東久邇宮稔彦、自身の「教祖」騒動について語る。
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しかし、彼は首相退任後に一つの騒ぎを起こしています。昭和二十五年(1950)、「ひがしくに教」なる新興宗教の教祖として世を騒がせたのです。これについて、以前の記事でも(番外ながら)しょんぼりな事例として言及した覚えがあります。
とはいえ、その事件に関する詳細はよくわからないところがありました。しかしながら、実は、彼自身がこれについて語っている記録があるようです。時は昭和四十三年(1968)一月。作家・松本清張と対談した記事『やんちゃ皇族の戦争と平和』に問題の箇所があったとか。
東久邇宮は、旧知であった禅僧・小原唯雄から
いま終戦で日本人は精神的に虚脱状態になっている。どうして生きていったらいいかわからない。だから立派な教えによってそういう世間の人たちを救うべきだ
(浅見雅男『不思議な宮さま 東久邇宮稔彦王の昭和史』文藝春秋 467頁)
と相談を受けこれに賛同。すると、小原は「ひがしくに教」なるものを始め東久邇を担ぎ出したという事だそうで。東久邇本人はというと小原に万事を任せきっていたため、詳細については全く知らなかったそうです。小原はこれによって金を集める魂胆だったようで、
(わたしもカネを)とられましたね。坊さんにたくさんやったんですよ。
とあるように「教祖」東久邇からもまきあげたとか。東久邇は金は取られるわ、教祖にされた事で世間から冷やかされるわで散々な思いをしたようで、
不明のいたすところで、一生の不覚
(上記引用部は全て同書同頁)
と結んでいるようです。
以上の談話からすると、皇族の地位から離れ一市民としての生活に慣れきっていない時期に、金目当ての人物に騙され、名前を利用され手玉に取られたというのが真相のようです。寧ろ、被害者というべき立場だったわけですね。災難だったとしか言いようがありません。思えば、この混乱期には、横綱双葉山なんかも新興宗教に一時期迷わされたりしていましたね。東久邇宮稔彦は戦前から親英米派の自由主義者として知られ、終戦直後に首相として難局を乗り切った強者です。暗愚では決してなく、寧ろ聡明な部類に属する人物のはずですが、それでもこうした騒動に巻き込まれてしまったのを思うと、双葉山の事例も考え合わせ大変な時代だったのだと思わざるを得ないです。
【参考文献】
不思議な宮さま 東久邇宮稔彦王の昭和史 浅見雅男 文藝春秋
敗戦処理首脳列伝 麓直浩 社会評論社
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※2014/8/19 少し表現を変えています。