漢詩の一種「楽府」とは~頼山陽『本能寺』を題材に~
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本能寺
本能寺。溝幾尺。 吾就大事在今夕。
茭粽在手併茭食。 四簷楳雨天如墨。
老阪西去備中道。 揚鞭東指天猶早。
吾敵正在本能寺。 敵在備中汝能備。
(坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂 193-194頁より)<読み下し>
本能寺。溝 幾く尺。
吾 大事を就す 今夕に在り。
茭粽 手に在り 茭を併て食ふ。
四簷の楳雨 天墨の如し。
老阪 西に去れば 備中の道。
鞭を揚げて 東に指せば 天猶早し。
吾敵は正に本能寺に在り。
敵備中に在るに 汝能く備へよ。<超意訳>
「本能寺は、溝の深さがどれだけあるだろうか。」
「私が大仕事にかかるのは、今晩のことだ。」
そう思いながら、光秀は笹に包まれたちまきを手にして、笹ごと口にした。
四方の軒から梅雨がしたたれおち、天は墨を塗ったかのように真っ暗。
老ノ坂を西へ向かえば、(援軍に向かうべき)秀吉のいる備中への道筋になる。
しかし光秀は馬の鞭をさしあげて東を指した。その時、空は夜明けにはまだ早い。
「敵は本能寺にあり!」
だが光秀よ、恐るべき敵は実のところ備中にこそいる。だから、しっかり備えをしておきたまえ。
●○● ○●●(韻1) ○●●●●○●(韻1) 韻脚は尺・夕 入声十一陌
○●●●●○●(韻2) ●△○●○○●(韻2) 韻脚は食・墨 入声十三職
●●○●●○●(韻3) ○○○●○○●(韻3) 韻脚は道・早 上声十九皓
○●●●●○●(韻4) ●●●○●○●(韻4) 韻脚は寺・備 去声四寘
関連サイト:
「韻と平仄を検索するページです」(http://tosando.ptu.jp/kensaku.html)
・平仄に明らかな規則性を見いだせない。
・韻が何度か変化している。
というのが挙げられます。あと、同じ文字を何度も用いているのも個人的には気になります。どうやら、同じ漢詩とは言っても、絶句や律詩とはタイプが異なるようです。
なお、「韻が途中で別の音になる」のは古詩では割とあるらしく、そういうケースは「換韻」と呼ばれます。一方、律詩や絶句と同様に「最初から最後まで同じ音の韻」の古詩は「一韻到底」というそうです。
そしてやがて五言詩が生まれると、楽府と「詩」とが分けて認識されるようになりました。魏晋南北朝期にも新たな楽府が好んで作られ、そこから七言定型詩が生まれたとされています。
唐代になると、楽府を音楽に乗せて歌う風習はすたれましたが、楽府スタイルでの詩は好んで作られました。上述した自由なスタイルが好まれたようです。この頃の作品を「新楽府」と称する事もあります。中でも白居易による作品は有名だとか。
坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
兵藤裕己『太平記(二)』岩波文庫
「「芳野三絶」~南北朝関連の作品を題材に漢詩を見る~」
「戦国大名から見る世代交代の難しさ~当主急逝、後継者早世がもたらす混乱と衰亡~ 」
「「黒歴史」に相当する表現は? in 大正~森鴎外の用例から~」
「詩詞世界」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/index.htm)より
「頼山陽 本能寺」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi4_08/jpn291.htm)
実のところ、このサイトを御覧いただくのが一番早い気がします。