「フフフ・・奴は四天王の中では最弱・・」をリアル世界の四天王で探してみよう
|
フフフ・・奴は四天王の中では最弱・・
●●ごときに××するとは■■の面汚しよ・・
などとインターネット上では今日も様々な四天王のみなさんが、残酷な格差社会の現実を見せつけてくれているようですが、
今日はリアル世界の四天王の中で、周囲や上役から明らかに格下扱いされている、可哀想な人を探してみたいと思います。
織田信長の四天王
織田信長の臣下に四天王とされる有力部将がおり、柴田勝家・滝川一益・丹羽長秀・明智光秀がそれらしいのですが、この中に一人格下がいます。信長の武将達の出世争いにおいて、最有力の強者達は最終的にいわゆる方面軍司令官という地位に昇り、各地の戦線で数万の兵力を指揮して活躍するようになったわけですが、四天王のうち丹羽長秀だけは、この地位に到達する前に出世レースを脱落したと言われています。昔は、信長晩年に、四国攻めを準備していた軍団が丹羽長秀軍団と見なされていたこともあるらしいのですが、実のところ、丹羽長秀は軍団の副数人いる有力部将の一人って程度の地位だったそうです。
というわけで信長四天王の最弱は丹羽長秀としておいて問題無さそうです。
丹羽長秀は行政官として優秀だから軍事的にちょっとくらい劣っても良いんだって意見もあるかもしれませんが、信長は行政能力を兼ね備えた武将が大好きだったらしく、方面軍司令官ともなれば相応の行政能力も備えているみたいなので、やはり長秀は四天王で最弱と言われても仕方ないんじゃないかと思います。
徳川家康の四天王
徳川家康の臣下では、井伊直政・本多忠勝・榊原康政・酒井忠次の四人が徳川家康の四天王と呼ばれていますが、
徳川家康の優れた臣下を並べて称する名数として、四天王以外に、三傑というものがあります。この三傑は四天王と人選が被っており、井伊直政・本多忠勝・榊原康政の三人がこれに該当します。
したがって世間の認識的に、徳川家康の四天王は、酒井忠次が最弱と言うことになります。
(ちょっと追記。酒井が四天王の筆頭とかいう説があるとの噂あり。まあ確かに酒井の方がランクが上の人のような気はしますね。とはいえ、三傑や四天王といった名数つけたがる人たちの目にどう映るかは、それとは別問題の気がしますし、あえて酒井最弱説のまま放置。)
和歌四天王
さて以上の例よりもあからさまに四天王の最弱とされている人物が歴史上にはいます。それは和歌四天王に数えられたとある人物。
和歌四天王とは歌人二条為世門下の俊英、頓阿、慶運、浄弁、兼好の四名を指す言葉なのですが、歌道書『近来風躰抄』は言いました。「兼好は、この中にちと劣りたるやうに人々も存ぜしやらん」(兼好はこの中でも少々劣っているとみんな思っていたようだ)。
というわけで衆目の一致するところ、四天王最弱で、「奴は四天王の中では最弱」と記録さえ残されてしまった兼好さん。
色々とネタ度の高い人物ですが、能力を讃えられる場面でも面白ネタキャラに収まってしまう、ネタキャラとしての優秀さには驚かされるばかりです。
参考資料
『スーパー・ニッポニカ Professional』小学館
谷口克広『信長軍の司令官 部将たちの出世競争』中公新書
関連記事
四天王の五人目や面汚しを生まないための言葉の使い方 ~強者を数えるための名数について~
神国日本のしょんぼりナショナリズムと鬼子・第六天魔王信長
スイーツ(笑)断罪 1330 ~リアル女はノー・センキュー 僕はフィクションに恋をする~ 徒然草の恋愛論
なお吉田兼好については社会評論社『ダメ人間の日本史』でも取り上げましたので、よろしければそちらもご参照下さい。
Amazon :『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
楽天ブックス:『ダメ人間の日本史』(ダメ人間の歴史vol 2)
当ブログ内紹介記事