昔、横綱昇進基準はもっと緩かった~双羽黒廃業以前の横綱昇進裏基準を検討する~
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考えてみれば、横綱昇進に求められる条件も以前よりずいぶん厳しくなっています。内規では昇進の条件は「二場所連続優勝またはそれに準ずる成績」となっているものの、二場所連続優勝が事実上の絶対条件になって久しいです。これは、優勝なしで昇進した双羽黒がトラブルを起こした末に角界を去ったのが契機だといいます。実際、それまでは「二場所連続優勝」は横綱昇進に際して必ずしも必須ではありませんでした。現在よりはもう少し基準が緩かったのです。
そこで、横綱審議委員会発足から双羽黒廃業の間に誕生した横綱の昇進直前三場所における成績を列挙してみましょう。(優)は優勝、(優同)は優勝同点を意味しています。
千代の山
1950年 9月:11勝4敗 1951年 1月:8勝7敗 5月:14勝1敗(優) 横綱昇進
鏡里
1952年 5月:11勝4敗 9月:12勝3敗 1953年 1月:14勝1敗(優) 横綱昇進
吉葉山
1953年 5月:14勝1敗 9月:11勝4敗 1954年 1月:15戦全勝(優) 横綱昇進
栃錦
1954年 3月:9勝6敗 5月:14勝1敗(優) 9月:14勝1敗(優) 横綱昇進
若乃花(初代)
1957年 9月:11勝4敗 11月:12勝3敗 1958年 1月:13勝2敗(優) 横綱昇進
朝潮
1958年 11月:14勝1敗(優) 1959年 1月:11勝4敗 3月:13勝2敗 横綱昇進
柏戸
1961年 5月:10勝5敗 7月:11勝4敗 9月:12勝3敗(優同) 横綱昇進
※なお、これに先立つ1961年 1月に13勝2敗で優勝している。
大鵬
1961年 5月:11勝4敗 7月:13勝2敗(優) 9月:12勝3敗(優) 横綱昇進
栃ノ海
1963年 9月:11勝4敗 11月:14勝1敗(優) 1964年 1月:13勝2敗 横綱昇進
佐田の山
1964年 9月:13勝2敗 11月:13勝2敗 1965年 1月:13勝2敗(優) 横綱昇進
玉の海
1969年 9月:13勝2敗(優) 11月:10勝5敗 1970年 1月:13勝2敗(優同) 横綱昇進
北の富士 1969年 9月:12勝3敗 11月:13勝2敗(優) 1970年 1月:13勝2敗(優) 横綱昇進
琴櫻
1972年 9月:9勝6敗 11月:14勝1敗(優) 1973年 1月:14勝1敗(優) 横綱昇進
輪島
1973年 1月:11勝4敗 3月:13勝2敗 5月:15戦全勝(優) 横綱昇進
北の湖
1974年 3月:10勝5敗 5月:13勝2敗(優) 7月:13勝2敗(優同) 横綱昇進
若乃花(二代) 1978年 1月:13勝2敗 3月:13勝2敗(優同) 5月:14勝1敗(優同) 横綱昇進
※なお、これに先立つ1977年5月に13勝2敗で初優勝を果たしている。
三重ノ海
1979年 3月:10勝5敗 5月:13勝2敗 7月:14勝1敗(優同) 横綱昇進
※なお、これに先立つ1975年11月に13勝2敗で初優勝を果たしている。
千代の富士
1981年 3月:11勝4敗 5月:13勝2敗 7月:14勝1敗(優) 横綱昇進
隆の里
1983年 3月:11勝4敗 5月:13勝2敗 7月:14勝1敗(優) 横綱昇進
双羽黒
1986年 3月:10勝5敗 5月:12勝3敗 7月:14勝1敗(優同) 横綱昇進
※表にあるうちでは優勝経験なしで昇進した唯一の横綱。最終的に、優勝を経験できなかった。
北勝海
1987年 1月:11勝4敗 3月:12勝3敗(優) 5月:13勝2敗 横綱昇進
大乃国
1987年 5月:15戦全勝(優) 7月:12勝3敗 9月:13勝2敗 横綱昇進
以上です。中には、「二場所連続優勝またはそれに準ずる成績」と称するにはちと無理があるメンツも存在します。千代の山、吉葉山、朝潮、柏戸、玉の海。彼らは、直前二場所に11勝・10勝止まりの成績が存在しており、今日だと問題にもされないでしょう。そしてそれ以外でも、二場所連続優勝を果たす事無く横綱になった人も珍しくありませんでした。というか、連覇して昇進したのが栃錦・大鵬・北の富士・琴櫻だけ。
上述の「甘い昇進」とされた五名を除いて条件を考えると、当時の実質的な条件として
・大関としての直近二場所が計25勝以上
