他国への妙な偏見から自由になるのは意外に難事~菅茶山、知人の誕生祝いで大失態~
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そして、どうやらそれは昔も変わらないようです。という訳で、今回は徳川後期において、当代を代表する知識人が、そうした偏見丸出しな言動をしまった事例について見てみましょう。森鴎外『伊沢蘭軒』で取り上げられた逸話です。
茶山がやらかしてしまったのは、蘭学者・大槻玄沢が六十歳を迎えた祝いの時のこと。御存じの方も多いでしょうが、大槻玄沢は杉田玄白・前野良沢から薫陶を受け、医術やオランダ語を学んだ人物です。更に日本初の蘭学塾「芝蘭堂」を開き多くの俊英を育て、蘭学入門書『蘭学階梯』も著しています。さらに、ハイステルの外科書の抄訳やショメールの百科事典の翻訳に関与したり、海外情勢について記した『環海異聞』『捕影問答』を記して徳川政権の対外政策にも関わりを持っています。蘭学発展に大きな役割を果たした大物といって差し支えありません。
茶山は、この玄沢へ還暦祝いに贈った詩の中で少々問題のある発言をしてしまったようです。なお、以下の括弧内は森鴎外『伊沢蘭軒』よりの引用となります。
この詩を受け取った玄沢から「短命は舟にのる人ばかりにて、本国は長寿のよし也」という事を教えられ、茶山は意外の念を漏らしています。本気で、「蘭人短命」説を信じていたようですね。
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森鴎外 伊沢蘭軒」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2084_17397.html)
富士川英郎『菅茶山』筑摩書房
富士川英郎『儒者の随筆』小沢書店
『日本人名大辞典』講談社
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社
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