大関勝率6割台の面々の、綱取り挑戦経験について~やはり、「大関勝率6割」は強豪の証~(上) 昭和篇
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常陸岩(.621)、豊国(.656)、清水川(.649)、前田山(.698)、栃ノ海(.697)、豊山(.600)、北の富士(.660)、玉乃島(のち玉の海)(.687)、琴桜(.643)、清国(.613)、貴ノ花(.603)、琴風(.658)、若嶋津(.633)、北天祐(.607)、小錦(.637)、霧島(.647)、貴ノ浪(.645)、魁皇(.615)、栃東(.623)、日馬富士(.671)、把瑠都(.658)、鶴竜(.661)
横綱になった力士も珍しくなく、そうでなかった大関も綱を掴めないまでも「指先に触れる」ところまでは到達した面々といって差し支えありません。
関連サイト:
「大相撲≒おつかれマツェラート」(http://www6.plala.or.jp/ma214/)
「相撲レファレンス」(http://sumodb.sumogames.de/Default.aspx?l=j)
更に、もう一歩踏み込んで、綱に一番近づいたのはいつか、についても出来る範囲で見てみようかと。「昇進できたかもしれない条件」としては、基本的に連続優勝か「優勝+準優勝or優勝同点」か「準優勝+優勝同点」が目安です。ただし、平成については、連続優勝が原則になっていますので、連覇と、あと少し甘くして「優勝+優勝同点」を条件といたします。なお、優勝の後にある番号は、大関時代における何回目の優勝かを表したものです。通算優勝何回目かではありませんので、ご了承ください。
チャンスがあったのは下記。
優勝:昭和三年一月 10勝1敗
優勝翌場所:昭和三年三月 全休
歴史のイフを妄想する余地がありそうなのは、昭和二年十月。仮にあと1勝していても三番手以下ではありますが、二場所の勝率が.886(15日制下なら計26勝相当)となりますから可能性が皆無ではなかったかも。その前の昭和二年五月も7勝4敗(優勝は横綱常ノ花 10勝1敗、準優勝は関脇小野川・前15張出 雷ノ峰 9勝2敗)と悪くありませんでしたし。
なお、上述の関脇小野川とは、後の大関豊国のことです。
チャンスと見なせるのは下記。
準優勝:昭和四年一月 9勝2敗 優勝は関脇玉錦 10勝1敗
優勝1:昭和四年三月 9勝2敗
優勝1翌場所:昭和四年五月 6勝5敗
優勝同点:昭和四年九月 8勝3敗 優勝は横綱常ノ花 8勝3敗
優勝2:昭和五年一月 9勝2敗
優勝2翌場所:昭和五年五月 5勝6敗 優勝は横綱常ノ花 10勝1敗、前1天竜が優勝同点
昭和四年一月、豊国は九日目に玉錦と対戦し敗れています。この一番にもし勝っていれば、同年三月時点で連続優勝。昭和三年十月もまずまずの成績だったため、ほぼ間違いなく横綱だったと思われます。
昭和四年九月・五年一月は「優勝同点+優勝」で昇進できないあたり、厳しいと感じます。もっとも、その前に6勝5敗であったため不安定とみられたのでしょう。あと、優勝同点とはいえ3敗は辛い点数になったかもしれません。当時は優勝決定戦がなく、最優秀成績力士のうち番付最上位者が優勝とされる制度でした。昭和四年九月場所については、常ノ花との直接対決は制しているだけに「優勝決定戦があれば」「もう一勝していれば」と思わされます。
横綱昇進を狙えそうなのは下記。
優勝1:昭和七年十月 9勝2敗
優勝1翌場所:昭和八年一月 5勝6敗 優勝は別席朝潮 11戦全勝、準優勝は横綱玉錦 9勝1敗1分
