人に反対意見を述べる難しさ in 日本~最高権力者・秀吉を巧みに諌めた男の伝説~
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さて、中国だけでなく日本でもその辺りの問題があるのは変わりありません。という訳で、今回は日本史を題材に権力者にうまく諫言するすべを心得ていたとされる人物を一人紹介したいと思います。
曽呂利新左衛門という人物を御存じでしょうか。伝説によると、堺の出身で本姓は杉本(坂本、中川とする説も)。刀の鞘を作るのに長じており、ソロリと刀が入る事から曽呂利と呼ばれるようになったとか。和歌・茶の湯・狂歌にも優れ、頓智で笑わす事にたけていたことから豊臣秀吉に寵愛されていたと伝えられています。実のところ、彼が実在したかどうかはかなり怪しいらしいのですが、今回は彼が秀吉を巧みに諌めた逸話をいくつか述べていきます。
秀吉はある時、お忍びで人々の様子を見て回ろうと思いつきました。近臣らは心配して諌めましたが、受け入れられることはありません。そんな時、北山へ秀吉の下に参上した曽呂利は苦しげに咳き込んで見せます。訝しんだ秀吉に、曽呂利は「少し怪しいものを食したためです」と答え、以下のような話を始めました。
前日に京の遊びに行った際、怪物に出会った。背中に巨大な羽があり、長い鼻を有していたから天狗の類だろうと思う。自分は逃げようとしたが逃げる事も出来ず、観念して天狗に話しかけた。「聞くところによれば、貴方は変身する能力を持っているとか。できるなら冥土の土産にそれを自分に見せてほしい。それがかなうなら食われてもよい。貴方の立派な姿は今拝見したから、できるだけ小さな姿になってほしい」と。すると、天狗は蟻のようなものになった自分の掌の上に乗ったので、自分は一息にそれを飲み込んだ。
ここまで語った上で、曽呂利は「天狗は神の獣ではありますが、それでも一度威光を失うと人から食われてしまいます。でなければ、私は今頃は天狗から食われていたでしょう」と述べました。秀吉はここまで聞いて吹き出し、「誰に頼まれた?」と言ってお忍び計画を取りやめたそうです。
こんなこともありました。秀吉が自慢にしていた松の木が枯れてしまい、側の者がこっぴどく叱り散らされていました。そこへ曽呂利がやってきて、「松が枯れましたそうで、まことにおめでとうございます」と奇妙な祝いの言葉を。秀吉が問い詰めたところ、曽呂利はこのような歌を詠んで答えたとか。
御秘蔵の常世の松わ枯れにけり 己が長寿君に譲りて
これを聞いた秀吉は機嫌を直し、家臣を叱るのもやめたそうです。
思えば、秀吉は一代で日本全土の支配者になりあがった、専制権力者の典型と言うべき人物です。すなわち、彼の機嫌一つで他人の生き死にが簡単に決まってしまう存在という事。そうした恐るべき相手に対し、下手に刺激することなく相手を乗らせて巧みに諫言を通す様は見事としか言いようがなく、
戯論の中に不戯論の妙味を備えて、常に其本心を達して居たのは実に感心である(吉村雄鳳編『因縁百話』鴻盟社 146頁)
と明治の世でも高く評価されています。
そんな曽呂利でしたが、一つ間違えれば危なかった時もありました。秀吉が伏見に御殿を作った時の事。秀吉は火事を恐れ、縁起を担いで「火」という言葉を使うと厳罰に処すると布令を出します。前田利家が周囲の者が困ると取り成したため百石ごとに金三両の罰金と布令内容は軽減されたものの、それでも人々は大弱り。そんな中、曽呂利は秀吉に「茶の湯の席で天下の逸品というべき道具を見ました。釜です。」と話しかけます。茶の湯好きの秀吉にしてみれば、興味津々。ましてや茶釜といえば名高いものはすべて手中にしたと自負していましたから、身を乗り出さんばかりに話に聞き入ります。曽呂利が言うには、「古渡の何か存じませんが、木で作ったものでございます」とのこと。秀吉は笑い出して「いつもの冗談を申すか。木で作った釜なら、火にかけられないであろうが」と言ってしまいました。すかさず曽呂利は「我が君は一千万石の御知行と見積もりまして、三十万両の罰金となります」と返したので、秀吉は「うまくだまされた」と例の布令を取り消す旨を言明。ここで矛を収めればめでたしめでたしだったのですが、曽呂利は「御自身の都合の悪いからと言って取り消すのは無体ではありませんか」と追い打ちをかけてしまったため秀吉は色をなします。曽呂利、危うし。そこへ細川幽斎が間に入り、「元は殿下が仰った布令ですからそのままで済ませる事はできないでしょう。とはいえ、曽呂利が殿下の言葉尻を取るとはけしからぬこと」と取り成しに入ります。その上で、曽呂利に自分が上の句を作るからそれに良い下の句を付ければ殿下から褒美をいただけるであろうと促し
君の非(火)を決(消)して人には云われまじ
と詠みかけたので曽呂利も
お袂金を曽呂利頂戴
と下の句を付け、機嫌を直した秀吉から多額の褒美をいただいたそうです。幽斎から助け舟が入ったから良かったようなものの、面白おかしく諌める方法でも退き時を間違えると十二分に危ない事がありうる、という事が読み取れる話ですね。
日本で上役を諌めるといえば、大久保彦左衛門のような直接に苦言を呈する直言居士タイプがもてはやされがちですが、実際のところそうした役回りは誰にでもできるものではありません。これはこれで確かに立派ではあるでしょうが、尋常でない勇気が要りますし、危険です。彼のようなタイプが無事に諌め役として機能するには、諌められる側が相当な度量を持っていることが大前提となりますし相当な高いハードルです。さもなければ、諌めた家臣は処刑され、主君もいらぬ殺生をし、周囲は恐怖で萎縮するという誰もが不幸になるパターンになりかねません。それを考えると、曽呂利のように相手を刺激しないよう心がけながら上手く意見を通すやり方ももっと注目されて良いのではないでしょうか。それでも上述のように危険がそれなりにあり、相応の覚悟と度胸は求められますが直言よりはまだやりやすいと言えなくもなさそう。
目的は自分の意見を相手に聞き届けてもらう事であり、「正義」や「正論」で相手をたたき伏せる事ではないという事は忘れてはならないと思います。
これは身分の上下があった時代の心得で、民主主義の時代である今としては卑屈にすぎる、という意見もありうるでしょう。しかし、民主主義の時代といえども目上の人間が自身の生殺与奪を握っているという面では昔と同様です。そして、皆が法の下に平等であるなら、なおさらこうした心構えは有効ではないかと思います。なぜなら理論上、誰もが自分の目上な立場に立つ可能性がある、という事なのですから。
【参考文献】
「近代デジタルライブラリー」(http://kindai.ndl.go.jp/)より
「吉村雄鳳編『因縁百話』鴻盟社」(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818361)
「高野辰之編『お伽文庫1』春陽堂」(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168063)
『大辞泉』小学館
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「日本出版史」(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050227.html)
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