横綱昇進基準がもし以前のように緩かったら~色々と妄想してみる~
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前の記事で、昔の横綱昇進は必ずしも二場所連続優勝が必須でなくかなり甘い事例もあった事についてご紹介しました。それらの事例を検討したところ、
・大関として直近二場所の成績が25勝以上である事
・直前場所の成績は12勝以上
というのが一応の目安として機能していた事が判明。まあ、満たしていても見送られた事はあるらしいので絶対的なものじゃないですが。
ところが、1987年末に横綱・双羽黒がトラブルを起こして角界を去って以降、横綱昇進には二場所連続優勝が実質必須となりました。そこで、もし条件見直しが
・過去に優勝経験あり(直近二場所含む)
という条件追加に留められていたらどうなっていたか。それについて今回考えてみたいと思います。横綱昇進の是非を評価する上で安定性や「品格」も評価対象とされる事がありますが、これにはどうしても主観が混じりますし曖昧になりますから、ここではあえて大関時代の直近二・三場所の数字だけを見る事にします。なお、この企画はあくまでもお遊びであり、現在の昇進基準について批判するとかそういった意図はない事をあらかじめお断りいたします。
まず、双羽黒事件以後に横綱昇進した人々の中に、この条件ならもっと早く昇進できていた事例がなかったかを見てみます。成績の横に記された(優)は優勝、(優同)は優勝同点を意味しています。
まずは旭富士。彼は1990年に
3月:8勝7敗 5月:14勝1敗(優) 7月:14勝1敗(優)
という成績で横綱昇進を果たしていますが、それ以前にも
1987年 11月:11勝4敗 1988年 1月:14勝1敗(優) 3月:12勝3敗
1988年 9月:12勝3敗 11月:12勝3敗 1989年 1月:14勝1敗 3月:13勝2敗 5月:13勝2敗
と極めて優秀な成績を残しています。1988年1月場所後、同3月場所後、1989年1月場所後、同3月場所後、同5月場所後に上記三条件を満たしており、従来なら横綱に昇進していてもよかった機会が潰されてきた事がわかります。それでもめげる事のなかった、旭富士の精神力には頭が下がりますね。
貴乃花は1994年に
9月:15戦全勝(優) 11月:15戦全勝(優)
と文句のつけようがない成績で昇進しています。彼が大関となったのは1993年3月場所からですが、それ以来の成績は
1993年 3月:11勝4敗 5月:14勝1敗(優) 7月:13勝2敗 9月:12勝3敗 11月:7勝8敗
1994年 1月:14勝1敗(優) 3月:11勝4敗 5月:14勝1敗(優) 7月:11勝4敗 9月:15戦全勝(優)
という非常に優秀なものでした。上記三条件を満たしているのは1993年5月場所後、同7月場所後、同9月場所後、94年5月場所後、同9月場所後です。実際問題、却下されたとはいえ1994年9月場所後に相撲協会から横綱審議委員会(以下、「横審」と表記)に昇進が諮問されたのは御存じの方もおられるかと思います。こうした扱いにも耐え、平成の大横綱へと貴乃花が成長したのは皆様御承知の通りです。
貴乃花の実兄である若乃花(三代)は1998年に
3月:14勝1敗(優) 5月:12勝3敗(優)
という成績で初の兄弟横綱を実現しました。横綱時代は怪我もあり不本意な土俵が続きましたが、大関時代の相撲巧者ぶりは今も語り草と言って良いでしょう。彼は大関時代に一度、
1996年 9月:11勝4敗 11月:11勝4敗 1997年 1月:14勝1敗(優)
という成績を残しており、時代や周囲の状況によってはこの時に昇進する余地はあったかもしれません。
貴乃花最晩年に好敵手だった武蔵丸は1999年、
1月:8勝7敗 3月:13勝2敗(優) 5月:13勝2敗(優)
と連覇を果たし昇進しています。しかしそれ以前の大関時代にも
1994年 5月:12勝3敗 7月:15戦全勝(優) 9月:11勝4敗 11月:12勝3敗 1995年 1月:13勝2敗(優同) 3月:12勝3敗
1997年 7月:10勝5敗 9月:13勝2敗(優同) 11月:12勝3敗
と好成績を残しており、1994年7月場所後、1995年1月場所後、同3月場所後、1997年11月場所後で上記三条件を満たしています。世が世ならこの時のどれかで横綱になっていてもおかしくなかったでしょうね。
現在、土俵の覇者として強さを誇っている白鵬は2007年に
1月:10勝5敗 3月:13勝2敗(優) 5月:15戦全勝(優)
の成績で昇進を果たしました。なお、彼が大関になったのは2006年5月からですが、
2006年 3月:13勝2敗 5月:14勝1敗(優) 7月:13勝2敗
と新大関優勝を果たし翌場所も好成績を残しています。条件によっては、二場所での大関通過もありえた訳ですね。現在における強さも納得させられるものがありますね。
以上、双羽黒事件以降の横綱たちの中には、条件によってはもっと早く昇進していても良い事例が少なからずあった訳ですね。中でも、旭富士と貴乃花、そして武蔵丸は数多くほぞを噛んだ事でしょう。腐らず昇進を果たした彼らに、改めて敬意を表せざるを得ません。
次に、双羽黒事件以降で大関時代に優勝し「綱取り」に挑みながらも、果たせなかった強豪力士たちを見ていきましょう。以下でご紹介するのは、時代が時代なら、条件が条件なら横綱昇進を果たせていたかもしれない人々です。
ハワイ出身の名大関・小錦は、その圧倒的な巨体と魅力的なキャラクターによって大関陥落後も相撲人気を支えた功労者でした。そして彼には、千代の富士引退直後から曙・貴乃花台頭までの狭間の時期において事実上の覇者として土俵を盛り上げた実績があります。この時期、小錦は
1991年 3月:9勝6敗 5月:14勝1敗(優同) 7月:12勝3敗 9月:11勝4敗 11月:13勝2敗(優)
1992年 1月:12勝3敗 3月:13勝2敗(優)
という好成績を挙げていました。それ以前にも
1990年 1月:10勝5敗 3月:13勝2敗(優同) 5月:12勝3敗
という成績の時期があります。彼の初優勝は1989年11月(14勝1敗)でしたから、上記三条件を満たしていたのは1990年5月場所後、1991年7月場所後、1992年1月場所後、同3月場所後の四回。その間、一度も諮問すらされなかったのですから、付き人から「人種差別」発言が出るのも無理はないでしょう。思えば、小錦は若い時代に双羽黒との対戦で膝を怪我し長くそれに苦しめられています。複数の意味で双羽黒とは因縁があると言えるでしょう。
武蔵丸とライバルとして競い合い、新入幕も大関昇進も同時だった貴ノ浪。ライバルと異なり横綱昇進はついに果たせませんでしたが、それでも機会はありました。1996年1月に14勝1敗で初優勝を果たしていますし、更に
1997年 7月:9勝6敗 9月:12勝3敗 11月:14勝1敗(優)
という好成績を残しています。昔ならこれで昇進しても不思議ではありません。
千代大海は現役晩年こそ大関の地位維持がやっとになり批判を浴びましたが、全盛期は中々の強さを誇っていました。2002年には
1月:13勝2敗 3月:7勝8敗 5月:11勝4敗 7月:14勝1敗(優)
と好成績を見せており、7月場所後に一応上記三条件を満たしています。ただし、3月に負け越しているため印象が悪いかもしれませんが。
長期にわたり大関の地位を守り、通算白星数が史上最多となった魁皇は優勝回数も5回と堂々たるものでした。彼は2004年、
7月:11勝4敗 9月:13勝2敗(優) 11月:12勝3敗
の成績を残しており昔なら横綱になっていても不思議ではありません。ただし、そうなった場合には力が衰えた時点で早期引退を余儀なくされていたでしょうが。
近年の覇者・朝青龍に対抗できる数少ない実力者でありながら、病のため若くして引退をやむなくされた名大関・栃東は一度、
2005年 11月:2勝2敗11休 2006年 1月:14勝1敗(優) 3月:12勝3敗
と上記三条件を満たしています。ただし千代大海と同じく三場所前に負け越しているのが問題になるかもしれません。
2012年11月に2場所連続負け越しによって大関陥落した把瑠都ですが、彼にも機会はありました。
2011年 9月:10勝5敗 11月:11勝4敗 2012年 1月:14勝1敗(優)
と上記三条件を一応は満たしています。白鵬による一人横綱状態でしたし、昔なら昇進していた可能性はなくもありません(相当な甘い判定になるでしょうが)。そうした栄光から一年もたたないうちにこのような運命を迎えたのを思うと、一寸先は闇です。
このように、双羽黒事件以後の条件再検討が緩やかなものであれば、数人がもっと早くに横綱になり、更に数人の大関が横綱の栄光を掴んでいた可能性があると推定される結果となりました。やはり、条件厳格化の影響は大きいようです。
もっとも、条件を今回提示した緩いものにする事が、単純に角界のために良いかどうかはわかりません。横綱は一度昇格すると格下げはない特別な地位。すなわち、ふさわしい成績を残せなくなると引退しかない厳しい立場です。今回検討した条件なら昇進可能と推定された大関の中には、その直後で力が急速に下降線に入った例もいくつか見られました。彼らがもし横綱になって同様の成績であれば、早期に引退へ追い込まれた事は想像に難くありません。実際よりも土俵人生が短いものになるだけでなく、「弱い横綱」として後ろ指を指される可能性もあるわけです。また、角界そのものも横綱の権威を汚す粗製乱造と批判を浴びたかもしれません。
しかし一方で、横綱昇進の頻度が増える事は力士たちにとってもやりがいがあるでしょうし、角界にとっても注目を集める機会となります。また、現在待望されている日本人横綱も数人生まれていますし、ひょっとすると現在のように大関が多数並立して頭打ちになる状況は回避された可能性も。
どちらが良いかは、単純には結論が出せない問題のように思えます。ただ、良し悪しは別にして現在とは角界の姿もかなり違っていたのではないかと思わされる結果でした。
※2013/1/15 成績に一ヶ所誤りがありましたので訂正しました。
※2013/1/15 武蔵丸の成績について加筆し、数多く見送りを喫してきた横綱の中に彼の名を加えました。また、他の箇所における誤字を訂正しました。
※2013/11/24 小錦の成績について加筆しました。
関連サイト:
横綱力士の成績についてはWikipediaを参考にしましたが、以下のサイトでも成績を確認する事は出来ます。
「相撲評論家之頁」
(http://park11.wakwak.com/~tsubota/door1.html)
「MS-DATABASE SPORTS DATA INDEX」
(http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/database(sports).htm)