ネタも苦しくなってきたので、この頃ふと思った事を徒然に。
青空文庫を見て知ったのですが、今年から森於菟の作品もパブリックドメインとなったそうですね。随筆『放心教授』がアップされていました。品のある一方で、諧謔味を感じる魅力的な文章ですよ。
関連サイト:
「青空文庫」(http://www.aozora.gr.jp/)より
「森於菟 放心教授」(http://www.aozora.gr.jp/cards/001977/files/58926_63632.html)
御存じの方も多いかと思いますが、一応。森於菟(1890-1967)は文豪・森鴎外の長男にあたります。母・赤松登志子と鴎外は早くに離別したため、他の鴎外の子供たちとは母親違い。それもあって、若いときは摩擦を感じる事もあったようです。
さて、於菟は東京帝国大学医科大学を卒業し、父同様に医学者となります。専門は解剖学。東京帝国医科大学助教授を経て、台湾帝国大学教授に就任。戦後帰国後も東邦大学医学部長となっています。
関連サイト:
「東邦大学額田記念東邦大学資料室」(http://www.archives.toho-u.ac.jp/index.html)より
「森於菟先生」(http://www.archives.toho-u.ac.jp/blog/20170224_01.html)
随筆家としても活躍しており、作品には父・鴎外の思い出を語った『父親としての森鴎外』、解剖学者としての視点を活かした『解剖台に凭りて』などがあります。
それにしても、鴎外だけでなく相応に長寿であった鴎外の子もパブリックドメインとなった現在。鴎外が生きた明治・大正はますます遠い昔となったという事かと妙な感慨を覚えました。
閑話休題。過去が歴史として語られるのに要する時間は約五十年、とかどこかで聞いたことがあります。一世代が交替するのに要する時間、といったニュアンスかと。で、約五十年前に相当する、森於菟の没年は1967年。ですから、前回の東京オリンピック(1964年)あたりまでは「歴史」になりつつある、という事なのかも。そう思えば、来年2019年の大河ドラマが東京オリンピックを巡る話、というのも何だか興味深いタイミングのように思えてきました。
【参考文献】
『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ
森於菟『父親としての森鴎外』ちくま文庫
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50年も待たず数十年の時点で、世間からは当時の記憶が曖昧になるようです。
「新幹線開通」も、そろそろ歴史なんでしょうね。