徳川期は男女混浴当たり前、裸への羞恥心や欲情はなかった?~伝説の真偽に文化作品から迫る~
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まず、江戸の銭湯に混浴が多かったのは事実です。これは、徳川期初期には江戸の水が豊富でなかったため、浴槽が一つしかないところも多かったのも大きな理由だとか。もっとも、京都・大坂でも男女混浴が見られたらしいのでそれだけではないんでしょうが。それでも、男女が大勢で一緒になる事は意外に少なかったようで、朝は老人が中心で、女性は午後の早い時間帯、夕方に仕事を終えた男性と時間区分がある程度なされていたようです。
しかし、男女が同じ風呂に入る事態が日常的に生じていたのもまた客観的事実。では、やはり混浴が性的に刺激を催すものではなかったのか。結論から申し上げますと、さにあらず。やはり女性の裸体は男性の欲情を引き起こすものであったようです。一例を挙げますと、安永四年(1775)の『色錦姿の花』には混浴銭湯で女性の裸体に刺激され一物が勃起してしまった男が洗い場に出るに出られないでいる様子が描かれています。また、湯気に紛れての男性による痴漢行為もまま見られたようで、天明五年(1785)の『艶本枕言葉』には女性が浴槽から出る際にその股間を触って怒鳴られる男の姿が描写されています。また川柳でも痴漢行為に怒った娘の様子を描いた
猿猴にあきれて娘湯を上がり
なんてのがありますし、十九世紀前半の『甲子夜話』巻三十二には
江都の町中の湯屋、予が若年迄は、たまたまは男湯女湯とも分りても有たるが、多くは入込とて男女群浴することなり。因て、聞及ぶに、暗処又夜中などは、縦に姦淫のこと有しとぞ。
【現代語訳】江戸の町中の銭湯は、私が若いころまでは、時々は男湯・女湯に分かれていたりもしたけれど、多くは男女混浴だった。なので、聞くところによれば、暗がりや夜には男どもが好き放題に痴漢していたそうだ。
と記されています。
さて、十八世紀前半から男女別の銭湯も存在してはおりましたが、当初は比較的高価であり庶民に手が届くようになったのは十八世紀末だとか。女湯専門の湯に通っていたのは年頃の娘や良家の女児が主でした。その頃には、
男湯へ入る年かと母叱り
という川柳があるように、思春期を迎え女性らしくなりつつあった娘を混浴はさせられないという意識はあったようです。
そして女湯を覗いて裸体を拝みたいという男は多かったらしく、歌川豊国『逢夜雁之声』上巻には女湯で女たちがあられもない姿を覗いて自慰する武家の下男の姿が描かれています。川柳にも、
女湯の障子は不慮な度々破損
女湯をのぞきがてらに小便し
女湯を覗く拍子になにか踏み
といった句が散見されており覗きは結構ありふれた話だったようです。番台を務める男性にとっても女湯は目の毒だったろうと人々は考えたようで、
女湯の湯番ひめもす握ってる
女湯の番ン褌が早く切れ
と勃起に苦しむ番台を描いた川柳も。中には
女湯の湯番とうとう気虚になり
なんてのも。「気虚」というのはここでは性的刺激が過ぎた事による衰弱を意味するとか。要は、シコり過ぎ。
あと、驚くべき話として、男性専用の女湯覗き窓があったようです。江戸の銭湯二階は男性専用の社交場だったのですが、なんと真下の女湯が覗ける仕組みがあったと言います。明治四十四年(1911)成立の『実見画録』や享和二年(1802)『賢愚湊銭湯新話』にはそうした覗き穴・覗き窓が描かれています。やれやれ、いくらなんでもこれはどうなんでしょう、全くもう。
銭湯以外の事例からも、女性の裸体が性的にどのような意味をもったかをもう少し見てみましょう。鈴木晴信『艶道増かがみ』で、もろ肌脱ぎになって化粧をしている町屋の女房を少年が盗み見ている図柄があります。やはり女性の裸体は、性に目覚めつつあった男子にとって興味深々な対象だった事がわかりますね。そういえば、井原西鶴『好色一代男』でも主人公・世之助が異性に目覚めたのは幼少期に下女の行水姿を覗いた時でした。
さて、当時において廓の町といえば吉原。吉原の遊女は、通説では「初回は性交渉を持たなかった」と言われていますが、実のところは少なくとも徳川中期以降は初回の客とも交接する事は少なくなかったそうです。しかしその場合は、帯を解かず交わったようで、「三会目」で馴染となると初めて遊女は帯を解き胸をはだけたとか。基本、肌をさらすのは馴染客のみであったようです。実際、菊川英山『絵合錦街抄』や鈴木晴信『艶色真似ゑもん』で遊女が胸を露にしている絵は馴染と思しき相手の時のみと考えられています。
他の事例も見ておきましょう。読本『筑紫琴』には、加藤重氏なる人物が玄宗皇帝の例に倣って楼上で十三人の全裸の美女を集め、それぞれに花を持たせ蝶が止まった女から相手していたというエピソードがあります。ここからは、こうした振る舞いが男のロマンとしてひそかに憧れられていた可能性は読み取っても良いのではないでしょうか。
以上の事例を考えると、徳川時代の日本でも女性の裸体は男性の性的な関心の的であり、女性側でも基本的に男性の前で裸体をさらすものではないと考える事が多かったというのが妥当でしょう。現代と比べて程度は低かったかもですが。なお、西洋でも南スラブ地域やポーランドのように夏には家の前や畑で裸で女性が労働する事例はないわけではなかったそうで、西洋人が日本の男女混浴を殊更に特別視するのは必ずしも適切ではない気もします。
【参考文献】
日本人の性と習俗 F.S.クラウス 安田一郎訳 桃源選書
裸はいつから恥ずかしくなったか 日本人の羞恥心 中野明 新潮選書
江戸の女たちの湯浴み 川柳にみる沐浴文化 渡辺信一郎 新潮選書
艶本江戸文学史 林美一 河出文庫
江戸の枕絵師 林美一 河出文庫
好色一代男 井原西鶴 横山重校訂 岩波文庫
江戸の吉原 廓遊び 白倉敬彦 学研グラフィックスブックス
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