優勝2:昭和九年五月 11戦全勝
優勝2翌場所:昭和十年一月 5勝6敗 優勝は横綱玉錦 10勝1敗、前8鏡岩が優勝同点
なお、大関時代の準優勝は5回。そのうち2回は13勝、1回は12勝しています。
準優勝:昭和三十八年五月 13勝2敗 優勝は横綱大鵬 15戦全勝
準優勝翌場所:昭和三十八年七月 10勝5敗 優勝は大関北葉山 13勝2敗 大関佐田の山が優勝同点
準優勝:昭和三十九年七月 13勝2敗 優勝は前9富士錦 14勝1敗
準優勝翌場所:昭和三十九年九月 11勝4敗 優勝は横綱大鵬 14勝1敗 準優勝は大関佐田の山13勝2敗
準優勝翌々場所:昭和三十九年十一月 10勝5敗 優勝は横綱大鵬 13勝2敗、準優勝は大関佐田の山13勝2敗
準優勝:昭和四十三年三月 12勝3敗 優勝は前8若浪 13勝2敗、小結麒麟児も準優勝
準優勝:昭和四十三年五月 10勝5敗 優勝は大関玉乃島 13勝2敗、大関北の富士・前2栃東・前5藤ノ川も準優勝
準優勝翌場所:昭和四十三年七月 7勝8敗 優勝は大関琴櫻 13勝2敗、準優勝は前5陸奥嵐 12勝3敗
昭和三十八年七月 10勝5敗 優勝は大関北葉山 13勝2敗 大関佐田の山が優勝同点
昭和三十八年九月 13勝2敗 優勝は横綱柏戸 15戦全勝、準優勝は横綱大鵬 14勝1敗
昭和三十八年十一月 9勝6敗 優勝は大関栃ノ海 14勝1敗、準優勝は横綱大鵬・前6海乃山 12勝3敗
という時期もありました。九月、もし柏戸に勝っていれば巴戦で最低でも優勝同点という局面でした。惜しい。その前に五月は13勝で準優勝、七月も10勝で乗り切っているのを考慮すると、「十一月に優勝すれば可能性はあった」と解釈する事はできそうな。少なくとも13勝以上での優勝なら、昇進可能性は十分な局面だと思います。実際に「綱取り場所」と見なされたかは存じませんが。
準優勝前場所:昭和四十年三月 11勝4敗 優勝は横綱大鵬 14勝1敗、準優勝は横綱佐田の山 12勝3敗
準優勝:昭和四十年五月 11勝4敗 優勝は横綱佐田の山 14勝1敗
準優勝翌場所:昭和四十年七月 10勝5敗 優勝は横綱大鵬 13勝2敗、準優勝は横綱佐田の山 12勝3敗
という事もありましたが、準優勝とはいえ星数は綱取りのチャンスを云々するにはやはり足りず。
横綱昇進を狙えそうな好成績は下記。
優勝翌場所:昭和四十四年九月 9勝6敗 優勝は大関玉乃島 13勝2敗、準優勝は大関北の富士 12勝3敗
準優勝:昭和四十六年五月 13勝2敗 優勝は横綱北の富士 15戦全勝、横綱玉の海も13勝2敗で準優勝
準優勝翌場所:昭和四十六年七月 9勝6敗 優勝は横綱玉の海15戦全勝、準優勝は大関大麒麟 11勝4敗
チャンスがあったのは下記。
優勝1:昭和五十年三月 13勝2敗
優勝1翌場所:昭和五十年五月 9勝6敗 優勝は横綱北の湖 13勝2敗、準優勝は大関魁傑 12勝3敗
優勝2:昭和五十年九月 12勝3敗
優勝2翌場所:昭和五十年十一月 8勝7敗 優勝は関脇三重ノ海 13勝2敗、準優勝は横綱北の湖 12勝3敗
準優勝:昭和五十二年一月 12勝3敗 準優勝 優勝は横綱輪島 13勝2敗、横綱北の湖も12勝3敗で準優勝
準優勝:昭和五十二年三月 13勝2敗 準優勝 優勝は横綱北の湖 15戦全勝
準優勝翌場所:昭和五十二年五月 10勝5敗 優勝は大関若三杉 13勝2敗、準優勝は横綱北の湖 12勝3敗
一月は輪島、三月は北の湖と優勝力士にそれぞれ敗れています。一月で対輪島戦に勝利していれば優勝、三月に対北の湖戦で勝利していれば少なくとも優勝同点という事になります。いずれかを制していれば、横綱昇進を果たした可能性が十分あります。五十一年十一月が9勝どまりだったのを厳しめに評価される危険はありますが。
