古今東西を問わず、軍隊による仲間内あるいは民間への狼藉・略奪などは悩みの種であるようです。例えば中国では「好鉄は釘に打たれず、好人は兵に当らず」(貝塚茂樹著『中国の歴史 上』岩波新書 142頁)という痛烈な諺があります。まともな人間は兵隊になどならない、兵隊にはまともな人間はいない…そう言わんばかりの悲痛な叫びが聞こえてくるようです。
さて、兵士・軍隊の狼藉が、倫理的に問題なのは改めて言うまでもありません。ただ、「それでも国防のためある程度目をつぶらねば」、と思う向きもあるのは、これはこれで理解できなくもありません。しかしながら実は、国防という面からも狼藉をするようになった兵士・軍隊は問題があるようです。今回は、そうした話をしようかと思います。
ナポレオンの生涯を扱った漫画作品『ナポレオン 覇道進撃』作中で、不敗を誇る勇将・ダヴー元帥はこう語っています。
優秀な兵とはよき夫・よき父親・よき市民がなれるものだ(長谷川哲也『ナポレオン 覇道進撃5』少年画報社 4頁)
そして、狼藉をする無頼漢については「ケンカが強くても戦場では役に立たん」(同書 同頁)という訳で、処刑して他の兵に対する見せしめとするほか利用価値がない、と扱いは手厳しいもの。
さらに本作は別の兵士の口を借りる形で、狼藉を許すようになった軍隊は「規律が無くなりゃ只の群盗」(同書 6頁)に堕するから弱くなる、とも言わせています。
これは、決して一漫画作品の説として片づけてよい意見ではなさそうです。というのも、戦争経験を有する歴史学者が、同様な見解を述べているからです。歴史学者・会田雄次は、第二次大戦に兵士として参加した記憶から以下のように証言しています。彼はまず第一に、「誠実な人間が本当に落ちついた見事な戦いぶりを見せる」(会田雄次『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』新潮社 100頁)のであり、
真面目さ、他人への愛情、人間的連帯感、個人責任といったものが、戦場にたえる根底になる(同書 120頁)
という持論を展開。一方で好き放題に振る舞い狼藉に及ぶ人間は、「激しい戦いのとき、一番臆病な兵隊になる」(同書 同頁)とも述べています。というのも、
相手が弱いからこちらが強くなるという生き方は、弾を相手では通用しない(同書 100頁)
からだそうです。
無頼漢が修羅場ではいざという時に役に立たない、というのがどこまで一般論として通用するかはわかりません。ただ、中国史にも類似した逸話があるのを考えると、全くの的外れでもないようです。
中国古代、戦国時代末期のこと。秦がいよいよ他の諸国を征服して天下統一に乗り出していた時代の話です。秦の圧迫を受け、滅亡に瀕した弱小国・燕は苦し紛れの手段に出ました。すなわち秦王暗殺計画です。この時に刺客としての役割を担う事となったのが、有名な荊軻。更に、その補佐役として秦舞陽という人物も抜擢されました。この人物については、
燕国有勇士秦舞陽、年十三殺人、人敢忤視(『史記 国字解 六』早稲田大学出版部 42頁)
<超意訳>
燕の国には秦舞陽という勇士がおり、十三歳で人を殺す荒くれものであり、人は彼と視線を合わせようともしなかった。
と記されています。しかし荊軻は彼を評価せず、補佐役として伴うには難色を示したようです。それでも結局のところ、荊軻は秦舞陽を従者として任に当たります。だが果たして、秦舞陽は役に立ちませんでした。いざ秦王に謁見という段になると、
至陛、秦舞陽色変振恐(同書 44頁)
<超意訳>
宮殿の階(きざはし)まで来ると、秦舞陽は顔色が変わり、震えて恐怖を隠せなくなった。
という体たらくであったそうです。秦舞陽は上で言う「相手が弱いからこちらが強くなる」というタイプに過ぎなかったのかもしれません。
余談も挟みましたが、以上から考えると…。軍隊あるいは兵士が仲間・民間人を相手にした狼藉に走る時、戦場では使い物にならず肝心の国防に役立たなくなっている危険を慮った方がよい。そういう教訓を読み取ることができそうですね。
そうした状況に陥る原因は色々あるでしょう。中でも比較的よく聞くのが、異郷生活や戦場暮らしが慢性化する事で心が荒むケースです。
『太平記』には、こんな話がありました。鎌倉政権と、それを打倒し朝廷支配をとりもどそうとする後醍醐天皇方の戦いが行われている時期の事。後醍醐天皇方の武将・楠木正成が千早城にこもって鎌倉軍を翻弄します。城の攻防戦が膠着状態となり、攻める鎌倉方は遊興をしながら退屈をやり過ごそうとします。そんな中、指揮官として鎌倉軍に参加していた二人の武士がいました。彼らは伯父甥の関係でしたが、双六をして遊んでいる際にサイコロの目を巡って口論。それが昂じてお互い差し違える形で死を遂げるという惨事に至ります。しかも悲劇はこれで終わりませんでした。これを契機に、味方同士であるはずの両者の部隊が乱闘に及び、二百人に及ぶ死者が出たとか。酸鼻としかいいようがありません。
どこまでが事実かは存じませんが、異郷での戦場暮らしが日常化した結果として精神荒廃をきたした一例と見る事はできそうです。なお、『太平記』には、鎌倉軍が徐々に厭戦状態に陥り、軍としての体を次第になさなくなっていく様子も描かれています。
そうならないよう、様々な手段を講じるのが肝心でしょう。例えば、メンタルケアに意を注ぐのも一つの方法ですね。
以上、「兵士・軍隊の狼藉は、国防の上からも懸念事項かもしれない」というお話でした。「精神状態が荒廃・疲弊していると、パフォーマンスが著しく低下する」と言い換えると、軍事に限らず社会一般にもあてはまるようにも思います。
【参考文献】
貝塚茂樹著『中国の歴史 上』岩波新書
長谷川哲也『ナポレオン 覇道進撃5』少年画報社
会田雄次『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』新潮社
『史記 国字解 六』早稲田大学出版部
一ノ瀬俊也『皇軍兵士の日常生活』講談社現代新書
兵藤裕己校注『太平記(一)』岩波文庫
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※2017/2/13 少し表現に手を入れました。