家族からの愛情があれば、生涯独身でも大丈夫?~「孤独」問題を考える~
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森茉莉は、父・鴎外に愛されたという自信だけで、一生涯、基礎的な幸福を維持できた人だった。「かけがえのない自分」という確固たる自信を持てた。(同書 202頁)
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2017年 07月 14日
どうも、松原左京です。 生涯独身・生涯童貞を貫く人々に向けられる懸念にはいろいろなものがあります。よく目にするものの一つに 「親が愛情を注いでくれるなら、確かに独身でも満たされるかもしれない。だが親が生きているうちはよいが、亡くなった後は愛する人も愛してくれる人もいなくなるのではないか」 というのが挙げられるでしょう。似たような話として、高齢童貞を問題視する向きの中に、承認欲求に飢えた結果としての歪みを懸念するものも目にします。 確かに、その時々で誰かに愛される、という経験が精神面での健康に重要な意味を持つのは確かでしょう。とはいえ、だからといって恋愛や結婚と縁がなければ愛情や承認欲求を満たせない訳では必ずしもありません。生涯続く友情によって承認欲求を満たすケースもあるでしょう。また、『童貞の世界史』に登場した童貞偉人たちには兄弟など家族との絆が緊密であるがために承認欲求が満たされ、逆に他者が入る余地がなくなった事例も複数見られました。ライト兄弟やグリム兄などがそれに相当します。詳しくは、本書を御参照ください。 さて、「家族から得られた承認欲求」といえば、こんな話もあります。 文豪・森鴎外の長女、森茉莉。彼女もまた、父同様に作家としての事績を残しているのは有名です。随筆『父の帽子』や小説『恋人たちの森』などが代表作として挙げられます。彼女は複数回の結婚経験があり子供ももうけていますから、「童貞の世界史」関連の話題で取り上げるのは必ずしも適切ではないかもしれません。しかし、二度の離婚後は長い独身生活を過ごしてもいますし、全くの無関係という訳でもないでしょう。 彼女は、しばしば父鴎外について言及しています。長山靖生は、その理由について、森茉莉には「私をいちばん愛してくれたのは、森鴎外という男よ」(長山靖生『「人間嫌い」の言い分』光文社新書 201頁)という思いがあったのではないかと推測し 森茉莉は、父・鴎外に愛されたという自信だけで、一生涯、基礎的な幸福を維持できた人だった。「かけがえのない自分」という確固たる自信を持てた。(同書 202頁) と評しています。だとすれば、少なくとも承認欲求という一点に関しては、森茉莉は父との親密さによって満たされ続けていたという事になります。父が没した後までも。もっとも、物質的な生活面では色々問題があったとも聞きますが。 確かに一般論として、「独りで生きる」場合の承認欲求、というのは重要な問題ではあります。しかし、かつて受けた愛情だけで生涯にわたり心を満たし得たケースだってありうるのだ、という事が森茉莉を通じて知ることができました。独身・童貞でパートナーがいない事が、必ずしも不幸とは言い切れない。やはり、「独りで生きて何が悪い」という言説は成り立ちうるのだ、と先人の姿は教えてくれます。 参考文献: 『日本大百科全書』小学館 矢川澄子『「父の娘」たち 森茉莉とアナイス・ニン』平凡社 長山靖生『「人間嫌い」の言い分』光文社新書 関連記事: ※2017/7/19 少し加筆。
by trushbasket
| 2017-07-14 04:21
| 松原左京
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