年を経ても異論を受け入れられる事のすばらしさについて~ベトナムのドイモイに絡めて~
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さて、そうした難題をクリアする事で祖国を救って見せた年長者の話を、現代史から一つしてみたいと思います。詳細については社会評論社『戦後復興首脳列伝』に触れられていますので、興味のある方は御参照下さい。
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当ブログ内紹介記事
ベトナム戦争が終結し、南北統一されたベトナム。しかし、その経済再建は容易ではありませんでした。戦争による被害の大きさは勿論、社会主義体制が現実とは遊離した経済政策の原因となっていたのです。そうした中、地方レベルで市場経済を可能な範囲で取り入れようとする動きが出ますが、中央政府からは取り締まられました。
そうした状況が変化したのが、とある元勲の関与からでした。その元勲こそ、独立戦争・革命の大功労者であったチュオン・チンです。彼はその経歴もあって、当初は教条主義的な社会主義者でした。しかし経済の現実や地方の状況を目にするにつれ、次第に考えを変えていきます。そして、ブレーンとしていた知識人たちの意見をもっぱら聞き役に回る事で改革路線の正しさを確信。感激のあまり、(おそらくは)年少の知識人たちに
「私はもっと早く君たちに会うべきだった」(古田元夫『ドイモイの誕生 ベトナムにおける改革路線の形成過程』青木書店 90頁)
と述懐、従来の信念とは異なる方向に舵をとる決意をします。以降、彼は市場経済導入に尽力し、間もなく世を去りました。建国・革命の元勲が自らの信念や成功体験に拘らず、現状を直視して年少者の異論にも耳を傾けたのが、ベトナムの方向性を大きく改善させたのです。
ところで、近代文学研究者・谷沢永一氏は著作で以下のように述べています。
四十歳を過ぎた人間の器量を測るのもまた実に簡単で、一世代も二世代も若い人の才能を見出して心から賞め上げ得る人は、年を取ってもなお成長を続けるであろう。
そして一方、若い世代のまだ潜在している多様な可能性を、見出し得ず一方的に罵る者は、すでに成長が止まってしまっているのである。
(谷沢永一著『百言百話』中公新書 115頁)
…実に至言だと考えます。チュオン・チンは確かに、生涯の終わりまで成長を続けた人物と言ってよいでしょう。そして、年を取った際の自分も、柔軟さを失わず生涯にわたって成長できる人間でありたいものだとも思います。言うは易く行うは難し、ではありますけれど。
【参考文献】
谷沢永一著『百言百話』中公新書
麓直浩『戦後復興首脳列伝』社会評論社
古田元夫『ドイモイの誕生 ベトナムにおける改革路線の形成過程』青木書店
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偉くなっても異論に耳を傾ける人は決して多くないので、みんなこのように苦労します。
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少なくとも、こういう年の取り方はしたくないものです。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「引きこもりニート列伝その18 劉邦」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/neet18.html)
年を取って偉くなってからも家臣の意見に耳を貸して成功した、とされる人物です。
※2014/11/29 引用部分の表示を少し変えています。