・ただし、直前場所は12勝以上
というのが一応の目安という事になるでしょうか。三場所前の成績はさほど問題にならない印象です。まあ、昇進決定の背景には成績だけでなく、相撲人気上昇のための話題作りとか左右に一人ずつ横綱が欲しいとかいった政治的理由もあったりするのですが。そのため、上述の基準を満たしていても昇進が見送られた例もあるのでこの二条件は絶対的なものではありません。
ここで、明らかに甘い条件で昇進した横綱たちについてもう一度見てみましょう。
千代の山の場合、実のところ「甘い昇進」の理由ははっきりしています。かつて、
1949年 9月:13勝2敗(優) 1950年 1月:12勝3敗(優)
と二場所連続優勝して昇進条件を文句なしに満たしていながら、横綱制度自体の是非が議論されていた時期で昇進が見送られた事情がありました。その埋め合わせという意味合いがあの昇進にはあったのです。
吉葉山も上述条件を基準にみると、直近2場所計26勝で直前場所は全勝と条件は満たしていました。その前に14勝している事も考えると、彼の昇進も一応は妥当といえるようです。
朝潮は、直前2場所が24勝止まりであり甘いのは否定できません。ただし、
1958年 9月:11勝4敗 11月:14勝1敗(優)
で一応上記条件を満たしていると言えなくもありませんからその埋め合わせという意味もあったのでしょうか?
柏戸は直前2場所で計23勝。いくらなんでも甘すぎるでしょう。ライバルと目されていた大鵬と同時昇進にする事で話題作りしようとした協会の思惑が見えます。とはいえ、その少し前に
1961年 1月:13勝2敗(優) 3月:12勝3敗 計25勝
と昇進してもおかしくない条件を満たしています。その際に見送られた埋め合わせとみる事は可能でしょう。
玉の海は直前2場所で23勝。これも甘いと言えます。ただし彼はそれに先立って
1968年 1月:12勝3敗 3月:12勝3敗 5月:13勝2敗(優)
という非常に安定した成績を残しています。なぜこの時に昇進させてもらえなかったんでしょうか?
なお、上記横綱たちの最後を飾る大乃国は直前2場所で25勝、直前場所13勝。直前二場所で優勝はありませんが条件は満たしています。というか、7月に12勝した時点で計27勝ですからここで昇進してもおかしくありませんでした。それまでが不安定だったので、もう一場所据え置かれたという事情なようです。
以上を考えると、横綱に昇進した人々は直前成績が甘めな例も含め、当時の基準で横綱昇進にふさわしい成績を挙げていたのがわかります。みな、少なくとも昇進時点では横綱に値する実力を示していたという事でしょう。
ちなみに、問題の双羽黒は直前2場所で26勝、直前場所で14勝ですから一応は条件を満たしています。甘めの昇進という批判もありますが、星数を見る限りでは彼だけが特別甘いわけではありません。…優勝経験が皆無、という一点を除いては。ただし、これも横審発足以前まで遡ると三代目西ノ海や照國という前例があります。なお三代目西ノ海・照國はいずれも昇進後に優勝を経験しています。
それを考えると、現在の昇進基準はやはり厳格になりましたね。ところで、「双羽黒の昇進条件が甘かった」として基準を厳しくするなら、
・過去に優勝経験あり(直近二場所含む)
という条件を加えるに留めるという選択肢もあるように素人目には思えます。
という訳で、飽くまでもお遊びとして、もし双羽黒事件以降も「二場所連続優勝必須」とならなかったら、というifについて項を改めて論じてみたいと思います。なお、横綱昇進の際にしばしば「品格」が話題にされますが、この手の話はどうしても主観が混じりますし評価基準が曖昧になります。なので、ここではあえて大関時代の直近二・三場所の数字だけを見る事にします。
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関連サイト:
横綱力士の成績についてはWikipediaを参考にしましたが、以下のサイトでも成績を確認する事は出来ます。
「相撲評論家之頁」
(http://park11.wakwak.com/~tsubota/door1.html)
「MS-DATABASE SPORTS DATA INDEX」
(http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/database(sports).htm)