にっくき相手にどのような言葉をかけるべきか~侮辱・罵声・恫喝は無益です~
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ルネサンス期のイタリアで活躍した思想家マキャベリは著作『政略論』で以下のように述べているそうです。
人間がとりうるなによりも賢い態度の一つは、相手に対して脅かすような言辞を吐いたり、侮辱するようなことばをけっして口にしないようにつつしむことであると思う。というのは、そのどちらを口にしてみたところで、けっして敵の力を弱めることにはなりはしないからである。脅かすようなことばは、かえって相手をもって用心させるようなことになるし、侮辱したらますます憤激をかきたてさせ、なんとかして諸君をやっつけようと思案をめぐらさせる結果となるものである。
(会田雄次責任編集『世界の名著16マキアヴェッリ』中央公論社 460頁)
確かに、その通りだと思います。わざわざ向こうに「敵はここだ」と知らせてやる事になりますし、おまけに引っ込みがつかなくなり相手と折り合う事もできなくなりますから悪手なのは間違いありません。そういえば、古代ローマで雄弁家として知られたキケロもこう言っています。
黙して隠されたる敵意は、公然と言われた敵意より以上に怖れられるべきなり。
(梶山健編著『世界名言大辞典』明治書院 160頁)
つまりは、口に出された脅迫・侮辱は相手にとってさほど怖くはない、という事がありうるわけですね。
考えてみれば、敵対する事になった相手も相性・利害・思想といった面で噛み合わなかったに過ぎず、こちらも向こうも同じ人間で別にどちらかが悪の権化、という訳ではありません。昔のアメリカ大統領J・F・ケネディは
Forgive your enemies, but never forget their names.
(Carol-Lee Zuvic, Balance and Boundaries: Be-Coming Complete Through Forgiveness and Compassion, BalboaPress p25)
あなたの敵を許せ。しかしながら、彼らの名は決して忘れるな。
と述べているそうで。憎むな、とは言いません。人間ですし、それは無理というものです。ただ、相手も自分も同じ人間だという事を忘れず、一定の敬意は忘れず感情的にならぬように心する。しかし敵対せねばならぬ相手ならばそれをしっかり心に刻み油断せずそれに備える。そうありたいものです。その方が、相手との戦いにおいても損得勘定から見ても有利なのは上で見たとおり。敵への敬意を忘れなければ、過小評価を防ぐ事にもなるでしょうし。逆にうまくやれば、相手の油断を誘う事もできるかもしれません。昭和の作家にして天台宗大僧正であった今東光は、気に食わない相手への対処について以下のように言っています。
いま、こんな野郎の鼻っ柱をいくらぶん殴ってやってもこたえやせん。
いくら小気味のいいセリフでへこましても、絶対に負けたとは言いたがらないよ。
いまのところは「やっぱりあんたは偉いぜ。あんたが日本一やで」というようなこと言って喜ばせといて、高転びに転んだ時、大いに笑ってやりゃあいいんだよ。
(いずれも今東光『毒舌身の上相談』集英社文庫 101頁)
これくらいの心構えでどっしりと構えていた方が、相手のペースに巻き込まれずに済みそうではあります。こちらに流れが来るまで、焦らずに待つ。そういう気持ちが大事なのかも。また今東光は、喧嘩を吹っ掛けられた際の心構えとして
ふっかけられたら、韓信のように股をくぐれ。そこまで徹底して敵を怒らせないようにして、なおかつ、その股をくぐる奴を許さずに喧嘩をふっかけるっていうのならば、その時には起き上がって、キンタマを蹴り上げてぶっ殺してしまえ。だけど、やはりそれは韓信の股くぐりまでいかなければ、誠実に生きていることにはならないし、謙虚に生きていることにもならんよ。(今東光『毒舌身の上相談』集英社文庫 129頁)
となかなか物騒な事を言っています。理不尽とも思われる相手に冷静さ・誠実さ・謙虚さを貫くには、この位の覚悟が要るという事なんでしょう。また、周囲にこちらが筋を通していると納得させるには、それくらいしなくてはいけないのかもしれません。第三者からすれば、争っている当事者は大抵「どっちもどっち」に見えるでしょうから。相手に挑戦的な態度に出るのは、最後の最後。むろん、ただ下手に出るだけじゃなくてこちらも主張すべき点は主張せねばなりませんが、どこまでも筋を通し紳士的に。
なお、ケネディは上述した言葉の他に
The elusive half-step between middle management and true leadership is grace under pressure.
(Richard Dobbins, Barrie Pettman, What Self-Made Millionaires Really Think, Know and Do, John Wiley & Sons p224)
中間管理職と真のリーダーとの間にある微妙な半歩の違いは、プレッシャーの下で優雅でいられるかどうかだ。
とも言っているそうです。難しい事ですが、敵対する相手の前でも優雅さを失わずいたいものですね。そうすれば、折り合える余地が生まれるかもしれませんし、それが無理なら同じ敵対行動をとるにしても筋を通し誠実さ・冷静さ・優雅さを保つ事で周囲を信頼させ味方にできるよう努めたいところです。
【参考文献】
『世界の名著16マキアヴェッリ』会田雄次責任編集 中央公論社
梶山健編著『世界名言大辞典』 明治書院
今東光『毒舌身の上相談』集英社文庫
Carol-Lee Zuvich, Balance and Boundaries: Be-Coming Complete Through Forgiveness and Compassion, BalboaPress
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「ポンペイウス」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/1998/980522.html)
記事に登場したキケロと同時代人です。
※2015/12/27 ケネディの発言に関するソースを変更しました。 2017/2/23 ケネディの発言に関する文献の表記を手直ししました。