五月人形でおなじみ?「楠木正成の兜」の出所について~彫刻家・高村光雲は語る~
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さて、この五月人形には戦国武将など有名武将の甲冑セットもしばしば目にします。それに混じって、楠木正成のものとされる甲冑が見られることがあるのは南北朝好きとしては嬉しい限り。現在においても、正成が依然として代表的武人の一人とみなされてる、ということですからね。
関連サイト:
「東京・浅草橋 人形の寿幸」(http://ningyo-jukou.com/)より
「一徳 作 兜 9号 楠木正成/金沢箔屏風」(http://ningyo-jukou.com/?pid=30322655)
しかしそれはそれとして、正成の物と伝えられる兜ですが、いつからこのような形とみなされるようになったのでしょう。確か、現存する正成の甲冑はなかったように記憶するのですが…。
ところで、兜をかぶった正成の姿として最も有名ですぐに思いつくものと言えば、皇居前の「楠公像」。この楠公像制作の責任者となった、彫刻家・高村光雲が制作当時に関する証言を残しています。正成の兜に関する疑問を考える上でも、手掛かりを与えてくれるかもしれません。
関連サイト:
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「高村光雲 幕末維新懐古談 楠公銅像の事」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/47006_26577.html)
彼によれば、楠公像は別所銅山二百年記念として、住友家が持ち出したものだそうで。別子銅山の銅を用いて記念品を制作し、宮内省へ献納しようという話だったとか。で、せっかく宮内省に納めるのであれば忠臣として名高い楠木正成の像にしようという事になったそうです。
制作にあたり、正成がどのような人物であったか、どのような装束をしていたのかといった考察が行われました。中でも装束については、故実に詳しい歴史画家・川崎千虎が担当したそうで。彼は正成の故郷である河内に赴き、観心寺・信貴山・金剛など正成関連の土地を巡って鎧について調べたという事です。ところが残念ながら、結論から言えば
「結果はどうもハッキリ分らないということであった」
(「青空文庫」の「高村光雲 幕末維新懐古談 楠公銅像の事」より)
そうで。何しろ、信頼に足る楠木氏関連の伝来の品が残っていなかったのです。やむなく兜に関しては、他に依拠すべきものがないという理由で、信貴山の宝物である兜を正成のものとみなして採用。ところがこの兜には前立がない。柄は残っていたので、おそらくは剣の柄だったのだろうと推定したとか。護良親王の兜とされるものと前立が同様なものと考えられたのも、この推定を補強したそうです。かくして、鍬形に剣の前立があるおなじみの「楠木正成の兜」が誕生したようです。
ちなみに、鎧や馬、剣、風貌についてもよく分からない点では同様だったとか。鎧については、楠木氏関連と伝わる同時代の腹巻(略式の鎧)は見つかったものの、馬上像としてはふさわしくない。そこで、鎌倉期から正成と同時代までの大鎧を参考にしてそれらしい恰好を整えたとか。風貌は、智者らしく見えるよう、馬は各地の馬の長所を合わせたような姿に、といった具合で決まったのだそうです。
以上、皇居前の「楠公像」は、正成に関する信頼すべき史料が手に入らない中で、精一杯の推定を行い作られたもののようです。それによって作られたイメージが、後世の五月人形にも生きているんでしょうね。
【参考文献】
『日本文化いろは事典』シナジーマーティング
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「高村光雲 幕末維新懐古談 楠公銅像の事」
(http://www.aozora.gr.jp/cards/000270/files/47006_26577.html)
関連記事:
「近代における楠木正成への信仰の一例~正成の画像を持っていれば弾に当たらない~」
「「遠祖は正成」―庶民から見た楠木氏―」
「南北朝における歴史人物の筆跡」
その他、南北朝関連記事は「南北朝時代」にまとめてあります。
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「楠木正成」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2000/001201.html)
「千早攻防戦-日本初の本格的城塞戦-」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2002/020426c.html)
「「南朝忠臣」達の神社」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/shrine.html)
「南北朝における大阪」
(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/osaka.html)
結構前の発表なので、現在から見れば表現や考え方の古くなったところはありますが、敢えて当時のまま残しています。
その他、南北朝関連の発表は「南北朝関連発表まとめ」を御参照下さい。