『童貞の世界史』落選者列伝 武蔵坊弁慶~不犯伝説だけでなく、「一回だけの経験」伝説も~
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弁慶と小町は馬鹿だなアかかあ
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2017年 07月 29日
どうも、松原左京です。今回の落選者列伝は、武蔵坊弁慶を扱います。 御存じの方が多いかと思いますが、武蔵坊弁慶は平安末期の武将・源義経の家臣です。義経が悲劇の名将として国民的人気を誇ってきた関係から、弁慶にも多くの伝承が残されており、「弁慶の泣き所」「立ち往生」といった成句もあるように豪傑として広く親しまれた人物です。とはいえ、伝わっている事績は『義経記』など後世の物語に依拠しているものが多く、実態は謎に包まれています。 一般的に伝えられる生涯の概要は以下の通りです。熊野別当の子として生まれ、幼名は鬼若。比叡山西塔で修行していましたが脱走し、やがて播磨国書写山に火をかけるなど暴れ者に成長したとされています。その後も洛中で他人の太刀を奪うといった乱暴を働いていましたが、牛若丸(後の義経)に敗れたのをきっかけにその家臣となりました。 その後は生涯にわたり義経に付き従い、義経が奥州で討たれた際は主君を守るかのように立ち往生したとされています。文芸の世界では義経を守る豪傑・忠臣としてしばしば取り上げられ、能『船弁慶』『安宅』や歌舞伎『勧進帳』がその代表といえます。 このように謎の多い弁慶ですが、『吾妻鏡』には文治元年(1185)に義経が京から落ち延びる際に付き従った面々の中に彼の名が記されており、義経の家臣として実在したのは間違いなさそうです。『平家物語』『源平盛衰記』にも名前は登場します。 さて、このように有名で伝承が多い一方で、謎も多い弁慶。そんな彼の伝説の一つに、生涯不犯だったというものがあります。江戸の川柳に 弁慶と小町は馬鹿だなアかかあ というものがあり、小野小町同様にそうしたイメージが広く持たれていたのが伺えます。しかしその一方で、「一生不犯といわれながら「弁慶が一夜子」のような話さえある」(中瀬喜陽『説話世界の熊野 弁慶の土壌』日本エディタースクール出版部 47頁)とあるように一度だけ女性と関係した事がある、という伝説もあります。そして、その一度で子をなしたという話も。歌舞伎『御所桜堀川夜討』のように、その伝説を取り入れた作品もありますから、この言い伝えもまた広く知られていたと言えましょう。 小町と同様、生涯不犯伝説もあれば相反する伝承もあり。という訳で、弁慶も落選者扱いといたしました。それにしても、謎の多い有名人はとりあえず生涯童貞、という事にしておきたい民衆願望が見え隠れする話ですね。 参考文献: 『日本大百科全書』小学館 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ 『世界大百科事典』平凡社 『大辞泉』小学館 中瀬喜陽『説話世界の熊野 弁慶の土壌』日本エディタースクール出版部 武藤禎夫『江戸小咄辞典』東京堂出版 高田衛『秋成』学生社 関連記事: 生涯童貞伝説が一時は囁かれた詩人の話
by trushbasket
| 2017-07-29 10:27
| 松原左京
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