ホントは恋せぬ平安貴族 ~恋などするのはバカばかり 賢者は恋より金を数える~ ~歴史的実例編~
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色だの恋だのにふけっていた平安時代の日本人が、意外とその手の事象に冷めた目を向けていたと言うことを、
創作物語を資料に使って、
お話ししたことがありました。
すなわち平安時代の物語の中で語って曰く、色恋に耽るヤツは無能な阿呆、そんなことより金だよ金。
参考
ホントは恋せぬ平安貴族 ~恋などするのはバカばかり 賢者は恋より金を数える~ from 『うつほ物語』
で、
今日は、その手の話を歴史書のほうから引っ張ってみたいと思います。
なにせ、ここのところ萌えだのなんだのという日本のピンクな側面ばかり強調し過ぎましたから、たまには萌えない国日本をご覧に入れましょう。
物語風歴史と呼ばれる『大鏡』では、
10世紀の貴族藤原朝光についてこのように伝えます。
もとの上、御かたちもいとうつくしく、人のほどもやむごとなくおはしまししかど、不合におはすとて、かかる今北の方をまうけて、さりたまひにしぞかし。
(『新編 日本古典文学全集34 大鏡』小学館 215、216頁)
<訳>
もとの奥方は、ご容貌もたいへん美しく、ご身分も貴くいらっしゃったのに貧乏でいらっしゃるといって、このような今の奥方をもうけて、離縁なさったとのことです。
ちなみに「かかる」の内容を前後の文章から引っ張ってくると
「年老いて、かたちなどわろくおはしける(年老いて、容貌が悪かった)」、「大将には親ばかりぞおはしける(朝光には親くらいの年に当たる)」
などなど。
なんとも酷い言われようの新夫人ですが、この人は裕福で、富を活かしてサービス満点、
朝光の従者達にまで丁重なもてなしが為され、朝光が時々元の夫人の所に赴こうとしても、従者達が車をそっちに向けてくれなかったほどだそうです。
朝光自身も
「ただ富があって、このようにお世話申し上げるのに、惹かれていたのだろうか(ただ徳のありて、かくもてかしづき聞こゆるに、思ひのおはしけるにや)」
などと言われています。
美貌より財産、身分より財産、色恋よりも金が大事ということですね。
物語で色恋より金とか言ったのは、脇役の変人キャラなんですが、色物キャラにリアリティのない言葉を吐かせていたとかでは全く無く、
普通に平安時代の現実の反映として、
恋より金
と語らせていたわけなんですね。
参考資料
『新編 日本古典文学全集 うつほ物語 ①②③』小学館
『新編 日本古典文学全集 大鏡』小学館
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