以前、南北朝を題材にした
楽府をご紹介した事があります。今回はその続きとして、やはり頼山陽『日本楽府』から『南木夢』を。
『太平記』読者に最も人気がある英雄と言えば、楠木正成。昔は、そのように相場が決まっていました。頼山陽が生きた時代も無論そう。御存じの方も多いかと思いますが、正成は後醍醐天皇に仕えた武将です。少数の兵力で鎌倉政権の大軍を翻弄した軍略家として、そして圧倒的不利の中で後醍醐のために足利の大軍に抗い討死した忠義の士として、もてはやされてきました。
さて、『太平記』は正成登場の前振りとしてこんな逸話を伝えています。鎌倉政権に対抗するため笠置山に立てこもって挙兵した後醍醐ですが、集まった味方はわずか。思い悩む後醍醐がふとうたた寝をした際に、夢を見たのです。夢の中で、南へ枝が伸びた大木の下、南向きの席が設けてありました。不思議に思う後醍醐のもとに童子がふたり現れ、「この席はあなたのためのものだ」と述べて姿を消しました。目が覚めた後醍醐は、「木」と「南」を合わせると「楠」という字になると夢解きをし、更に楠木正成という武将がいることを聞いて召し出したというのです。
今回ご紹介する『南木夢』は、この逸話をモチーフに正成一族の忠義を称える内容の作品です。
南木夢
夢南木。 夢覺君王心自卜。
四外羽書雜飛鏃。 擁衞萬乘一木足。
南木興。 帝座寧。
南木覆。 帝座蹙。
帝座已安遺所庇。 獲鹿喪鹿眞夢寐。
老根蟠地護病龍。 猶有由孽戰北風。
(坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂 115-116頁)
<読み下し>
南木を夢む。 夢覺め君王 心に自ら卜す。
四外の羽書 飛鏃を雜ゆ。 萬乘を擁衞するは一木にぞ足る。
南木興り。 帝座寧し。
南木覆り。 帝座蹙(かがま)る。
帝座已に安く庇ふ所を遺る。 鹿を獲て鹿を喪ふ 眞に夢寐。
老根 地に蟠り病龍を護り。 猶 由孽の北風に戰ぐ有り。
<超意訳>
南にたつ木を夢に見た。夢から覚めて、後醍醐天皇は心中で自ら夢を解釈する。
各地に檄文を送り戦火も交えた。しかし天子をお守りするには、この木「くすのき」一本あれば足りる。
南の木こと楠木正成が勃興する時。帝の立場は安泰となった。
ところが正成が湊川で滅びた時。帝の立場は危うくなった。
帝は立場が已に安泰となると、守ってくれたのが誰かを忘れてしまった。
天下を手に入れたと思ったらあっという間に失う、本当に夢のように儚いものだ。
それでも、倒れたはずの楠木は根を地面に張って、衰えた帝王を守っている。
正成亡き後もなお、楠木からは若い芽たる嫡子・正行が出て北朝方にあらがっているのだ。
平仄は以下の通り。○が平声、●が仄声、△が両用。なお、平仄については
こちらを参照。
●○●(韻1) ●●○○○●●(韻1)
●●●○●○●(韻1) ●●●○●●●
○●● ●●○
○●●(韻1) ●●●(韻1)
●●●○○●●(韻2) ●●△●○●●(韻2)
●○○●●●○ ○●○●●●○
韻脚1は「木、卜、鏃、覆、蹙」で入声一屋。韻脚2は「庇、寐」で去声四寘。
なお、韻については下記サイトで詳細は調べました。韻が仄声だったので。
関連サイト:
「韻と平仄を検索するページです」(http://tosando.ptu.jp/kensaku.html)
ここで、語句の解説。
「南木」は、組み合わせると「楠」という字になります。これは上述した通り。
「卜」とは占う、選定するといった意味。古代中国では亀甲や動物の骨を焼き、それによって生じるひびで吉凶を占っていた事は知られています。
「鏃」とは矢尻。飛び交う矢尻、という事で戦火を意味しているかと。「万乗」とは天子を意味します。ここでは後醍醐天皇の事。古代中国・周の時代において王者は戦車一万乗を戦時に用意できる事となっていたため、このような呼び方がされます。 「羽書」は急を要する檄文の事で、「羽檄」「飛檄」とも呼ばれます。古代中国で、緊急文書には鳥の羽をつけた故事に由来します。
「蹙」は縮まるという意味。
「鹿」は政権の座を象徴します。唐・魏徴『述懐』にある表現から、天下の覇権を争う事を「中原に鹿を逐う」または「逐鹿」と呼ぶ事があります。
「龍」は天子の象徴。
「由」はそこから出るという意味で、「孽」とは切り株から出る芽。したがって「由孽」とは楠木から出た若い芽というニュアンスで、父の遺志を継いで南朝のため奮戦した楠木正行を意味していると思われます。なお、正行の弟・正儀も長らく南朝のために尽くしたのですが、路線対立の末に足利方へ降伏した時期がありましたので、この手の詩文では評価されない傾向にあります。気の毒に。
さて。『日本楽府』には他にも南北朝を題材とした作品がありますし、更に申し上げれば南北朝を扱った日本漢詩は多数存在します。今後も、気が向けばそうした作品をここで取り扱うかもです。
【参考文献】
坂井松梁編『詠史詩集 日本楽府詳解』青山堂
『日本大百科全書』小学館
『大辞泉』小学館
『角川新字源改訂版』角川書店
菅原武『漢詩詩語辞典』幻冬舎ルネッサンス
兵藤裕己『太平記(一)』岩波文庫
亀田俊和『南朝の真実 忠臣という幻想』吉川弘文館
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