代物。どちらを重んじるべきかは考えるまでもないと思うのですが。まあ、だからといって重野の功績が無意味になるわけではないでしょうけど、上記の話が事実なら重野が史学界で強い反発を受けたのにはアカデミズムとイデオロギーの対立以外にも原因がありそうです。とりあえず、上記の逸話で重野が恥じるべきは祖先の出自ではなく、それに対する自身のみみっちいプライドと歴史家としての業績すら疑われかねない公私混同ぶりなのではないかと思います。しかし、重野レベルの歴史家でもそうした話があるあたり、人間、自分の先祖に関する見栄というのはなかなか根深いもののようです。
【参考文献】
日本史の快楽 上横手雅敬 角川ソフィア文庫
幕臣たちの明治維新 安藤優一郎 講談社現代新書
日本大百科全書 小学館
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「豊臣秀吉は猿顔じゃない? ~さるはさるに似ざるの説 VS さるはどう見てもさるでござるの説~」
歴史学での実証的考察って結構難しいみたいです。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「児島高徳」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kojima.html)
「楠木正成」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2000/001201.html)
この二人の逸話辺りが重野らの「抹殺」対象に結構なっています
「後醍醐天皇」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2001/010706.html)
近代におけるアカデミズムとイデオロギー対立の話が末尾に
その他の南北朝関連は「南北朝関連発表まとめ」参照。
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