人を育てる際は、厳しく叱りながらが良いのか、それとも良いところを伸ばす方向で大らかに見ていく方が良いのか。昔からよく議論になるところだと思います。個人的には、後者であってほしいし自身もそうありたいとも思っています。
人気娯楽小説『銀河英雄伝説』にジークフリード・キルヒアイスという青年が登場します。彼は、親友で主君でもあるラインハルト・フォン・ミューゼルから「下水道のなかを覗いても、そこに美を発見するタイプ」(田中芳樹『銀河英雄伝説外伝3』徳間ノベルス 120頁)と称されるような穏和で心優しい人物として描かれています。そんな彼は、ラインハルトから「お前が学校の教師になったら、心を傷つけられる生徒はその学校にいなくなるだろうな、きっと」(同書 同頁)とも言われた事も。「積極的に生徒の良さを見つけてやるタイプの師が、弟子を伸ばすには良い」という考え方をこの辺りの話からは見出すことができそうです。
そういえば、『北斗の拳』などを生み出した漫画原作者・武論尊氏も著作内で
叱られて伸びるヤツはいない。みんな、褒められて伸びるんだ。褒められると嬉しいから、そいつは、その能力をさらに伸ばそうと努力して、徐々にプロになっていく。(武論尊『下流の生きざま』双葉社 36頁)
と述べています。
ここで思い出すのが、中国後漢末期の有力武将・劉備に仕えた龐(ホウ)統という人物。この龐(ホウ)統は智者として知られ人物評価を好み、その際には実際よりも高い評価をするのが常であったといいます。大げさに褒める事で相手を乗せ、より励ませるのが狙いだったとか。やはり似たような考えを彼もしていたと言うことなんでしょうね。
※ホウの時は、まだれに龍の字です。
次に日本史の事例を見てみましょう。徳川後期の朱子学者に安積艮斎という人物がいます。彼は陸奥郡山出身で林術斎に学び、詩文に優れていたそうです。やがて神田駿河台に私塾を開き、二本松藩校教授を経て昌平黌教授にまでなっています。数多くの英才を育てた名教育家でも知られ、彼の門をたたいた著名人は数知れず。有名なだけでも、小栗忠順・木村芥舟(摂津守)・吉田松陰・高杉晋作・岩崎弥太郎・前島密・中村正直・重野安繹・清河八郎・鷲津毅堂・福地源一郎・谷干城といった幕末・明治期を彩った傑物たちの名が次々に挙がる状況です。そんな艮斎は、日本の近代化に少なからぬ貢献をした傑物と言って差し支えないでしょう。
関連サイト:
艮斎の弟子たちについては、以下のサイトを参照しました。
「安積国造神社」(http://www.asakakunituko.jp/index.html)より
「安積国造 大儒 安積艮斎記念館」(http://www.asakakunituko.jp/html/page04.html)
彼は弟子に対する思いやりが深かったと言われ、弟子が文章の添削を求めてきた場合には
たとい一句でも佳句の見るべきものがあれば圏点を施して推奨し、句に見るべきものなければその書を称し、書も称すべき所がなければ紙をほめたという。(『新釈漢文大系 日本漢詩 上』明治書院 362頁)
と伝えられます。弟子を愛した艮斎らしい逸話です。個人的には、紙を褒める前に志とか積極性とかを褒めた方が良いように思えたのですが、紙を選ぶセンスとかも当時は重要だったのでしょうか?気になるところです。
いずれにせよ、日本近代の礎を築いたといって過言でもない名教育家が、「ほめて伸ばす」タイプであったらしい事実は、教育を考える上で頭にとどめるべきかと思います。まあ、艮斎ら今回取り上げた人々も厳しい面がなかったわけでは無論ないでしょうけれど、基本的な心がけとしての話、という事で。
【参考文献】
田中芳樹『銀河英雄伝説外伝3』徳間ノベルス
武論尊『下流の生きざま』双葉社
陳寿『正史三国志5蜀書』井波律子訳 ちくま学芸文庫
『新釈漢文大系 日本漢詩 上』明治書院
『日本大百科全書』小学館