教会とエロネタ色々 ~教会の聖職者も一般信者も結局大半はエロい凡俗~
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・女性洗礼と覗き
初期教会では、成人の洗礼は裸体になり全身を水につける事でおこなわれてきました。ところが八世紀の事、公会議での決定により「完全なる洗礼が男たちに過度の興奮を生じさせない」ために男が女の洗礼に立ち会うことを禁止されています。神聖な儀式にかこつけて女性の裸身を見物しにくるスケベ男が少なからずいたことがわかりますね。
・聖職者のセクハラ、淫行
以前にも述べた気がしますが、密室なのを良い事に女性信者にエロい事をする聖職者が後を絶ちませんでした。何しろ十八世紀のある編年史家が、病気の女の告解を聴いた後でその乳房に手を置こうとするフランシスコ会修道者がいると告発しているとか。また『告解の真実』という書物で元司祭が
「告解所の王はセックス陛下だ……。格子を通じてセックスが支配している……」(マルタン・モネスティエ著『図説乳房全書』大塚宏子訳 原書房 133頁)
なんて憤懣やるかたない想いをぶちまけたりしています。十五世紀の教皇シクストゥス四世時代も、そうした問題に悩まされ司教や枢機卿たちに「公爵夫人や伯爵夫人の胸に手を触れてはならない」と命令を出したりしていました。
しかし、一方でこの教皇は聖職者たちの滾る性欲に屈した経験も持っています。サント・リョセの枢機卿から嘆願を受けて「もっとも暑い季節の三ヶ月間に限り、これを行なってもよい」と肛門性交を条件付きながら容認したそうで。日本仏教と同様に、女性の代用として少年愛に走る聖職者が多かったのでしょうか。そしてそれを黙認せざるを得なかったという事でしょう。
・礼拝における一般信徒~おっぱい!おっぱい!~
聖職者がアレなのは世の常として、一般信者はどうだったのでしょうか。1780年、ある医師が礼拝風景としてこのような記録を残しています。
「若者たちは女性と同じ本を見ながら歌を歌うが、今日の若者の世界の礼法に従い」
「一般に目が悪いので上品な眼鏡を使って、唱歌集と少女の胸をよく見る」
(H.P.デュル『挑発する肉体』藤代幸一・津山拓也訳 法政大学出版局 402頁)
…神聖なる教会で賛美歌を歌いながら、おっぱい視姦してたわけですね。
どれだけ「清く正しく美しく」を目指そうと、どうしてもそれを動かすのは猥雑な人間になるということのようです。結局、人間というやつは古今東西を問わず、その辺りに関しては変わりばえしないようですね。
【参考文献】
図説乳房全書 マルタン・モネスティエ著 大塚宏子訳 原書房
挑発する肉体 H.P.デュル 藤代幸一・津山拓也訳 法政大学出版局
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「乳をこよなく愛した人々の話 in 西洋史」
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「西欧中世における恋愛、性の諸相」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/051209.html)
偉人でも(聖職者含め)宗教絡みでアレな話題を残している事があります。興味のある方は、社会評論社『ダメ人間の世界史』『ダメ人間の日本史』を御覧いただきますとそうした事例が見られるかと。
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