物理学者・中谷宇吉郎は、寺田寅彦に師事した人物です。人工雪製作に成功したり、雪の結晶形ができる条件を明らかにした中谷ダイヤグラムを発表するといった事跡を残しています。それだけでなく、師同様に随筆家としても有名です。
そんな中谷に『I駅の一夜』という短い随筆があります。第二次大戦末期の事。中谷は青森から東京へ公務で向かおうとしたものの、列車の混雑に耐え兼ねて途中下車。次の日の始発で東京に向かう事とします。既に夜で、宿屋の確保にも苦しみますが、ある小さな宿に頼み込んで何とか泊めてもらいます。そこの女主人の好意で、彼女の部屋を客室としてあけてもらうことに。その部屋は、
四畳半の二つの壁がすっかり本棚になっていて、それに一杯本がつまっている。岩波文庫が一棚ぎっしり並んでいて、その下に「国史大系」だの、『古事記伝』だの、「続群書類従(ぐんしょるいじゅう)」だのという本がすっかり揃(そろ)っているのである。そして今一方の本棚には、アンドレ・モロアの『英国史』とエブリマンらしい英書が並んでいる。畳の上にもうず高く本が積まれていて、やっと蒲団を敷くくらいの畳があいているだけである。
(中谷宇吉郎『I駅の一夜』より)
といった具合。山積みの蔵書の中には、1944年末に出版されたばかりの『嶋津斉彬言行録』もありました。女主人は、宿屋も繁盛しているとは言えず、生活も楽ではないなかで可能な限りの手を講じて書物を集めていたのです。そんな彼女の様子を見た中谷は、
何だか日本の国力というものが、こういう人の知らない土地で、人に知られない姿で、幽(かすか)に培養されているのではないか
(同書より)
と述懐。
さて、同様に、名もなき人の姿に国力の源泉をみた事例が、他にもあります。小説『ビルマの竪琴』作中でのこと。第二次大戦に兵士として参加した語り手が、所属していた部隊の古参兵が誠実な為人である事に触れ、
いつも黙々として働いています。その黙々としているのがいけないと、えらがっている人たちがいうのですけれども、そのときどきの自分の利益になるようなことをわめきちらしているよりは、よほど立派です。どんなに世の中が乱脈になったように見えても、このように人目につかないところで黙々と働いている人はいます。(竹山道雄著『ビルマの竪琴』新潮文庫 128頁)
こういう人の数が多ければ国は興り、それがすくなければ立ち直ることはできないのではないでしょうか?(同書 同頁)
と言っています。黙して自らの権利を主張しない点については、確かに是々非々がありうるでしょう。しかし、自らの責務を可能な範囲で真剣に取り組む人々は、確かに社会を支える上で無くてはならない存在なのは動かしがたい事実です。
思い出されるのは、「一隅を照らす」という言葉です。それぞれが自分の持ち場で力を尽くすという意味で、最澄は『山家学生式』で「一隅を照らすもの此れ即ち国宝なり」と述べてこうした人々こそが宝だとしています。
このような、静かに国を、社会を支えている名も無き人々は、数多くいます。静かに己の為すべき仕事をし、その中には知的研鑽を怠らない人だって存在します。彼らは決して器用ではなく、声も大きくありません。それだけに、社会で存在感を示すには至っていませんが、それでも注意深く目を凝らすと、あちこちにその姿を目にすることができるかと存じます。実際、『応仁の乱』や『武田氏滅亡』など歴史の学術解説書が売れ行き好調という話も耳にしますからね。まだまだ、日本は捨てたものではないのだ、そう思いますし思いたいところです。もしも、そういった人々が働きやすく報われる社会になれば、「こういう人の数が多い」状況にできるかと考えます。
中谷は、『I駅の一夜』を下記の一言で、締めくくっています。
日本の力は軍閥や官僚が培ったものではない。だから私は今のような国の姿を眼の前に見せられても、望みは棄(す)てない。
(中谷宇吉郎『I駅の一夜』より)
現在より遙かに悲惨な状況で出た言葉です。今の我が国にも十分当てはまる言葉である、そう信じたいものです。
【参考文献】
竹山道雄著『ビルマの竪琴』新潮文庫
『日本人名大辞典』講談社
安岡正篤『安岡正篤 こころを磨く言葉』イースト・プレス