忘れられかねない故事成語・熟語~『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』など、近代文学から~
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2017年 11月 12日
昔の本を読んでいた際、見慣れない言葉が出てきた経験は多くの方がされたことかと思います。その中には、故事成語や漢字熟語でありながら現在では基本的に見かけないものもちらほら。まあ、辞書を引けば普通に載っていますから、「忘れられた」と申し上げてしまうのは言い過ぎになりましょう。とはいえ、日常生活で使うことは基本なく、パソコンでもなかなか変換されなかったりそもそも変換登録されていなかったりもしばしばです。なので、「忘れられかねない」言葉とは称しても許されそうな気はします。今回、森鴎外の史伝ものを中心とした近代文学作品を題材に、そんな故事成語・漢字熟語をいくつか拾ってみます。 まずは、故事成語から。 ・傾蓋(けいがい) たまたま出会う事、初対面で親しくなる事。 用例:わたくしは傾蓋(けいがい)故(ふる)きが如き念(おもい)をした。(森鴎外『渋江抽斎』より) 『孔子家語』致思によれば、孔子が道で偶然に程子と出会い、車の笠を傾けて立ち話をしたという逸話があるそうです。そこに由来する言葉です。 ・易簀(えきさく) 学問・人徳がある人の死を敬って用いる言葉です。 用例:安(いづく)んぞ知らむ、此日菅茶山は神辺(かんなべ)にあつて易簀(えきさく)したのであつた。 (森鴎外『伊沢蘭軒』より) 『礼記』檀弓上にある、孔子の弟子にあたる曽子が死に臨んだ際の故事が由来です。彼はかつて、国のVIPである季孫から身分の高い人用の簀を下賜されていましたが、死に際して自分には不相応だとして粗末な簀に交換させたのです。なお、ここで言う「簀」は竹などを編んで作った、寝台の下に敷く敷物を指します。この故事から、学問や徳がある人の死を意味するようになりました。 ・怙恃(こじ) 両親の事。 用例:蘭軒は足掛二年の旅の間に、怙恃(こじ)併せ喪つたのである。(森鴎外『伊沢蘭軒』より) 『詩経』小雅 蓼莪に「無父何怙、無母何恃」(父無くんば何をか怙まん、母無くんば何をか恃まん)とある事に由来します。なお、怙と恃のどちらも訓読みでは「たの(む)」となります。上の詩句から分かるように、「怙」が父親、「恃」が母親を意味します。森鴎外は『伊沢蘭軒』で「錦橋初代池田瑞仙は、系図諸本及書上(かきあげ)に拠るに、寛保二年壬戌に怙(ちゝ)を喪つた。」「貞之介は恃(はゝ)を失つた直後に、伯父瑞仙の養子にせられて大坂に往つた。」(いずれも同書より)という用い方もしています。無論、「早く怙(こ)を失った終吉さん」「保さんは二十八歳で恃(じ)を喪(うしな)ったのだから」(森鴎外『渋江抽斎』より)のようにそのままバラで音読みさせるケースもあったようです。 ・萱堂(けんどう) 母親を敬って用いる言葉。 用例:当時わたくし共は萱堂(けんだう)のお世話になり、あなたをも抱いたり負(おぶ)つたりしたことがある。(森鴎外『伊沢蘭軒』より) 昔の中国では北向きの部屋を主婦の居室として「北堂」といい、その庭に萱を植えた事に由来します。 ・袁彦道(えんげんどう) 賭博の事。 用例:さしも盛んであった袁彦道(えんげんどう)の流行も、次第に衰えて、民皆その業を励むに至った。(穂積陳重『法窓夜話』より) 東晋時代に袁耽(えんたん)という人物がおり、彼が非常に賭博に長けていた事に由来します。彦道というのは、彼の字(あざな)です。同時代の武将・桓温が賭博で大損をした際に、袁耽が助け船を出して件の債主のもとへ赴いて一勝負、大勝ちしてその資産を取り返したという話が残されています。 「えんげんどう」とそのまま読ませる他にも、夢野久作『名娼満月』における「正しく天下晴れての袁彦道(ばくち)の真盛り。」のように「ばくち」とルビをうつケースもありました。ちなみに鴎外は『渋江抽斎』で「この人たちは啻(ただ)に酒家妓楼(ぎろう)に出入(いでいり)するのみではなく、常に無頼(ぶらい)の徒と会して袁耽(えんたん)の技を闘わした。」と本名表現で同じ意味合いを表しています。 ・入贅(にゅうぜい) 婿入りの事。贅婿(ぜいせい)という表現もある。 用例:この登勢に入贅(にゅうぜい)したのは、武蔵国(むさしのくに)忍(おし)の人竹内作左衛門(たけのうちさくざえもん)の子で、抽斎の祖父本皓(ほんこう)が即ちこれである。(森鴎外『渋江抽斎』より) 昔の中国では、夫が妻の家に入る場合はこれを卑下し「贅」すなわち「あまりもの」と称したそうです。また、婿入りする夫が貧しい場合、持参金を納めることができないため自らが妻の家に質(※)となり労力を提供した事に由来するという話もあります。 ※「贅」には「質草」といった意味合いもあるそうです。 以下は、現在では余り見ない熟語を。 ・康衢(こうく) 賑やかな大通り 用例:その人が康衢(こうく)通逵(つうき)をばかり歩いていずに、往々径(こみち)に由(よ)って行くことをもしたという事である。(森鴎外『渋江抽斎』より) 「康」は五方向に通じる道、「衢」は四方向に通じる道。なお、用例にある「逵」とは大道の事。ともに人通りの多い大きな道、というニュアンスかと思われます。 ・碑碣(ひけつ) 石碑 用例:是(ここ)においてかつて親しく嶺松寺中(ちゅう)の碑碣(ひけつ)を睹(み)た人が三人になった。(森鴎外『渋江抽斎』より) 「碑」は四角のもの、「碣」は円柱形のものだそうです。鴎外は、墓碑についてこう呼ぶ事がいくつかあります。 ・先考(せんこう) 亡くなった父親を称する言葉。亡父。なお、亡くなった母を呼ぶ場合は「先妣」。 用例:二十六年の久しい間、慈母の口から先考(せんこう)の平生(へいぜい)を聞くことを得たのである。(森鴎外『渋江抽斎』より) 「考」という漢字自体に「亡父」という意味合いを持たせるケースもあるようです。「妣」一字でも同様に「亡母」という意味合いを持ちうるようです。 ・啓沃(けいよく) 心中を包まず主君などに言上する事。 用例:この津軽家の政務発展の時に当って、允成が啓沃(けいよく)の功も少くなかったらしい。(森鴎外『渋江抽斎』より) 「啓」とは開く、すなわち心の中を開く事。「沃」とは注ぐ、つまり相手の心に注ぎ入れる事。上記の通り、君臣関係で用いる言葉だそうですから、身分制度等がなくなるにつれてこの語が廃れるのは自然な成り行きと言えそうです。 ・句読(くとう) 文章の読み方、特に漢文の素読。 用例:郷里にあって、父恭斎(きょうさい)に句読(くとう)を授けられていたのである。(森鴎外『渋江抽斎』より) 「句」は文の切れるところ、「読」は一時息を切るところを意味します。現在でも、文章の「、」を読点、「。」を句点、併せて「句読点」という形で用いていますから、「忘れられかねない」と称するのは問題あるかも。 ただし、「漢文の素読」というニュアンスで用いられる用例は、この頃は見なくなっています。まあ、漢籍を本格的に学ぶ機会が現代日本人には基本的にありませんから、当然かもしれません。 ・卯飲(ぼういん) 朝酒をする事。 用例:その保に寄する書に卯飲(ぼういん)の語あるを見て、大いにその健康を害せんを惧(おそ)れ、急に命じて浜松に来(きた)らしめた。(森鴎外『渋江抽斎』より) 「卯」とは午前六時の事です。朝早くから酒を飲む事を、こう呼んだようですね。 ・剞劂氏(きけつし) 版木を彫る人。 用例:おこうさんの妹おりゅうさんはかつて剞劂氏(きけつし)某に嫁し、(森鴎外『渋江抽斎』より) 「剞」は曲がった刀、「劂」は曲がった鑿を意味するそうです。そこから「剞劂」の語は彫刻、あるいは版木を彫る事から転じて出版をも意味するようになったようです。しかし木版印刷が既に歴史上の存在となったのに伴い、この語も用いられなくなったものでしょう。 ・沮洳(しょじょ) 水はけの悪い様子、またそういった土地。 用例:寺内の墓地は半ば水に浸されて沮洳(しよじよ)の地となり、(森鴎外『壽阿彌の手紙』より) 「沮」「洳」ともに湿地の意味があります。 ・創聞(そうぶん) でっちあげ。 用例:この書の記(き)する所は、わたくしのために創聞(そうぶん)に属するものが頗(すこぶ)る多い。(森鴎外『渋江抽斎』より) ・厳君(げんくん) 他人の父親を敬っての呼称。 用例:著者の志す所は厳君(げんくん)の『経籍訪古志』を廓大(かくだい)して、(森鴎外『渋江抽斎』より) ・問安(もんあん) 目上の人の様子をたずねる事。 用例:次に書中に見えてゐるのは、不音(ぶいん)のわび、時候の挨拶(あいさつ)、問安で、(森鴎外『壽阿彌の手紙』より) これらの、現在ではなかなか見なくなった表現を知るのも、昔の文学作品を読む楽しみの一つと言えましょう。これらの作中における「忘れられかねない故事成語・熟語」はまだまだあるんでしょうが、とりあえず今回はこれらをご紹介する事としました。 【参考文献】 「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より 『大辞泉』小学館 『大辞林』三省堂 『新漢和辞典』松雲堂 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ロゴヴィスタ 市木武雄 編『梅花無尽蔵注釈 第三』八木書店 関連記事: 「梨園」も実は中国の故事に由来する言葉です。
by trushbasket
| 2017-11-12 19:36
| NF
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