今東光が語る最澄の体罰への考え~「弟子を叩くな、後輩を殴るな」~
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さて、こうした体罰は戦前の教育現場や軍隊以来の悪しき風習と見る人も多いでしょう。ところが意外な事に、『少年犯罪データベース』の管賀江留郎氏によれば、戦前においては学校・軍隊とも体罰は法律で絶対禁止だったそうです。明治十二年(1879)の教育令で明記されていたのだとか。体罰が軍隊で広がったのは日中戦争の慢性化により士気が荒廃した結果そうなってしまったものであり、東条英機が悪名高い『戦陣訓』を出す事になったのもそうした軍紀荒廃に歯止めをかけようとする意図によるものだったそうです。
関連記事:
「少年犯罪データベースドア」(http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/)
「戦前は学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だった」(http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/52456998.html)
元自衛官で劇画原作者・武論尊氏によれば体罰は自衛隊では当然のようにあったそうですから、戦後の自衛隊は戦中に生じた体罰を引き継いでしまっていたようです。なお、武氏は体罰の是非そのものは保留しつつも、
ひとつわかるのは、体罰でいうことをきくようにはならないと思うんだ。殴られる側は絶対殴り返そうと思うだけでさ。それで一番弱いヤツが先輩になったときに、後輩に同じように殴るっていう。あれは悪しき連鎖だと思うな。(武論尊『下流の生きざま』双葉社 125頁)
とどちらかといえば否定的な見解を示しています。
もっとも戦前の教育現場で実際どうかというと場所によっては色々だったようで明治・大正期に教育を受けた作家・今東光は
わたしなどやんちゃくれでしたから、子どものころ毎日学校で、毎時間一ぺんはどつかれなんだら収まらんかった。なにしろ、それが毎日のことだったもんで、一ぺんも叱られないで家へ帰ったりすると、何やら忘れ物をしたような気がして(今東光『毒舌・仏教入門』集英社文庫 24頁)
と言っています。実際問題として、教育現場で体罰が行われる事はままあったようで、中には生徒が死亡する悲惨な事件もあったりました。とはいえ、基本的に体罰禁止は法で明記されており発覚すると親は黙っておらずしばしば裁判沙汰になっていたそうです。
とはいえ、実のところ体罰はかつては禁忌だったというのは意外でしたね。前近代においても、武士道の心得を説いた大道寺友山『武道初心集』には妻が悪い事をしても殴るのは臆病武士の所業であると述べていますし藩校・寺子屋でも体罰の事例はほとんどなかったのだそうです。徳川光圀や山鹿素行も厳しく育てると子は性根がねじれてしまうので良くないと説いているとか。さて、前近代日本における話題としては、平安初期の傑僧・最澄の話もしておかねばなりますまい。彼は言うまでもなく日本天台宗の祖として比叡山延暦寺を開き後の仏教に大きな影響を与えた巨人です。その最澄が弟子たちを教育するにあたり、最後にある事を「一番大事なこと」として言い残したといいます。天台宗大僧正でもある今東光の言葉を引用すると、
それは、まったく手近なことでした。お弟子たちに、「弟子を殴るなよ。弟子をたたいてくれるな。私の遺言だ」と言われた。涙が出るようですね。自分の弟子をたたくな、自分の後輩を殴るな。(同書 23-24頁)
というものだとか。
たたきたいこともあるだろうけど、たたく少し前までこらえよ。そういう教育をしている。人をたたきとうなることもある……これは、人間だったら、だれにでもあることですよ。仏法はそんなことまで戒めたりはしない。ですが、たたきたいのはわかるけど、じっとこらえてたたくのはやめよと言うんです。たたきたいけどたたかない、そこに意味があるんですよ。(同書 24-25頁)
最澄の子の教えは、亡くなる二か月前の弘仁十三年四月に残したものであるようですね。具体的な当該部分は、
我れ生れしより以来(このかた)、口に粗言なく、手に笞罰(ちばつ)せず。いま我が同法、童子を打たずんば我が大恩となさん。努力(つとめ)めよ。努力めよ。(文・今東光 写真・山本建三『比叡山延暦寺』淡交社 146頁)
【現代語訳】
私は生まれてこのかた、暴言を吐いたことも人を打擲するための鞭や杖を手にしたこともない。わが弟子たちよ、まだ未熟な幼い弟子たちを殴ったりしないでほしい。そうすれば、私は非常にうれしく思う。何とぞ何とぞそのように努力してほしい。
というものであったそうです。
日本の伝統は、素晴らしい教えを残していたようですね。「悪しき伝統」とされるものを吟味する際、「本当にそれが伝統なのか」という視点からも見る必要があるようです。
【参考文献】
管賀江留郎『戦前の少年犯罪』 築地書館
今東光『毒舌・仏教入門』 集英社文庫
武論尊『下流の生きざま』 双葉社
文・今東光 写真・山本建三『比叡山延暦寺』 淡交社
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※2015/9/17 最澄の遺言における当該部分の原文の引用および其れに関する段落を加筆、参考文献を追加しました。