どうも、松原左京です。松の内は過ぎてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。今回は、現在の「恋愛離れ」とやらについて少し触れてみたいと思います。『童貞の世界史』と関係していなくもない話題でしょうし。
どの程度信頼できるデータがあるのかは存じませんが、世間では「現在の若者は恋愛しない」とよく言われるようですね。そしてその原因についても様々な分析が行われているようです。
関連サイト:
「パピマミ」(http://papimami.jp/)より
「原因は人間性の劣化!? 恋愛しない若者たちが増えているワケと実態」(http://papimami.jp/39761)
比較的若者に寄り添った視線で解析しているように見えました。
色々言われている中で目立つのは、「経済的な不安」「恋愛そのものや相手に幻想を持てない」「代替恋愛の充実」「趣味に没頭」「女性の社会進出」「傷つく事への恐怖」「結婚への忌避感」「親と仲が良く、恋愛を必要と感じない」などなど。
個人的には、これらの要因に既視感を感じます。私はかつて『童貞の世界史』を執筆した際、童貞偉人たちが性愛を遠ざけた理由をパターン分類しました。その時に出てきた答えと、上述の分析に共通性があるように思えるのです。かつて私が行った分類は、本書の内容を少し紹介する形になりますが、以下の通りです。
①性的魅力に乏しい、性愛に対し消極的など
②性愛方面の欲求が乏しい
③性愛への恐怖感・嫌悪感がある
④肉体的に虚弱、健康上の理由
⑤宗教上の理由
⑥自らの使命への妨げになる
⑦家族間の関係が親密で、他人の入る余地がない
⑧早世した恋人に操を立てた
「傷つく事への恐怖」「恋愛や相手へ幻想が持てない」あたりは①とも③とも見る事が出来そう。「結婚への忌避感」は③の範疇としてよいでしょう。「代替恋愛」は②の変種といえそうです。「趣味に没頭」は②にも思えますが、「趣味」という言葉を「ライフワーク」あたりに置き換えると⑥にも思えます。「親ラブ族」とやらはまさしく⑦ですね。 なお「結婚への忌避」と「女性の社会進出」が組み合わさって、女性の非婚化が進んだ中国史における実例について、本書でも触れています。興味のある方は御参照下さい。
こうしてみると、現在の「恋愛離れ」とやらと童貞偉人たちの事情は、やはり共通するものがありそうですね。人間の心性というのは、そう大きく変わるものではないようです。現在と昔の相違点を探るとすれば、④や⑤に相当する事例は現在にはなさそうという事。医学の進歩や、宗教の影響力の低下という現代の事情を読み取るべきなのでしょうか。また、技術の進歩や産業の複雑化は人々が②の条件を満たす敷居を下げる結果になっている可能性はありそうです。人間はそう変わらない、変わったのは社会。そんな気がします。
さて、少し前と比べると今の世は「恋愛離れ」が目にはつくかもしれません。しかしながら、どうやら昔から「恋愛しない」人間は一定数いたようです。当ブログの過去記事を少し探ると、こんなものも出てきましたから。
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絢爛たる恋愛模様のイメージがある王朝貴族ですら、恋愛にも結婚にも縁を持たずそれに自足している人々はそれなりにいた事が分かります。「傷つくのがこわい」から恋愛しない、というのも現在に限った話ではなさそうです。また、中国史から見出された、「経済的な不安」ゆえに恋愛にも結婚にも縁がなくそれに順応した人々の話もあります。
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そして貴族たちの結婚も、実は恋愛よりも経済問題・家問題などによっていました。一見すると恋愛至上主義に見える王朝貴族たち、実は意外と「恋愛離れ」していたのかもしれません。
上述したように、「恋愛離れ」は今も昔もありました。そして背景事情も、今も昔も根本的には案外変わっていないようです。「変わったのは社会」という観点から見過ごせない変化、それは「家」の影響力低下でしょうね。その結果、「家を残す」という理由ゆえの婚姻が減少。独身者への社会的圧力が小さくなった一方で、婚姻相手を見つけお膳立てするケースも少なくなった。そのため、実はいつの時代も存在した「恋愛離れ」の人々が可視化される事になった。そういう事なのだと思います。
ちなみに、「家」「社会」からの圧力・お膳立てといえば、偉人たちの中には、気質的には恋愛や結婚と縁遠くても不思議ではないタイプであっても、周囲のお膳立てや社会的圧力から結婚した事例も存在します。それについては『童貞の世界史』中のコラムで触れていますので、御覧いただけると幸いです。
通史的視点で見れば、「皆が結婚していた」とみなされていた少し前の時期が、むしろ異例だったのかもしれません。「個人間の恋愛結婚」が建前になりつつも、実際には「家同士の結婚」が残存していたであろう過渡期の時代。その時期とは社会のありようが変わり、それに適応した次世代確保の手段をまだ社会が見つけ得ていない。そういう事なんだと思います。だとすると、なすべきことは、「恋愛離れ」しているらしき人々を責めたてる事ではなく、今の時代に人々が次世代を残しやすいありようを模索・実現させていく事なんでしょうね。答えを見出すのは容易ではないでしょうし、実現に時間はかかるでしょうけれど、それは致し方ないかと思います。