どうも、松原左京です。近代の一時期、「童貞」がプラスの価値として捉えられたことがあったのは、御存じの方もおられるかと思います。それに関する一例を、近代文学から一つ挙げてみます。。
今回参照するのは、森鴎外が小倉時代に知り合った後輩について回想した『二人の友』です。 小倉に赴任していた鴎外の下へ、ドイツ語に関心がある事から近づいた「F君」。当初、自分に寄食するつもりかと警戒した鴎外でしたが、彼のドイツ語に関する知識や勉強熱心さ、更に質素な暮らしに感心し次第に親密な付き合いをするようになっていきました。興味深いのは、その中でも大きなきっかけ。鴎外の証言を見てみます。
F君と私との距離を縮めた、主な原因は私が君の「童貞」を発見した処に存ずる。君が殆ど異性に関する知識を有せぬことを発見した処に存ずる。(森鴎外『二人の友』より)
何でもF君は一度、芸者にそれとなく言い寄られたそうですが、その意図に気付かぬまま相手にお引き取り願ったことがあったそうです。それを知った鴎外は、
私は、F君の異性に対する言動に、細かに注意した。そして君がこの方面に於いて全く無経験であることを知った。(同書より)
のだとか。そして彼について、「性慾を制している」「とにかくえらい」と高評価(同書より)。
F君が童貞であることを知って、彼への好感度をアップさせた鴎外。童貞を貫くという事が、身持ちの堅さを著すものとしてプラスに捉えられる事がありえた一例と言えるでしょう。もっとも、F君もずっと童貞を貫いたわけではなく、やがて知り合って女学生と結婚する事になるのですが。
それでも、当時においては、「男性が性愛に興味を持たない、もしくは優先順位が低い」というのは普通にあり得る事と見られ、それが立派な事とみなされる余地があったという点は念頭に置く必要があるでしょう。現代では、少なくとも一部には「男性であれば性愛に興味を持って当然」「相手がいないのはもてないだけ、興味がないといっているのは強がっているだけ」と考える方々がおられるようです。しかし、そのような見方はそれは決して歴史的観点からすれば普遍性を持つものではない事、そして無論今日でも必ずあてはまるとは限らない事は改めて強調しておきたいと思います。
参考文献:渋谷知美『日本の童貞』文春新書