「童貞」という語がマイナスの意味合いで用いられる事例を見てみた~性体験の有無は、実はあまり関係ない?~
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関連サイト:
「ネタりか」(http://netallica.yahoo.co.jp/)より
「「会社を好きになってくれる学生がほしい」企業は童貞?ツイートが話題」(http://netallica.yahoo.co.jp/news/20161130-79374184-sirabee)
「grape」(https://grapee.jp/)より
「「日本の新卒採用は童貞っぽい」 その理由に納得の声」(https://grapee.jp/425496)
「幻冬舎plus」(http://www.gentosha.jp/)
「中年童貞とメンタル童貞」(http://www.gentosha.jp/articles/-/3084)
相手の人格を尊重できず、相手に独自の意志や価値観がある事を理解できず、こちらの願望や欲求を一方的に押し付ける
「女を一人の人間としてカウントできない男」は、みんなメンタル童貞だと思います。既婚者でも子持ちでも、メンタル童貞はたくさんいますよ。
ここで「童貞っぽい」「メンタル童貞」と称される心のありようが、大いに問題なのは私も異論ありません。しかし、そうしたメンタルの人が全て童貞とは限らないのと同様、童貞の人が全てそんなメンタルでいる訳でもない。
これまで何度も述べてきたように、童貞の人々の中には無性愛の人々や性愛欲求が希薄な人々も少なからず存在しています。それも考慮すると、この手の問題における性愛の占める割合を過大評価しないようお頼みしたいのですが、どうでしょう。本ブログで最早おなじみとなった
人の才や器は人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
独りで生きて何が悪い
さて。無論ですが、この手の「困った人」は今に始まった事ではありません。そして当然、こうした「困った人」は昔も今も童貞とは限りません。一例を挙げますと。満たされない承認欲求を抱え、自分より相手が弱いとみれば、いじめをする。そうした事例は、歴史上でもあるようです。過去記事を振り返ってみますと、そんな「困った人」に関連していそうな話が見つかりました。
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田舎では軍隊に入れば白米食べ放題、見たこともないライスカレーが出る。給金ももらえる、下士官になれると進んで志願するものがあった。下士官の多くはそれだったのじゃないかな。それが意地が悪くてね、小学校だけだからことに学生上りにつらくあたった。
(山本夏彦『誰か「戦前」を知らないか』文春文庫 130-131頁)
隊内では信任の見習士官、下士官が教育隊より帰隊すると、年次の古い者が殴るか、いやがらせを行い圧えつけようとする。新年次の上等兵は、古年兵の一等兵を指揮出来ない。全く戦国の下剋上そのものであった。これでは敵を前にして何も出来ない。戦闘は弱いはずである。(一ノ瀬俊也『皇軍兵士の日常生活』講談社現代新書 78頁)
聖戦の旗印の許、共に生死をかけて戦わなければならないのに、感情に走って暴力をふるい、我々が神とも尊敬している教官の悪口、そして自分達は一日も早く帰りたがっている。(同書 86頁)
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いずれにせよ、以下の事は言えそうです。彼らを笑いものにすることも、「自己責任」として切って捨てる事も、簡単です。しかし、それは彼らに更なるルサンチマンを植えつけ、いっそう先鋭化させる結果にしかならないでしょう。そうなると、社会不安の噴出という形でツケを払わざるを得なくなる。そうした事も、歴史上の事例は示唆してくれます。
参考文献:
山本夏彦『誰か「戦前」を知らないか』文春文庫
一ノ瀬俊也『皇軍兵士の日常生活』講談社現代新書
「Books&Apps」(http://blog.tinect.jp/)より
「セクハラおやじや痴漢の存在も、性教育の失敗と言えるのではないか」(http://blog.tinect.jp/?p=41489)
性教育では、相手の性を尊重する事をまず教える必要がある、という話。