「この頃の若い者は…」などという苦言が年長者の口から聞かれるのは、古今東西を問わない現象だそうですね。近年の我が国も、御多分に漏れないようです。「自分たちの若い頃は貧しくてろくに物もなかった」「自分たちは頑張って日本を豊かにしてきたのに…」という言葉は一度ならず耳にします。確かに、貧しい中で育ち国を豊かにした自負を年長者たちは持っておられるでしょう。苦労は多かったでしょうし、功績があるのも事実でしょう。確かに、それに関しては立派だと思います。
ただ、若者に対し「物があふれた中で育ち、ぜいたくで苦労知らずだ。不幸なはずはない、甘えているだけだ」と決めつけてしまうのはいささか気の毒に思います。たとえ物質的に豊かでも、今は今の、昔にはない苦労があるかもしれません。「今の方が幸せ」「今の若者は甘えている」とは単純には結論付ける事は待った方が良いのではないかと。まして、経済的退潮が叫ばれて長く、気の滅入る話題も多い世の中で人となった世代ですからね、今の若者は。
それにしても、貧しさから這い上がった世代と豊かな中で育った世代の苦労を考える上で良い事例はないものでしょうか。いささか極端な事例ですが、中国史を題材にちょっとした比較をやってみようと思います。すなわち、A「乱世を必死で生き抜き天下を取った王朝始祖」とB「衰亡に瀕した王朝末期の皇帝・王族」について考えてみようかと。戦後の焼け野原から経済大国と言われるまでに成長させた時代は、Aと比較して不思議はないでしょう。一方、文化的爛熟や世の中の閉塞感や斜陽感を考慮しますと、現在日本とBの事例に共通点を見出すことは不可能ではなさそうです。もっとも、縁起でもないたとえではありますし、あまり共通して欲しくはありませんけれど。我が国に関しては、今後未来を開いてくれると思いたいところです。
Aの世代に苦労が多いのは、改めて申し上げるまでもないかと思います。物質的な不自由だけでなく、明日の生命も保証されない中で、才知の限りを尽くし生き残り勝ち残った始祖たちは、功績は勿論として苦労も大なるものがあるでしょう。
さて、問題はBの世代です。残念ながら、彼らがAの世代に匹敵しうる功績を残せていない事が大半なのは否めません。では、苦労・幸不幸はどうでしょう。
中国が麻の如く乱れた南北朝時代。南朝を構成する王朝の一つ、宋(劉宋)は順帝(467-479)の時代にその幕を下ろします。宋は帝室が血で血を洗う内紛を繰り広げ、その結果として当時弱体化していました。順帝が11歳で即位した時には、既に大臣・蕭道成が朝廷を牛耳っている状況。皇帝と言えどその傀儡に過ぎず、発言権はありませんでした。やがて順帝は蕭道成に迫られ帝位を譲ることになります。ここに劉宋は滅亡し、南斉王朝が誕生したのです。この時、順帝は間もなく訪れる粛清を予見したのか、涙ながらに
願後身世世、勿復生天王家(『十八史略Ⅲ 梟雄の系譜』奥平卓・和田武司訳 徳間書店 270頁)
<現代語訳>未来永劫にいたるまで、二度と天子の家には生まれたくない(同書 269頁)
と悲痛な言葉を残したと言われます。蕭道成の手によって、彼が一族もろとも処刑されたのは翌月の事でした。
同じ劉宋王族に、同様な発言をしたとされる人が他にもいるようです。件の王族・劉子鸞は、宋の孝武帝の子。父から寵愛されましたが、逆にそれが災いします。父帝が崩御し、兄にあたる前廃帝が即位すると運命は暗転。地位を脅かすとみなされたのか、10歳にして処刑されました。この時に、やはり同じような叫びを発した(※)という事です。
※参照した文献によれば、「希望下輩子不要再生在帝王家!」(蔡東藩原著『歴史演義 南北朝 二』張小穏白話翻訳整理 龍視界 55頁)となっていました。
末期王族によるこうした悲話が残るのは、劉宋だけではありません。長寿王朝として知られる明も、最後は惨たるものでした。最後の皇帝・崇禎帝(毅宗)は名君の素養があり、王朝再建に努力しました。しかし時に利あらず、そして力も及ばず。李自成率いる反乱軍によって首都陥落の憂き目に直面。皇帝は最期の時を悟り、家族を手にかけ自害することとしました。その際、娘・長平公主に対し毅宗は
そちはなんの因果で皇帝の家などに生まれたのであるか(愛宕松男・寺田隆信『モンゴルと大明帝国』講談社学術文庫 479頁)
と嘆きの声をあげたと伝わります。なお、この長平公主、家族を失い、自らも父によって斬られはしましたが、命だけは助かったとのことです。我が子を害する心苦しさから、皇帝の手元が狂ったのかもしれません。
これらBに当てはまる事例を見るに、物があふれた中で育ったからといって幸せとは限りませんし、その帰結を「甘え」で片づけるのは余りに酷だという事が分かります。たとえ物質的な不自由はなくとも、未来に希望が持てない状況はこれはこれで過酷と言えます。また、彼らは監視の目やしがらみも多く、下手なことはできない環境です。物質的豊かさとひきかえに、生殺与奪を周囲に握られているといって差し支えありません。妙な動きをすると、何かをなしえる前に周囲から始末されかねないのです。抹殺されずに過ごすだけでも、なかなかの苦労を要する可能性があります。たとえ生涯を無為に過ごす結果になったとしても、苦労知らずとは必ずしも言えません。こうした環境は、たとえ本人に英雄の素質があろうと、芽が摘まれてしまう可能性が高いと言えるでしょう。本人のせいにしてしまうのは、余りに無慈悲です。そもそも、幼少のうちに全てが終わってしまう事だってありますから。
どうやら、AがBと比べてより過酷とは単純には言えなさそうです。仮にAをBの環境に置いたと仮定して、生き抜けるかどうかは保証の限りではありません。その器量を発揮できる状況に持っていく事からして、相当な運や辛抱が要りそうですからね。
余談ながら、三国時代を題材にした元代の娯楽作品『新全相三国志平話』冒頭には、一つの設定が語られます。何でも、漢の高祖・劉邦は生前の罪業に対する報いとして、子孫にあたる後漢最後の皇帝・献帝に転生したというのです。当時の人々も、「王朝開祖のような英雄豪傑ですら、末期王室に生まれたならばどうにもできない」と考えていた可能性を読み取ることはできそうに思えます。
年長者の方々が苦労し、努力し、功を挙げた事については、賞賛するにやぶさかではありません。ただ、「恵まれている」と見える世代にも、彼らの苦労・苦悩があるのです。その大変さは、軽々しく優劣をつけられるものではありません。それについては、御理解いただけるとありがたいですし、僕自身も念頭に置いて年少の世代に接したいと思います。
なお、繰り返しますが、これら王朝末期に現代日本の行く末がダブる、とかそういった事を申し上げる気はありません。ただ、物が溢れた中で育ちながらも苦労が色々ありそうな世代、という意味では通じなくもない、というニュアンスで例に挙げてきたまでです。悪しからず。
【参考文献】
宮崎市定『世界の歴史7 大唐帝国』河出文庫
『十八史略Ⅲ 梟雄の系譜』奥平卓・和田武司訳 徳間書店
蔡東藩原著『歴史演義 南北朝 二』張小穏白話翻訳整理 龍視界
愛宕松男・寺田隆信『モンゴルと大明帝国』講談社学術文庫
陳楚明『那些史上不能曝光的幕後真相事件簿』読品文化
井波律子著『三国志演義』岩波新書
宮崎市定『中国史』上・下 岩波全書
関連記事:
歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
下二つは、明末の将たちの伝記です。
※2016/11/6 少し言い訳を加筆、2016/11/7 改行などを少し修正。