戦史上の誇大な兵力伝承について ~その形成過程および実数との誤差~ 古代ギリシアの戦記を元に
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適当にでかい数字を挙げてみただけなのでしょうか?
いいえそれは違います。
実は、嘘くさい数字は嘘くさい数字なりに、ぎりぎり説得力が無くもない微妙なところを、巧く突こうと頑張っていたりします。
今日は、その兵力に関するハッタリがハッタリなりに頑張っている姿を、古代ギリシアの戦記を素材に、なま暖かく観察することにいたしましょう。
さて古代ギリシアの戦記に記された戦争で胡散臭い数字が出てくると言えば、まずペルシア戦争が挙げられます。ペルシア戦争とは、古代の中東に成立した大帝国アケメネス朝ペルシアが、辺境の方でちょこまかやってる蛮族のギリシア人を、大兵力を送り込み討伐しようとした戦いですが、ギリシア人が無駄に文化的な素養に恵まれていたせいで、詳細に歴史記録を残されてしまっています。
で、この戦争について詳しい記録を残した歴史家ヘロドトスは、ギリシアを攻めたペルシア軍の兵力について、ギリシア周辺で徴用した兵力や従僕等の非戦闘員、海軍を除いて、180万人であったと言っています(歩兵170万人、騎兵や駱駝兵、戦車兵が合わせて10万人)。
兵力100万どころか200万に手の届きそうな、力一杯バカっぽい数字。
ヘロドトス先生は歴史の父とか呼ばれる偉大な歴史家なんですが、なんでこんなバカな数字を書いちゃったんでしょうか。
実はヘロドトスは何の根拠もなく、この数字を挙げてるわけではないのです。先生は、ペルシア軍の兵力の数え方と数えた結果について、ある程度情報を掴んでおり、それを元に、この数字を挙げているらしいのです。ヘロドトス先生曰く、ペルシア軍は、最初に一万人を限界まで小さく密集させて、その周囲に輪を描き、輪の上に石垣を作成、その石垣の中へ次々に兵士を詰め込むというやり方で、この数字を算出した。
というわけでバカげた数字の陰にも、どうにかして兵力を把握しようとする、ペルシア軍の涙ぐましい努力の跡が。
別に、単に吹かしてるだけではないのです。
とはいえ、計算の基礎にしようと頑張って密集させた最初の一万人と、その後の流れ作業で詰め込まれる兵士達が同じ程度に密集できるとはとても思えないわけでして、
最初の密集はもっと緩やかにしておくべきだったのではないかと思います。
兵力でかく見せるためにわざとやったのかもしれませんが。
ちなみに、
死傷者多数が出るくらい人間が密集すると1平方メートルに約15人ほどの密度になることがあるらしいです。
その一方、ギリシアやマケドニアの隊形を見る限り軍隊が隊列組んで密集した場合、緊密に隊形を組んだ場合でも兵士一人で占める横幅が1メートルです。そして戦闘中の兵士の前後の間隔が50センチほどだったと言われます。ですから兵士を整列させる場合は密集隊形でも通常1平方メートルに人間1人程度にしかいないということですね。
計算の基礎になる枠を作った際に、死人が出るほど詰め込みはしなかったでしょうし、またその後の計算作業においては、楯持って戦闘隊形組んだ場合よりは密集させようとしたでしょうから、この数字の比15:1が即座に計算結果と実数のズレになるとは思えません。
ただ、雑に作業してしまったり、あるいは兵力を過大に宣伝する誘惑に勝てなかったりして、枠がきっちり満たされない内に、詰め込みを打ち切ったりもすることもあったでしょうし、そういった事情をも総合考慮すると、実数と計算結果の間に最大で10倍程度までのズレは生じていてもおかしくないのではないかと思われます。
なお、ペルシア戦争のペルシア陸軍の兵力について近現代の歴史家でも人によっては20万人くらいはいたと認めるているようなので、実数と計測結果の誤差が10倍くらいというのは、割と良い線行ってるんじゃないかと思います。
というわけで一旦まとめると
前近代の巨大な軍隊の兵力は
管理計算能力の不足や不注意、あるいはちょっとした作為によって最大で実数と伝承の間に10倍程度の誇張が生じてしまう
