堯・舜といえば、太古の中国にいたとされる理想の為政者。徳に満ちていたとされる彼らの時代は、後世において理想の世として敬仰されたりしています。もっとも、彼らの時代にも彼らの政治的課題は色々あったようです。その時代に関する伝承を『韓非子』から少し見てみましょう。
難篇には、堯の時代の出来事として以下のような記述があります。
歴山之農者侵畔。舜往耕焉、期年甽(※1)畝正。河濱之漁者爭坻(※2)。舜往漁焉、期年而讓長。東夷之陶者器苦窳(※3)。舜往陶焉、期年而器牢。(西野広祥・市川宏訳『中国の思想 第1巻 韓非子』徳間書店 166頁)
<現代語訳>
歴山の地で農民の間に、農地争いがあった。舜が現地に行って一緒に耕作すると、一年で農地境界はきっちりした。河濱の漁民たちの間で、漁場争いがあった。舜が現地に行って漁をともにすると、一年で良い漁場は年長者に譲られるように秩序ができた。東夷の陶器職人の作る器は品質が悪かった。そこで舜が赴いて共に陶器を作ったところ、一年で品質はしっかりしたものになった。
※1 「田」の右に「川」、※2 「土」へんに、「抵」の右側、※3空冠の下に、「瓜」二つ
これらの逸話は、舜の優れた徳や器量を讃える内容のものです。しかし韓非は、堯が天子の時代にそうした不祥事が重なった事をもって、「則是堯有失也」「仲尼之聖堯奈何」(同書 167頁)、つまり、堯に失政があったという事だから孔子が堯を聖人とするのはどんなものだろうか、と疑問を呈しています。
とはいえここは、逆に考えるべきかもしれません。たとえどんな聖人君子・完璧超人が上に立とうと、失敗・不祥事はおこりうるものである、と。
では次に、舜が天子であった時代を見てみましょう。五蠹篇によれば
當舜之時,有苗不服(同書 100頁)
<現代語訳>
舜が統治した時、有苗が服従せず背いた。
すなわち異民族反乱がおきたと記しています。たとえ堯や舜のような人物が指導者であっても、失政・不祥事や反乱は起きる時は起きる。これらの逸話から、こうした教訓を読み取ることもできそうです。
確かに、失敗・不祥事の責任を誰かがとる事は必要です。しかし、誰であってもそうした事態は起こる時は起こる。たとえ理想の人格者や完璧超人がトップであっても、例外ではない。それを前提として、ものを考える必要はあるかと思います。
すなわち、責任をかぶった人間を人格否定したり再起不能にしてはいけない。それよりも、個人の問題でなくシステムの問題として再発防止対策を練り、責任を負う羽目になった人物にも汚名返上の機会を与える。また、不祥事を起こした事を責めるより、むしろすぐに正直に申告すればその点は評価する。それくらいの姿勢が必要かも。そうせずに厳しく当たるだけでは、責任のたらいまわしや不祥事隠蔽という結果に終わる事のではないでしょうか。
【参考文献】
西野広祥・市川宏訳『中国の思想 第1巻 韓非子』徳間書店
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