どうも、松原左京です。『童貞の世界史』執筆のため調査していた際、「無性愛的」な有名人として時に目にした架空キャラクターの名があります。誰かと申しますと、シャーロック・ホームズです。説明不要かとも思いますが、一応。イギリスの作家コナン・ドイルによって生み出された探偵で、「名探偵」の代名詞というべき存在。そこで今回は、ホームズを始めとする名探偵たちについて少し「童貞の世界史」っぽい視点から見てみようかと思います。
ホームズが「無性愛的」な人物として描かれている、というのはしばしば指摘されるところのようです。A.F.ボガートは、その著作でホームズを、知性によって動く人物であり謎への興味が推理の原動力であり、(食欲も含め)肉体的欲求を超越した人物と評しています。そして、「世界的な情動」に耐性があり、一つの目的に完璧に力を注げる人物像だという事を描写するため、「無性愛的」なキャラクター付けがされているのだとしています。
推理小説世界を見る限り、こうした傾向はホームズだけではなさそうです。米国の推理作家エラリー・クィーンはある時、ハードボイルド作家D・ハメットから
「クィーンさん、あなたの小説に登場する名探偵のセックス・ライフがどうなっているのか教えていただけませんか?もしそれがあるとしての話ですが…」(藤原宰太郎『真夜中のミステリー読本 古今東西、名&珍作ガイド』ワニ文庫 30頁)
と質問され困惑した事があるそうです。確かに、クィーンが生み出したキャラクターはエラリー・クィーン(※)にせよドルリー・レーンにせよ性愛の匂いがしないイメージがあります。
※作者と同姓同名の、名探偵です。
他にも、アガサ・クリスティ―が生み出した名探偵のうちミス・マープルやエルキュール・ポアロが生涯独身であったのは知られるところです。
さて、この手の話題がある我が国の名探偵といえば、外せないのは金田一耕助。彼は二度の失恋を経験した後は独身主義者になったそうです。最後の事件とされる『病院坂の首縊りの家』でも
独身のまま年老いて、なんの身寄りもないこのひと(横溝正史『金田一耕助ファイル20 病院坂の首縊りの家(下)』角川文庫 Kindle版)
と言われているのは御存じの方もおられるかと。もっとも、作者・横溝正史が金田一耕助を結婚させなかったのは女性ファンからの要望に応えるため、という側面もあったのだとか。何でも、女性読者から
われわれは『金田一耕助を守る会』というのを結成した。金田一耕助さんを絶対に結婚させないでほしい。
とか、逆に
私を耕助さんのお嫁にしてください
といった手紙が届いたこともあったそうです(引用部は横溝正史『真説 金田一耕助』角川文庫 Kindle版より)。
もちろん、「名探偵」のすべてが性愛と縁遠い訳ではもちろんありません。例えば有名なところでは、明智小五郎は文代という女性と結婚しています。それでも、本格推理ものを中心に少なからぬ有名「名探偵」が独身設定なのは興味深いところです。「人々が英雄に求める資質として性的な潔癖がある」「童貞を貫く人物こそが英雄に相応しい、そう信じる人も世の中にはいる」(松原左京&山田昌弘『童貞の世界史』パブリブ 176頁)という話は、ミステリにもある程度当てはまるということかもしれません。
参考文献:
Anthony F. Bogaert, Understanding Asexuality, Rowman & Littlefield
Leslie S. Klinger, The Sherlock Holmes Book, DK Publishing
Edited by Lynnette Porter, Who Is Sherlock?: Essays on Identity in Modern Holmes Adaptations, McFarland
藤原宰太郎『真夜中のミステリー読本 古今東西、名&珍作ガイド』ワニ文庫 30頁
J.C Bernthal, Queering Agatha Christie: Revisiting the Golden Age of Detective Fiction, Springer
Megan Hoffman, Gender and Representation in British ‘Golden Age’ Crime Fiction, Springer
横溝正史『真説 金田一耕助』角川文庫 Kindle版
横溝正史『金田一耕助ファイル20 病院坂の首縊りの家(下)』角川文庫 Kindle版
江戸川乱歩『吸血鬼』春陽堂書店
松原左京&山田昌弘『童貞の世界史』パブリブ
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謎多き歴史上の英雄も、童貞伝説が生じたりします。
一方、金田一耕助の「孫」という設定のキャラクターが存在するのは有名。整合性がとれるよう想像を働かせるのも楽しみ方の一つかと。