どうも、松原左京です。
少し前に、「読書案内」で『ニートの歩き方』(pha著、技術評論社)が紹介されていました。そこで今回、私がpha氏の著作を手にしてふと感じた事を、少しお話しようかと。なお、例によって、童貞関連の話です。
食品や工業製品には、「歩留まり」という概念があります。食品原料のうち可食部分の割合、また工業製品のうち不良品でないものの割合を指すのだとか。『ニートの歩き方』では、学校や会社勤めといった世間一般の価値観に適応できない人がどうしても一定数出る、という事についてこの「歩留まり」にたとえていました。曰く、
結局、人間の社会にも歩留まりというのはあるのだ。人間の世界のことで100%というものはあり得ない。
それはもうそういうものなので、仕方が無い。頑張って一般に合わせようとしても無理だ。かと言って、じゃあそういう人間は死ねばいいのかって言うともちろんそんなことはなくて、周りから変人だと思われることを気にせず自分なりの独自の生き方を切り開いていくしかないのだ。
(上記はpha『ニートの歩き方』技術評論社より)
「不良品」にたとえているあたりが少しひっかからなくはないですが、基本的に同意できる趣旨だと思います。そしてこの趣旨は、生殖活動に関しても当てはまると思います。人間はもちろん、他の動物についても。「生物は子孫を残すものだ」という側面を重く見る価値観からは、生涯童貞の個体はあるいは奇異に映るかもしれません。しかし実際の所、人間も動物も、生涯童貞の個体や無性愛の個体が一定数生じるのは自然な事であり別に不思議でもなんでもありません。この点については、従来も何度かお伝えしてきた通りです。
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そして、上記引用部と同様に。生涯童貞の個体も「生きている意味が無い」という事は断じてない。自分の価値観をしっかりもって自らの生き方を切り開き、堂々としていればよい。そう思います。
なお、pha氏は、この問題に関しても別著作『持たない幸福論』で触れています。ついでに、その部分についても少しお話しておきましょう。彼は子孫を残す意義は認めつつも、「ミーム」すなわち「人間が喋ったもの、書いたもの、働いて作り出した成果物、全ての表現活動や生産活動、そうした他人に影響を与えるもの」(pha『持たない幸福論』幻冬舎文庫より)を伝えるのも同様に興味深いとして
遺伝子の乗り物であることから解放されて自由に人生の目的を設定することができるようになった、というのが人間という生き物の面白いところなのだ。(同書より)
と述べています。更に、宇宙規模から見ればそれすらも大して意味がないとして
常識とか他人の思惑とか気にせずに、自分が面白いと感じることをやればいい(同書より)
とも。それに関しては、私も異論ありません。
何度目か分かりませんが、例の如く
人の才や器は人体の一局所の特殊な摩擦経験の有無によって決まるものではない
独りで生きて何が悪い
という結論でまたも締めておこうと思います。それでは、皆様。良いお年を。
参考文献:
『大辞泉』小学館
pha『ニートの歩き方』技術評論社
pha『持たない幸福論』幻冬舎文庫
関連サイト:
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