孔子、「毒親」問題を語る?~ヤバいと思ったら逃げなさい、それも「孝」だ~
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最近、時に「毒親」という言葉を見聞きする事があります。虐待や過干渉などで、子供の心身に悪影響を及ぼすような親の事です。そうした親にも親の言い分があるのかもしれませんが、子供は親を選べないだけに心痛む問題です。今回は、中国古典を題材に、この問題も絡めてお話してみたいと思います。
『孔子家語』という書物があります。孔子の言行や弟子とのやりとりを記録したという書です。『漢書』に同名書物に関する記載があるそうですが、現行のそれは三国・魏の王粛による偽作なんだとか。とはいえ、孔子たちに関する逸話を数多く収載しているという点が評価されたのか、唐・宋の時代には偽作である事が判明しているにもかかわらず割合に重宝されたそうです。今回は、この『孔子家語』六本第十五から、孔子の弟子・曾参に関する逸話を見てみましょう。
曾参は「曾子」と敬称で呼ばれる事もある、孔子門下における大物の一人。孝行者であった事で知られており、『孝経』の著者だという伝承もあります。そんな曾参はある日、誤って転倒し植えていた瓜の根を切ってしまいました。この時、曾参の父・曾點(そうてん)は激怒し、「建大杖以撃其背」(『漢文叢書 小学、孝経、孔子家語』有朋堂 426頁)、つまり大きな杖でその背を殴りつけたのです。殴られた曾参は、
仆地面而不知人久之(同書 同頁)
(超意訳)地面に倒れ、しばらく人事不省に陥った。
という大変な有様に。少なくとも現代の我々から見れば、虐待以外の何者でもありません。しかししばらくして意識を取り戻した曾参は、むしろ嬉しげな様子を見せ、父に
参得罪於大人。大人用力教参。(同書 同頁)
(超意訳)私は、父上に対し罪を犯しました。父上は、体を張って私を教育してくださったのですね。
と謝して自室に退きます。その上で、父を安心させるため、琴を弾いてみせ、殴られた怪我は大したことがないのをアピールしたのです。一見すると、儒教社会では美談だったんだろうなあ、と思ってしまいます。
しかしながら、この顛末を聞いた孔子は強い不快感を示しました。そして弟子に
参来勿内(同書 同頁)
(超意訳)曾参が私のところにやってきても通すな。
と厳命。師の怒りを耳にした曾参、驚いて人づてに理由を尋ねます。そこで孔子は、古の理想的為政者・舜を引き合いに出しながら叱責したのです。その内容を簡単に以下で説明しましょう。
舜は若い頃、親兄弟による不当な行いにも耐えながら孝を尽くした人でした。しかし、それでも
索而殺之。未嘗可得。(同書 427頁)
(超意訳)父が自らを殺そうとした際は捕まらないようにした
大杖則逃走(同書 同頁)
(超意訳)太い杖で殴られそうになった際は逃げた
とのこと。そうして自らの命を守る事で、父にも子殺しという「不父之罪」(同書 同頁)を犯させないようにしたというのです。
一方で曾参はといえば
委身以待暴怒(同書 同頁)
(超意訳)父が怒り乱暴するとされるがままになっている
という状況だ、と孔子は慨嘆して
既身死而陥父於不義。其不孝孰大焉。(同書 同頁)
(超意訳)それでお前が死んでしまったならば、父に犯罪を犯させてしまう事になるのだぞ。その親不孝たるや、他に比べようもない。
と一喝。そして孔子は「お前は天子の民ではないか」と述べた上で
殺天子之民。其罪奚若。(同書 同頁)
(超意訳)天子の民を殺してしまったとなれば、その罪は重いものだ。お前は父を、重罪人としたいのか。
と諭しました。曾参はそれを聞いて己の過ちを悟り、師に謝罪したということです。
この逸話における孔子の言い分をまとめると。
身の危険がある場合は、グズグズせずに逃げろ。さもないと、親に重罪を犯させてしまう。そうなると、とんだ「親不孝」だぞ。
こういうことになるようです。実のところ、曾参の父・曾點もまた孔子の弟子でした。なので、孔子はひょっとすると、この話が曾點の耳にも入ることも期待していたのかも。そうする事で、父の振舞も改まることも目論んでいた可能性はあります。
それにしても、「天子之民」という表現には「お前の身はお前自身が思っているより遙かに尊いのだぞ、もっと自分を大切にしろ」というメッセージが込められているように感じられて、厳しい言葉の中ながらも読者としては少し心温まる思いがしました。そういえば、『孝経』開宗明義賞第一にも
身体髪膚。受之父母。不敢毀傷。孝之始也。(同書 261-262頁)
(超意訳)あなたの肉体は髪や皮膚に至るまで、父母からもらい受けたものだ。だから、その体を決して損なわないようにするのが、孝の第一である。
とあるように、己の肉体を大事にする事も儒教では重んじられています。
さて、曾點の名誉のために一言。上で申し上げたように、『孔子家語』は後世の偽作です。なので、この逸話が史実かどうかはかなり疑わしいと言えるでしょう。故に、史実における曾點が我が子を虐待したかどうかも、やはり疑問視すべきかと考えます。
実際に孔子の周りでこうした出来事があったか、孔子が実際にそうした発言をしたかについては、繰り返しますが疑問です。しかしながら、
たとえ親が相手でも、我が身が危ういと思ったら躊躇わず逃げなさい。距離を置きなさい。それこそが「孝」なのだ。
という考え方が、儒教時代の中国で孔子の名の下に語られた事もある。これは、少なからぬ意味を持つ事実だと思います。
現在、「毒親」との関わり方を考える上でも、この考え方はあるいは参考になるかもしれません。無論、身体的な意味だけでなく、精神的な意味で「このままではヤバい」と思った際も、この話を思い出すことは無意味ではないのでは。殊に、今日では儒教的な「孝」が義務という訳では別にありませんし、もう少し広めに適用させても許されそうに思います。
【参考文献】
『日本大百科全書』小学館
『漢文叢書 小学、孝経、孔子家語』有朋堂
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