昨年末、漢詩の一種「楽府」について記事で言及しました。その時にご紹介した頼山陽『日本楽府』から、今回は南北朝時代に関連する作品を一つ話題にしようかと思います。作品名は『十字詩』。南朝の武将・児島高徳を題材にしたものです。
児島高徳に関する詳細は下記リンク先をご参照いただければ。
関連サイト:
「れきけん・とらっしゅばすけっと」(http://www.geocities.jp/trushbasket/)より
「児島高徳」(http://www.geocities.jp/trushbasket/data/nf/kojima.html)
一応概略だけ申し上げますと、後醍醐天皇が鎌倉政権打倒に一度失敗し隠岐へ流罪になった時の事。その道中で後醍醐を奪還・救出しようと目論んでいた武士がいました。彼こそが、備前出身の児島高徳です。彼は後醍醐を護送する一行を追跡し、院庄で追いつくものの警備が固いため救出を断念。その代わり、その場にあった桜の幹に忠義の思いを十字の詩句に託して書き付けました。それによって、後醍醐に「貴方にはまだ忠義を尽くそうと志す者がここにおります。御心を強くお持ちください」とメッセージを送ったのです。果たして翌日。彼の詩句を目にした後醍醐は勇気づけられたと『太平記』は伝えています。
問題の詩句は、「天莫空勾践 時非無范蠡」というもの。「天 勾践を空しうする莫れ 時 范蠡無きにしも非ず」と読みます。勾践とは、古代中国は春秋時代末における越の国王。范蠡はその勾践を支えた名臣です。呉の国に敗北し屈辱をなめた勾践は、隠忍を重ねた末に再び国力をつけ呉を滅ぼし雪辱を果した。その故事にならった詩句なのです。
それを踏まえた上で、頼山陽の『十字詩』を見ていくことにしましょう。
十字詩
君勾踐。臣范蠡。一樹花。十字詩。
南山萬樹花如雪。重埋鑾輿無還期。
蠡也自許亦徒爲。誰使越王忘會稽。
呉無西施。越有西施。
(坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂 119頁)
<読み下し>
君は勾踐。臣は范蠡。一樹の花。十字の詩。
南山の萬樹 花雪の如く。重て鑾輿を埋て還期無し。
蠡や 自ら許すも亦た徒爲。誰か越王をして會稽を忘れ使む。
呉に西施無く。越に西施有り。
<超意訳>
君主・後醍醐天皇はさながら越王・勾踐。そして臣下・児島高徳はまるでその名臣・范蠡。
一本の桜木に花が咲き。その下に高徳が書き付けた十字の詩。
奇しくも、後醍醐が最後に拠った吉野山には桜の木が数多く、その花は雪のよう。
天子の身は再び都の外に埋もれ、再び京へ戻ることはかなわない。
范蠡こと高徳は自負に恥じない働きだったが、しかしながらそれも無駄になってしまった。
誰が、越王こと後醍醐天皇に会稽の恥を忘れさせてしまったのか。
呉にあたる足利方には、美女・西施のように色香で君主を惑わす存在はいなかった。
ところが、肝心の越こと南朝では寵后・阿野廉子が後醍醐を惑わせてしまっていた。
平仄は、下記の通り。○が平声、●が仄声。△は両方可。◎は平声で韻脚。なお、平仄については
こちらを参照ください。
○●●。○△◎。●●○。●●◎。
○○●●○△●。△○○△○○◎
△●●●●○◎。○●●○●●△。
○○○◎。●●○◎。
韻脚は「蠡、詩、期、爲、施」の上平声四支。
『本能寺』とは異なり、韻が途中で変わらない「一韻到底」に相当するようです。とはいえ、どの句で韻を踏むか、という一点においても絶句・律詩と比べて自由度が高いようですね。
さて、語句の解説。「鑾輿」とは天子の乗り物を意味します。「会稽」とは上述した勾践が呉に大敗した戦場の名。「会稽の恥」という言い方は、今でも時に目にしますね。「西施」は、当時の美女の名です。越が、呉王を油断・堕落させるべく送り込んだという伝説が有ります。
阿野廉子は、後醍醐天皇が寵愛した后の一人。後醍醐が隠岐に流罪となった際も、吉野に逃れた際も同行しています。後醍醐の後継・後村上天皇らの母にあたります。『太平記』のように、彼女が権勢を振るったことを建武政権失墜の一因として糾弾する意見も古来よりあったようです。もちろん、実際には建武政権が短命に終わったのは様々な社会変動やら大小の偶然やらによるもので、廉子はあまり関係ないですけれどね。ただし、頼山陽にしてみれば、『太平記』の廉子観に乗っかった方が詩としては好都合だったかと推測されます。呉越の歴史になぞらえられますし、ロマンチックでもありますから。とはいえ、今日の我々までがそれにつきあう必要はないかと考えます。
当時は、『太平記』の内容を前提にして南朝の君臣を顕彰する動きが文人の間では主流でした。頼山陽に限った話ではなく。ですから、南北朝を題材にした漢詩を鑑賞する上では、それを常に念頭におきながら引きずられないようにするのも大事じゃないかなと思います。
【参考文献】
坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
兵藤裕己『太平記』(一)(二) 岩波文庫
村松剛『帝王後醍醐』中公文庫
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