相手を貶めるのに悪口・罵倒はむしろ逆効果?~孟嘗君の食客、この現象を逆用する~
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戦国時代の斉という国に、孟嘗君という人物がいました。彼は王族出身で、一芸のある者数千人を食客として養い天下にその勢力を誇りました。「鶏鳴狗盗」の故事で知られるように、食客たちもその特技を用いてよく彼を助けた事で知られています。そんな孟嘗君の食客の一人であった夏侯章なる人物について、前漢末の書物『戦国策』は以下の逸話を記録しています。
孟嘗君奉夏侯章、以四馬百人之食、遇之甚歓。夏侯章毎言、未嘗不毀孟嘗君也。或以告孟嘗君。孟嘗君曰、文有以事夏侯公矣。勿言。董之繁菁以問夏侯公。夏侯公曰、孟嘗君重非諸侯也。而奉我四馬百人之食。我無分寸功而得此。然吾毀之、以為之也。君所以得為長者、以吾毀之也。吾以身為孟嘗君。豈得持言也。(『中国の思想第2巻 戦国策』守屋洋訳 徳間書店 111-112頁)
【書き下し文】
孟嘗君、夏侯章を奉ずるに、四馬・百人の食を以てし、之を遇すること甚だ歓ぶ。夏侯章言ふ毎に、未だ嘗て孟嘗君を毀(そし)らざるなし。或るひと以て孟嘗君に告ぐ。孟嘗君曰く、「文以て夏侯公に事(つか)ふる有り。言うなかれ。」と。董之繁菁以て夏侯公に問ふ。夏侯公曰く、「孟嘗君重きこと諸侯に非ざる也。而れども我に四馬・百人の食を奉ず。我は分寸の功無けれども此を得る。然れども吾之を毀るは、以て之を為す也。君の長者たるを得る所以は、吾之を毀るを以て也。吾、身を以て孟嘗君のためにす。あに言を持するを得んや。」
【現代語訳(というか一部意訳)】
孟嘗君は夏侯章を食客として、馬四頭と百人扶持という好待遇でもてなしていた。ところがこの夏侯章、孟嘗君を悪く言わない事がない、という始末。ある人がこの体たらくを孟嘗君に告げた。だが、孟嘗君は「放っておきなさい」とのことであった。董之繁菁という食客が夏侯章に問いただした。すると夏侯章が言うには、「孟嘗君は諸侯のような力をお持ちではない。なのに私ごときに馬四頭と百人扶持をくださっている。私は全く功績を立てていないにもかかわらず、この好待遇をいただいているのだ。それなのにあの方の悪口ばかり申し上げているのは、それによって功績を立てたいからだ。我が君が立派な人物と評判を立てられているのは、私が悪口を申し上げている(のに孟嘗君がそれを意に介さず受け流す度量を示しておられる)からである。私は、こうして体を張って孟嘗君のお役に立っているのだ。今の言動を止める訳にはいかないよ」
食客に悪口を言われても平然としている事で、逆に評判が上がっている。そういう現象が孟嘗君には見られたようです。そして、それこそが食客の恩返しであったということ。
意見を異にする相手に対し、批判や論戦は大いにするべきでしょう。しかしたとえ相手に腹が立とうと、罵倒したり人格攻撃をするのは、相手や周囲の反応によっては逆効果の場合がありうるようです。それは少なくとも古代の食客が、主人の評判を高めるためにそれを逆用しよう、なんて考える程度には一般性がある現象のようで。
【参考文献】
『中国の思想第2巻 戦国策』守屋洋訳 徳間書店
『世界大百科事典』平凡社
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
「中国史概説」
(http://kurekiken.web.fc2.com/data/2005/050520a.html)
関連サイト:
「ゆうメンタルクリニック・心療内科」(http://yucl.net/)より
「悪口は、言った方が嫌われる!」
(http://yakb.net/man/256.html)
悪口を言っても対象人物の好感度は変わらず、言った人物の好感度は著しく下がった、という研究結果もあるようです。