<言葉>谷沢永一『百言百話』に登場する名言からふと思う~正義や「自分の正しさ」に懐疑的であれ~
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<田辺聖子『休暇は終った』より>
人を責めることが大好きな人があるね、正義の味方の中には
(谷沢永一著『百言百話』中公新書 28頁)
…なかなかに耳に痛い言葉ですし、世の中を見ていても「そうかも」と思わざるを得ない一言です。自分には受け入れられない考えをしてる、自分の目からみて不純である、といった理由で正義を振り回してしまいがちですし、そういう人をしばしば目にもします。しかし考えてみれば、
<内村鑑三『基督信徒の慰め』より>
人間の力なきことと真理の無限無窮なる事を知る者は、思想のために他人を迫害せざるなり(同書 60頁)
なんて言葉もあります。人間は不完全な存在でどうしてもその考えには限界があり、己の信じる「正義」も例外ではありません。たとえ「真理」を手にしたとしても、それは「真理」であるがゆえに手にした人間が(その不完全さゆえに)その解釈を誤ってしまう可能性は残る訳で。禅語にも、
青天也須喫棒(『景徳伝燈録』)(有馬頼底著『茶の湯便利手帳2やさしくわかる茶席の禅語』世界文化社 209頁)
なんてのがあります。「青天また須(すべから)く棒を喫すべし」とよみ、雲一つない青空のように完璧な心境に思えてもそれに満足してはならない、という事です。「真理」を手にした、と思ってもその正しさに執着し過信した時、新たな迷いが生じる。だから、雲一つない青空のような真理に思えても、一度は徹底的に打ち砕き洗いなおすくらいでなくてはならない、という事なんでしょう。常に、自分の信じる「真理」を頭のどこかで疑いながら進むくらいではなければいけないんじゃないか、と個人的には思います。
まあ、己の至らなさを知っていれば、むやみに「正義」を振り回してそれに合致しない事を理由に他人を非難することは確かにできないでしょうし、してはならぬことでもあるのでしょう。また、
<伊藤仁斎『童子問』より>
仁者は俗を嫉むの心少し(谷沢永一著『百言百話』中公新書 30頁)
とも言います。人間の不完全さを考えると、物事が何であれ利己心や悦楽に流れてしまう事はある程度やむを得ないとも言えます。それに対し、実害がない限りにおいてはあまり目くじらを立てるべきではないのかもしれません。そういえば、極論のようにも思えますが、
<山本夏彦『やぶから棒』より>
汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである(同書 68頁)
なんて発言まであるようです。まあ、この人は戦前に青年将校の「正義感」が国を誤った様子を知ってますからね…。己の「正義」を信じ他人に向かってそれを振りかざす事がどんな結果を招きうるか、という事で頭に留めるべき一言でしょう。
人間が不完全で至らぬ存在という事は、「正義」を振りかざす人も例外ではありません。「正義」で他人を撃つのに夢中になっていると、自身の欠陥や不完全さに思いが至らなくなってしまいがちです。それを思うと、
<足利尊氏『尊氏卿御遺書』より>
他人の悪を能く見る者は、己の悪これを見ず(同書 114頁)
という言葉は実に重いと言えます。尊氏が他者への寛容さで知られていることを考えると、発言の真偽はともかく尊氏らしい言葉ではあると思います。
以上、いくつかの言葉を引用してきましたが、
<福沢諭吉『学問のすすめ』より>
自由と我儘の界は、他人の妨を為すと為さざるとの間にあり(同書 36頁)
なんて言葉もあるように、明らかな実害がない限りにおいては他人の価値観を尊重し、どうこう言うのは慎むべきなんでしょうね。
人間の智慧や想像力は限界のあるものであり、自分の目からは受け入れられないような事をしている人にも自分にはわからない事情があるかもしれない。それを思えば、自分が信じる「正義」を振り回して他人を裁くべきではないと思います。とはいえ、こうした「不寛容さ」を含め他人に明らかな実害を及ぼしている場合は、責められてしかるべきでしょう。ただし、その際も相手の人格を否定するような事はあってはならないと思います。人間は、生きている限り他人に何らかの形で傷つけずにはいられない不完全な存在だとも思いますので。
また「正義」を振り回し他人を傷つける人間が責められる際も、同様です。責められるべきは、不完全な人間である事を忘れ他者を尊重できず自身の価値観を押し付ける「不遜さ」「慢心」なのだと思います。そして、そうした「慢心」は誰の心にも忍び込みうるものだと考えます。だからその際ですら相手の人格を否定しないようにすべきなのでしょう。自分はひょっとしたら間違っているのかもしれない、そういう可能性を常に頭の片隅に置き、他者の人格や異なった価値観を尊重できる人間でありたい。そう心がけてはいますが、難しいものですね。
年の瀬に、随分説教臭い話になってしまいました。来年は、良い年であって欲しいものですね。それでは皆様、良いお年を。
【参考文献】
谷沢永一著『百言百話』中公新書
有馬頼底著『茶の湯便利手帳2やさしくわかる茶席の禅語』世界文化社
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言ってる僕自身が実行できてない気もしますが(泣)。
「江戸の碩学達が語る、「悪徳」にどう対処するべきか~直接の実害がなければ大目に見なさい~」
関連サイト:
「銀河英雄伝説 語録(名言集)」(http://taketan22.blog72.fc2.com/)より
「政治の腐敗とは政治家が賄賂を取ることじゃない、それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。政治家が賄賂を取っても、それを批判できない状態を政治の腐敗というんだ。 」(http://taketan22.blog72.fc2.com/blog-entry-98.html)
山本夏彦氏の発言から、この台詞を連想する人もあるかと。
※2014/12/30 関連記事のリンクを貼り直しました。一部文言を変えてます。