どうも、松原左京です。同じキリスト教でも、カトリックの「神父」とプロテスタントの「牧師」では結婚の可否という違いがある。これについては御存じの方も多いかと思います。それだけに、カトリックにおいては聖職者の「不犯」が重要なアイデンティティとなる事があるようです。彼らにとって、「不犯」は信仰の証であり、誇りでもあるという事でしょう。日本近代史において、それを伺わせる事例がありましたので今回はご紹介しようかと。
江戸時代を通じて禁止された我が国のキリスト教。しかし、それにもかかわらずキリスト教の信仰を守り抜こうとした(※)「かくれキリシタン」と呼ばれる人々が存在したのは有名です。そして、明治になって禁教が解かれた後、新たにやってきた宣教師と「かくれキリシタン」の人々とが邂逅を果たした話も感動的に伝えられています。
さて、その時の事。長崎に新たに建てられた天主堂の下へやってきた「かくれキリシタン」の人々が、宣教師に尋ねたのは「檀那は子女(こども)をお有(も)ちなさいますか」(浦川和三郎『日本に於ける公教会の復活 前篇』天主堂 243頁)という点でした。宣教師の答えは、
霊父(パーテル)と云ふものは、昔の霊父も同様に一生の間、不犯を守ります(同書 244頁)
というものでした。それを聞いたキリシタンたちは
獨身(ビルゼン)で厶(ござ)る、お有りがたう、お有りがたう(同書 同頁)
と頭を地に叩きつけて大いに喜んだそうです。引用した書の著者は、
公教の宣教師は必ず不犯を守るべき筈で、此印があれば確に自分等の後を継げるものだ、と昔の宣教師が懇々教へ込んで置いたものであらう(同書 同頁)
と推定しています。それだけに、キリシタンたちの感激は察するにあまりあります。なお、それより少し前にプロテスタントの伝道師が来た際もキリシタンたちは訪問していますが、伝道師の口から「家内」という言葉が出たのを耳にしてよりつかなくなったんだそうです。別に何をしたわけでもないのに、引き立て役にされた格好のプロテスタント伝道師、少々気の毒ではあります。もっとも、キリシタンたちにとって「不犯」が持つ意味の大きさを、よりわかりやすく示してくれる存在ともいえます。
かつて戦国の世に我が国で布教していた宣教師たち、そしてその教えを弾圧の下でも守り抜こうとした人々。彼らにとって、聖職者が「生涯不犯」である事は、譲れないアイデンティティだったと言えそうです。この話は、「童貞の世界史」を誇らかに飾る一挿話と呼べるのではないかと思いましたので、ご紹介した次第。
※ただし、実際には現地の習俗や仏教・神道の影響も受けているそうです。現在でも、そうした信仰形式を継承し続けている人々は、長崎県を中心に約2万人おられるそうです。
参考文献:
浦川和三郎『日本に於ける公教会の復活 前篇』天主堂
『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ
関連記事: