「戦後日本の父」の言葉に耳を傾けよう~吉田茂『大磯随想』をみる~
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さほど「日本」へのこだわりがなく「自分は自分」と自信を持っていられる人は、まあそんな状況でも問題ないでしょう。問題は、「日本」への何らかのこだわりを捨てられない人々。「日本」の国家・社会から縁を切っては暮らせない人は、多いでしょうし。
さて、現代日本の基礎を築いた政治家といえば吉田茂である事は、好悪の念は別として衆目の一致する所ではないかと思います。彼は占領軍との交渉をしたたかに切り抜けつつ日本の国際社会復帰を実現し、更に経済成長の基盤を作り上げた人物。ここは初心に帰る意味合いで、彼の言葉を振り返ってみるのもよいかもしれません。
彼が政界を引退した後に『This is Japan』へ掲載したいくつかの随筆から、苦境にある日本を激励すると共に将来の希望を示した言葉を引用してみたいと思います。冷戦時代の只中に書かれたものであるので、現代から見れば内容が古い面もままありますが、現代にも通用しそうな場所も少なからずある文章という印象を持っています。あと、政敵である鳩山一郎への苦言や嫌味がさりげなく混じっている辺りが程よく生々しくて興深いです。
・政治
吉田は、当時の日本政治に決して満足しておらず、1957年の『政治の貧困』において
日本のデモクラシーは、出発後まで日が浅く、大部分の民衆はその真意を理解していない。その為に議会政治にも貧困性が現れているが、我々は議会政治の他に日本の向う道はないと思っているから、あらゆる努力をして、そこへ向って行かなければならない。
(吉田茂『大磯随想』中公文庫 10頁)
と苦言を呈しています。しかし一方で、
併し私は決して失望していない。人間というものは進歩するのであって、将来は今よりも立派な人物が出て来る事を私は信ずる。昔の人間はよかった、今の人間は駄目だ、などとは絶対に言えない。(同書 同頁)
と力強く日本政治への希望を語っています。考えてみれば、イギリスを始めとする議会政治の本場に比べると、日本は戦後民主主義が七十年弱、帝国議会から見ても百二十年程度の歴史しかないのですよね。現在でも日本の議会政治が成熟しているとはなかなか胸を張りにくい所ですが、歴史が浅い分、今に至っても議会政治において欧米と比べ未熟な面が目立つのも、ある程度やむを得ないのかもしれません。残念ですが。
そして日本政治を成熟させるために取るべき手段としては、吉田は「直ぐに効き目のある薬などはない」から「政治家も民間の識者も努力」して「気長に民衆にデモクラシーの本当の意味を体得させるように教育するより他はない」(同書 11頁)と言っています。地道で長期的な手段しかない、というのは今後においても変わらないのでしょうね。
他にも、吉田は興味深い発言をいくつかしています。まず当時における政府の非効率性を憂慮し、ワイマール時代のドイツにおける非能率で統一を欠いた政治運営が反動としてヒトラーの反動を促したと述べているのは傾聴に値するでしょう。また、参議院が政党政治化により政争の具となっているのを批判しつつも、衆議院単独ではまだ暴走の危険があるとして二院制維持を唱えています。現在も、状況は大きく変わってはいないと考えますから、賛同するしないは別にして傾聴には値するでしょう。
・経済
これこそ、現在の日本が最も苦境に陥っている部門でしょう。という訳でこれについても、適当な言葉を探してみたいと思います。という訳で、1959年『海浜にて』から引用してみましょう。
無謀な戦争をやって、ひどくやっつけられた結果、終戦の時には再び起つことが出来ないだろうと思われた。東京を見ても、家らしい家は殆どなかった。全く焼野原で、我々自身でさえも、どうしてこの日本が再びもとの日本になり得るかということを疑った位だった。食う物はなし、住む家はなし、着る物はなし、どうも惨憺たる状態にあった。
その日本が兎も角、十年の間に、自動車の数から言っても、ビルの数から言っても、戦争以前の数倍、数十倍の繁栄を来している。これだけの復興をやった国が他にあるか。
(同書 38頁)
吉田はこのように、戦禍による廃墟から立ち上がった日本の不屈ぶりを誇って見せています。これはあくまで過去の栄光ではありますが、現在の我々も「もう一度やってやる」と誇りと意気の源泉にする分には構わないのではないでしょうか。もっとも、上記のように言いつつも、吉田は後に西ドイツにはかなわないとシャッポを脱いでいるんですけれどね。こうした復興の実績を踏まえ、吉田は
日本人自身ももっと自信を持つ必要がある。日本は偉い国だという自信を持つべきである。(同書 39頁)
と言ってくれています。しかし、これは心構えとして他国に卑屈になるなと述べたもので、「自信と言っても、根拠のない自信の持ち過ぎは困る」(同書 46頁)とあるように他国を見下したりむやみに強硬な態度をとって良いという事ではないでしょうからくれぐれも注意を。特に、外交に関しての日本の「勘」が良くない事については吉田は強い危惧を表明していますから、慎重に願いたいもの。
ところで、吉田は1962年に『This is Japan』に掲載した『大磯随想』では戦前日本を反省し、かつ共産圏を批判してこのように言っています。現在日本の状況を鑑みると、ちょっと気になるので引用しましょう。何でも、戦後間もなくの日本は災害による被害が甚大で苦しめられたが、それは「戦争までの軍部が大砲や軍艦を作る為に、堤防も作らず、民政に金を使わなかったから」であった、と。そして、
中共は人民公社というべら俸な制度を布いて、飯も食わさずに働け、働けと働かした上、その結果は国家が取っちまう。これじゃ生産意欲が起る筈がない。それが今の食糧欠乏に至った所以である。天災と言うが、人災に違いない。
(いずれも吉田茂『大磯随想』中公文庫 75頁)
とのことです。考えてみれば、現代日本の企業は、不景気の中でやりくりに苦心するうちに、「軍部」や「中共」「国家」を「企業」に、「大砲や軍艦」を「商品」に置き換えた形になってはいないでしょうか?最低賃金の撤廃云々という話題も耳にしますし。
現在、日本製品は国際競争で中国・韓国等に非常な苦戦を余儀なくされているようですね。そうした時代だと、日本製品を売る上で最上の顧客はやはり日本人と言うことになるのではないでしょうか。とすると、現状では日本企業にとって本国の市場は何としても死守すべき対象という事になるでしょう。それがもし上記のような事になると、日本人客の購買力を奪う結果につながりかねません。そうなった場合には、あたかも自分の足を食っているような事態になりますまいか。
以上、隠居後の吉田茂による語録をいくつか見てみました。日本人に自信を与えてくれるもの、励ましてくれるもの、更に心せねばならぬ注意事項も散見され現在から見ても有用な印象だと思います。
【参考文献】
大磯随想 吉田茂 中公文庫
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吉田茂が活動する前段階として、第二次大戦の敗戦処理で苦闘した人々がいました。興味のある方は、社会評論社『敗戦処理首脳列伝』を御参照いただけますと幸いです。
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吉田茂は、かなりアクの強い人だったようです。興味のある方は、同『ダメ人間の日本史』を御参照ください。
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