『童貞の世界史』落選者列伝・玉松操~維新に貢献した謀臣は、快楽を遠ざけた禁欲主義者~
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『童貞の世界史』では多くの童貞偉人について取り上げていますが、候補には上がったものの採用に至らなかった人々も無論います。今回は、その一人について少しお話しようかと思います。いわば、『童貞の世界史』落選者列伝。今回取り上げるのは、玉松操(1810-1872)。
玉松操は、幕末維新期に活躍した国学者です。新政府側の大物・岩倉具視の下で参謀役として大きな役割を果たしたとされています。
玉松は、伝統貴族・西園寺家の分家である山本家に生まれました。名は真弘。幼少時に醍醐寺へ入り僧侶となり、大僧都法印にまで昇進しています。僧侶の戒律を改革しようとしましたが反発を受け、それを契機に還俗。大国隆正に弟子入りして国学者へ転身しています。幕末期になると尊王攘夷を持論とし、慶応三年(1867)に岩倉具視の腹心として重用されるようになったのは上述の通り。倒幕密勅・王政復古においては彼の意見が大きな影響を与えたとされ、新政府樹立に貢献した存在と称して差し支えないでしょう。
明治新政府でも内国事務局権判事や侍読といった役職を与えられましたが、彼は攘夷主義者にして復古主義者。新政府が開国・西洋文明採用という方針を取る事に反発し、官職を擲ちまもなく病死しました。辞職の際、
「我不明にして奸悪に為に誤られたり」
と吐き捨てたと言われています。
さてこの玉松操、「室に妻妾なし」(千河岸貫一編『続近世百傑伝』博文館 411頁)と伝記にも記されており、女色を近づけなかったと言われています。臼井吉見の小説『獅子座』では彼を生涯不犯と称していましたが、それ以上の信頼すべき情報源が得られなかったので採用見送りになりました。
もっとも、彼は僧侶時代に戒律改革を唱えて反発を喰らったくらいですから相当に峻厳な人物だったことは想像できます。事実、酒も飲まず衣食も粗末なもので、冬も火鉢を用いず厚着もしないといった様子のきわめて禁欲主義的な為人だったそうです。その度合いは歴史家・田中惣五郎に
脱俗といふものが、往々にして俗を脱する代りに俗を理解しないままであつたりする弊があるが、玉松においてもこの臭味が感ぜられないでもない。(田中惣五郎著『明治維新運動考』東洋書館 209頁)
なんて苦言混じりで評されている筋金入りのもの。なので、生涯不犯であった可能性は十分あるとは思うのですが、残念ながら証拠不十分とあいなった次第です。
参考文献:
『日本大百科全書』小学館
『世界大百科事典』平凡社
『日本人名大辞典』講談社
千河岸貫一編『続近世百傑伝』博文館
田中惣五郎著『明治維新運動考』東洋書館
臼井吉見『獅子座 第五巻』 ちくま書房
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玉松操は本書で不採用になりましたが、やはり幕末維新期に活躍した吉田松陰は『童貞の世界史』に登場します。よろしくお願いします。