「天知る地知る我知る子知る」の「我知る」を実際的に考える~人間、悪事を隠し通す事は困難です~
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さて、上述した言い回しと似たようなものに、「四知」「天知る地知る我知る子知る」というのがあります。これについて少し。中国・後漢時代に楊震という要人がいました。彼は以前に引き立てた王密という人物から、ある晩に金十斤を贈られます。王密は、「夜の事ですし誰も見ていませんよ」と楊震に金を受け取らせようとします。これに対し、楊震は
「天知る地知る我知る子知る、何ぞ知るもの無しと謂はんや」(服部宇之吉・小柳司気太『改訂増補 詳細漢和大字典』冨山房 368頁)
と答えたため、王密は自らを恥じて帰ったということです。楊震の言葉は「天も地も知っているし、何より私自身や君が知っているじゃないか。どうして、誰も知らないなどと言えるのかい?」という意味ですね。天地はともかく、確かに相手が知っているのは見過ごせません。もし楊震が金を受け取ったなら、たとえ今は良いとしても、もし楊震と王密の関係が悪化したらどうでしょう。この一件は、王密が自身もろともに楊震を葬りうる爆弾になりえます。また、王密が没落して失うものをなくした場合は、楊震を恐喝するネタになりうるでしょう。「子知る」は実際問題として大きな弱点なのです。
では、「我知る」はどうでしょう?自分以外に誰も知らなければ、大丈夫に思えるのですが…。これに関して少し掘り下げてみましょう。
近代日本の人気作家・中里介山が残した長編『大菩薩峠』に「泡んぶくの仇討物語」という昔話が登場します。商売の旅に出た大商人とその若い番頭がいました。ある雨の晩、番頭は主人の財産と美しい夫人に目がくらんで主人を殺害してしまいます。致命傷を負った主人は、無念のあまり、水たまりに雨が入ってできた水泡に向かって
「泡、泡、泡……泡んぶく、おお泡んぶく、敵を取ってくりょう、泡んぶく、お前敵を取ってくりょう、敵を取ってくりょう」(「青空文庫」の「中里介山 大菩薩峠 新月の巻」より)
と訴えて息絶えました。証拠隠滅して旅から帰った番頭は、主人が旅先で病死したと偽って主人の妻を娶り財産も引き継ぐことに成功します。かくして三年の月日が過ぎました。殺害した主人の三年目の法事があった時、あの晩と同様に雨が降っていました。寺の庭先で水たまりがやはり水泡を作っているのを見て、番頭は
笑止千万なことだが、泡んぶくを頼んでも、いまだに敵を打てはしない。身上も、商売も、そっくり譲り受けた上に、あのお内儀さんを、忠実無類のわたしの女房として有難く納めている。これでも罰は当らない、ほんとうに御主人にもお気の毒なわけだが、泡んぶくにもお気の毒だ!
(「青空文庫」の「中里介山 大菩薩峠 新月の巻」より)
との思いに駆られ笑みを漏らします。それを見て不思議に思った夫人は、その晩に理由を尋ねてきました。そして、もう夫人も自分に心を許しただろう、という油断もあって番頭は、
「実はお前の前の亭主は、わたしのためには御主人であるお旦那は、病気で死んだんじゃない――わたしが殺したのだ」
(「青空文庫」の「中里介山 大菩薩峠 新月の巻」より)
と秘密を洩らしたのです。するとこれを聞いた夫人は、元夫を殺害した犯人としてお上に訴え出たため、番頭は悪業の報いを受ける事となったのです。
これ、泡が仇討したとも、「天地」が報いたようとも言えそうですが、現代的な視点からすれば秘密を洩らしたのは油断した番頭自身。まさに「我知る」が故に悪事が露見した一例といえるでしょう。
ところで「我知る」という言葉からは、徳川期の盗賊・平井権八の伝説も思い出されます。彼が熊谷堤で信州の生糸商人を殺害した時、その場に石地蔵がありました。そこで権八は戯れに
「地蔵さん人に言うなよ」(村雨退二郎『史談蚤の市』中公文庫 120頁)
と地蔵へ語り掛けたところ、地蔵が
「おれは言わぬがわれが言うわ」(同書 同頁)
と答えたので権八は震えあがって去ったというのです。この地蔵は「物云い地蔵」と呼ばれているとか。なお、権八は最終的に様々な罪が露見して処刑されたそうですが、「我知る」の結果かどうかは存じ上げません。
考えてみれば、人間が自分の悪事を隠し通すのは難しいのといえるでしょう。良心の呵責に耐えられなくなるケースだってあるでしょうが、そうでないとしても、番頭のようにうっかり油断する事もありえますし、そもそも悪事だという認識すらなくなってしまう可能性だってあります。いわゆる「バカッター」と呼ばれた一連の現象のように、「ワルな自分」を誇示したい欲求にあらがえない場合すらあります。悪事は、どんなところからでも、誰からでも露見しうるものなのですね。時には、自分自身からすらも。やはり、誰に対しても顔向けできる生き方をするのが長期的には一番良い可能性が高いのだということが、損得勘定・合理的視点からも言えそうです。
【参考文献】
服部宇之吉・小柳司気太『改訂増補 詳細漢和大字典』冨山房
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「中里介山 大菩薩峠 新月の巻」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000283/files/4341_14293.html)
村雨退二郎『史談蚤の市』中公文庫
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関連サイト:
「はるんの埼玉 のんびりぶらり」(http://blogs.yahoo.co.jp/nonki_harumi)より
「権八地蔵(ものいい地蔵)」(http://blogs.yahoo.co.jp/nonki_harumi/11631788.html)
ものいい地蔵について。権八の伝説は、上述と少し違うようでもあります。