貴ノ花に横綱挑戦のチャンスは3回ありましたが、綱に最も近づいたのは最後の連続準優勝時と言ってよさそうですね。
チャンスがあったのは、下記です。
優勝:昭和五十八年一月 14勝1敗
優勝翌場所:昭和五十八年三月 11勝4敗
優勝は横綱千代の富士 15戦全勝 準優勝は大関隆の里、関脇朝潮、同北天佑の12勝3敗
五十八年三月、琴風は奇しくも優勝した千代の富士と準優勝の三人いずれにも敗れています。いずれか一つ勝利していれば、準優勝に並べた計算になります。その場合、「優勝+準優勝」で「2場所計26勝」となるため横綱昇進を果たせた可能性は十分あります。
大関時代、チャンスといえそうなのは下記。
優勝は横綱千代の富士 15戦全勝、準優勝は大関隆の里、関脇朝潮、同北天佑の12勝3敗
準優勝:昭和五十八年五月 13勝2敗 準優勝 優勝は関脇北天佑 14勝1敗、大関隆の里も準優勝
準優勝翌場所:昭和五十八年七月 11勝4敗 優勝は大関隆の里 14勝1敗、準優勝は横綱千代の富士 13勝2敗
優勝1:昭和五十九年三月 14勝1敗
優勝1翌場所:昭和五十九年五月 9勝6敗 優勝は横綱北の湖 15戦全勝、準優勝は横綱隆の里と同千代の富士 11勝4敗
優勝2:昭和五十九年七月 15戦全勝
優勝2翌場所:昭和五十九年九月 11勝4敗 優勝は前12多賀竜 13勝2敗、準優勝は前6小錦 12勝3敗
この時期は、非常に惜しかったと思います。
五十九年一月は、もう一勝していれば12勝3敗で準優勝でした。なお、優勝した隆の里とは同部屋のため本割での直接対決はありません。一月を12勝できていれば、三月場所後に昇進していた可能性もあります。五十八年十一月も11勝4敗(優勝は横綱千代の富士 14勝1敗、準優勝は横綱隆の里 13勝2敗)と好成績でしたしね。
綱取り場所となった五月は優勝した多賀竜、準優勝の小錦にそれぞれ敗れています。多賀竜に勝っていれば12勝3敗で巴戦に持ち込めるため少なくとも優勝同点、小錦に勝っていればやはり12勝3敗で準優勝。七月に全勝優勝をしているのも考えると、いずれかで横綱になれた可能性を感じます。
準優勝前場所:昭和六十年一月 9勝6敗 優勝は横綱千代の富士 15戦全勝、準優勝は大関北天佑と前9出羽の花 11勝4敗
準優勝:昭和六十年三月 12勝3敗 準優勝 優勝は大関朝潮 13勝2敗
準優勝翌場所:昭和六十年五月 10勝5敗 優勝は横綱千代の富士 14勝1敗、準優勝は小結小錦 12勝3敗
と好成績を残した時期はありました。まさに強豪大関。
横綱昇進のチャンスだった可能性を見いだせそうなのは、下記。
優勝:昭和六十年七月 13勝2敗
優勝翌場所:昭和六十年九月 9勝6敗 優勝は横綱千代の富士 15戦全勝、準優勝は大関大乃国 12勝3敗
なお、綱取り場所で苦戦した直後も
準優勝:昭和六十年十一月 12勝3敗 準優勝 優勝は横綱千代の富士 14勝1敗、関脇北尾も準優勝
という成績を挙げていますが、その前が9勝止まりなので綱取りを云々するには少し星数が足りないかも。
準優勝前場所:昭和五十九年一月 9勝6敗 優勝は横綱隆の里13勝2敗、準優勝は横綱千代の富士12勝3敗
準優勝:昭和五十九年三月 12勝3敗 準優勝 優勝は大関若嶋津 14勝1敗
準優勝翌場所:昭和五十九年五月 10勝5敗 優勝は横綱北の湖 15戦全勝、準優勝は横綱隆の里と同千代の富士 11勝4敗
長くなったので、いったん切ります。平成以降の該当する大関については、(下)で。