と言って良いでしょう。
さてさらに別の資料も見てみましょう。ペルシア軍については、ペルシア帝国の反乱軍に参加した経験のある元傭兵のギリシア人作家クセノポンが『アナバシス』という戦記を書いていて、良質の資料として非常に高評価されているのですが、その良質の資料にして内乱で戦ったペルシア大王の帝国軍120万(実際には各30万人を統べる四人の司令官の一人が戦闘に間に合わなかったため戦闘に参加したのは90万)と、思いっきり吹かしてくれます。
なお、何を根拠にクセノポンが帝国軍の兵力を知ったのかですが、クセノポンは戦闘に参加できなかった敵の司令官の兵力が30万という伝聞を得たと言っていますし、また戦いの後降参してペルシア帝国軍やペルシア人とかなり交流を持っているので、そういった情報や戦場での印象、著述に際して集めた資料を総合考慮したものでしょう。一応クセノポンなりに根拠を持って主張しているのだと思います。敵に対する恐怖や、敵を大きく見せたい功名心が入り込んでる可能性は否定できませんが。
ちなみに伝記作家プルタルコスによると、ペルシアの宮廷に仕えたギリシア人医師クテシアスがペルシア王の出した兵力を40万と言っていたそうです。クセノポンの情報も加味して、このうちの四分の1が参戦できなかったと考えて、戦闘参加は30万といったところでしょうか?これでも内乱で割れた帝国の軍勢としては、吹かしてるとしか思えない大きさですね。
では、この90万あるいは30万という数字と実数の乖離はどの程度なのでしょうか。
もう少し信頼できそうな数字がないか、資料に目を通してみると、プルタルコスが色んな数字を引っ張ってきてくれています。まず戦いの後ペルシア王の許に集まって宿営に入った兵力7万人、報告された死体数9千という数字があります。さらに前述のクテシアスの主張する戦死者数も引かれてていて、それによると戦死者は2万を下らないだろうとのこと。
以上からすると、戦死や逃亡による戦力喪失2万(うち戦死者が9千)、残存兵力7万、これを合わせて参戦したペルシア帝国軍の実数はせいぜい兵力9万といったところでしょう。
で、ペルシア宮廷に仕えた医師の掲げる数字は、ペルシア帝国の公称に近いでしょうし、クセノポンの出した数字は敵の耳に届いた数字と言って良いでしょうから、
この戦いに関しては、
実数9万の軍勢が、味方が吹かして30万、吹かした噂に尾ひれが付いて敵の耳には90万ってことでしょうかね。
ということで、
この結果も加えてまとめると
前近代戦史上の過大な兵力の伝承は
国家の管理能力の不足や不注意、兵力を大きく見せかけたいが故のちょっとした作為、恐怖、戦果を大きく見せたい功名心が原因で
3~10倍程度に誇張されている
ということになりますね。
以上より
もし歴史上の軍記とかでバカみたいに大きな数字が出てきた場合は、そっとゼロを一つ減らしてあげると、当たらずとも遠からずな所に落ち着くと思いますよ。
参考資料
『ヘロドトス 歴史』松平千秋訳 岩波文庫
クセノポン『アナバシス 敵中横断6000キロ』松平千秋訳 岩波文庫
『プルターク英雄伝 (十二)』河野与一訳 岩波文庫
長澤和俊編『世界の戦争1 アレクサンダーの戦争』講談社
アーサー・フェリル著『戦争の起源 石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史』鈴木主税訳 河出書房新社
John Warry著『WARFARE in the CLASSICAL WORLD』Salamander book
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ペルシア戦争
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/021011b.html
アテナイ下り坂の歴史
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/051202.html